ノンテクニカルサマリー

経常収支のダイナミクス –所得収支と貿易収支–

執筆者 吉田 裕司 (滋賀大学)/翟 唯揚 (滋賀大学 / RIETIリサーチアシスタント)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

経常収支に関わる問題は、古くは18世紀のDavid Humeによる正貨流出入から始まり、近年においてもMaurice Obstfeld (2012)によって再認識されている国際金融の重要なテーマの一つである。大きな経常収支黒字は、1980年代の日米貿易摩擦や、近年の米中貿易戦争等の国際政治問題を引き起こす要因となる。また一方で、大きな経常収支赤字は、特に発展途上国ではその後の通貨危機や金融危機につながることが報告されている。

図1. 日本経常収支、貿易収支、所得収支(1996年第1四半期~2019年第4四半期)
図1. 日本経常収支、貿易収支、所得収支(1996年第1四半期~2019年第4四半期)
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(注)論文内のFigure 1を抜粋。Current accountが経常収支、Goods&Serviceが貿易・サービス収支、Primary incomeが第一次所得収支。

1970年代以降、日本の経常収支に関しては、その内訳の一つである貿易収支が大半を占めていて、2つの動きも密接に連動していた。しかし、近年においては、数十年間かけて積み上げてきた巨額な海外資産を基盤とした、所得収支が経常収支の大半を占めるようになった(図1)。本研究では、国内外のマクロ経済要因が、日本の貿易収支と所得収支にどのような影響を与えるかを、構造VARという手法を用いて分析を行った。

図2. 世界供給ショックの貿易収支と所得収支への影響(インパルス反応)
図2. 世界供給ショックの貿易収支と所得収支への影響(インパルス反応)
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(注)上記の図は、9変数マクロモデルを構造VARで推定して、(正の)世界供給ショックが生じた後の20四半期間の貿易収支(左)と所得収支(右)の動きを表わすインパルス反応を示している。論文内のFigure 6の一部である。

その分析の結果、日本の経常収支にとっては、国内要因よりも海外要因の影響力の方が大きいことが明らかになった。図2では、生産性の上昇等を背景として、プラスの世界供給ショックが発生すると、日本の貿易収支には3カ月後から2年後までの期間に改善効果があり、所得収支には9カ月後から15カ月後までの期間に改善効果があることが示されている。一方、日本国内において、生産性昇ショックや需要拡大ショックがあっても貿易収支や所得収支に大きな影響は表れなかった。

上記の結果を少し大胆に解釈してみよう。プラスの世界供給ショックが日本の貿易収支を改善するのを理解するのには、次の二つの影響を総合的に考える必要がある。(i)世界の生産性上昇を背景とした貿易製品価格の下落は、(輸入需要の価格弾力性が非弾力的でなければ)日本の輸入額を増加させる。(ii)世界生産が増産するために、世界の部品・中間財需要が高まり、日本の部品・中間財輸出が拡大する。この後者が前者を上回る反応をすると、今回の結果と整合的になる。例えば、(世界経済の一部としての)中国の生産性上昇にともない、米国・EU向けの中国輸出が拡大する中で、日本からの部品・中間財輸入が増大することは(ii)のシナリオに上手く当てはまる。

また、分析結果の別解釈として、世界供給ショックがマイナスの場合には貿易収支は悪化する、と考えることも出来る。世界金融危機時において、日本を含む世界中の国の輸出が大幅に下落したことは貿易大崩壊(Great Trade Collapse)として知られるが、日本の輸入に大きく占める原油・LNG等の必需財の低下が輸出減少より緩やかであると、これも今回の結果と整合的となる。

また、各国の為替レートの平均を示す実効為替レートのウェイト基準についての重要な示唆も得られた。各国の貿易ウェイトで計算された実効為替レートでは貿易収支にしか影響が表れないが、日本が保有する海外資産ウェイトで計算された実効為替レートを用いると、貿易収支だけでなく所得収支にも影響が表れることが明らかになった。

一方、日本の金融政策ショックも世界の金融政策ショックも、日本の経常収支に与える影響はかなり限定的であることも明確になった。本研究では、下限付近に長期間停滞する日本と世界の政策金利をそのまま用いることはせず、量的緩和政策の拡大の影響を取り込みマイナス領域にも大きく変動する短期シャドー金利を利用したにも関わらず、経常収支には影響を与えない結果が得られたことには留意が必要である。

参考文献
  • Obstfeld, M. 2012. Does the Current Account Still Matter? American Economic Review