ノンテクニカルサマリー

銀行の貸し手責任を通じた企業の環境汚染削減について

執筆者 小田 圭一郎 (上席研究員)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

1.問題意識

環境汚染は典型的な外部不経済問題であるため、一般には市場メカニズムでは対処が不可能である。よって、もし、情報非対称性により、企業行動を直接コントロールすることができなければ、モラルハザード問題が生じることになる。もちろん、そのような場合でも、もし汚染被害額が立証可能であれば、契約理論に基づいた標準的な契約手法を通じて、企業行動を間接的にコントロール可能である。しかしながら、もし単一企業による補償が不可能なほど環境汚染額が甚大である場合は、有限責任制約に起因する新たなモラルハザード問題が発生し、標準的な契約手法では対処が困難となる。

一方、近年、環境問題の新たな解決手法として、金融の有効性が注目されている: 金融市場のガバナンス機能が指摘されることに加え、欧米では、企業行動によって環境的損害が発生した際に、主要取引銀行が企業に代わって補償を行うという「銀行による貸し手責任」(以下、銀行責任)制度が法的に導入されている(注1)。銀行責任は補償主体を企業から銀行へ転換するため、有限責任制約を解消する効果をもたらす一方、銀行のモニタリング行動に係る新たなモラルハザード問題を生じさせることになる。

本稿は、金融市場で合理的な価格形成が可能な状況下で、銀行責任が有効となる条件について理論的に検討する。

2.分析手法と結果

本稿では、銀行責任による環境汚染問題の解決方法について、企業と銀行との不完備契約理論の枠組みにて、銀行が企業の投資資金の供給、企業の汚染削減行動に対するモニタリング、及び、環境汚染発生時の補償という諸機能を実施するモデルを通じて検討する。

環境汚染は、有限責任制約下でのモラルハザード問題として解釈できる。銀行責任の導入は、有限責任制約を解消する一方、銀行のモニタリング行動についてのモラルハザード問題を新たに発生させる。すなわち、企業・銀行の双方の行動に係る、ダブルモラルハザード問題に転換する。

この新たな問題への対処として、不完備契約理論のアイデアに基づき、オプション契約と交渉ゲームを利用した、企業・銀行の双方が適切な行動を選択するようなゲームを構築する。企業は、短期負債によって資金調達することにより「負債返済オプション」を有する。すなわち、企業は、銀行のモニタリング行動に応じて負債返済オプションを行使できる。一方、銀行は、銀行責任としての環境汚染補償について「保険販売オプション」を有する。すなわち、銀行は、企業行動に応じて保険販売オプションを行使することができる。これらのオプション契約は、企業・銀行間の交渉ゲームにおいて、相手側のモラルハザード行動に対する抑止力として機能する。また、オプション行使は公共情報であるため、金融市場における価格形成に反映される。市場価格は企業・銀行の双方の行動に影響を及ぼすため、モラルハザード行動抑制のための補完機能として機能する。

 分析の結果、適切な負債返済額と保険販売オプション金額を契約に設定することにより、社会的に望ましい水準の企業努力と銀行モニタリングが、ゲームの均衡として実現することが示される。

3.政策的含意

第一に、本稿の分析は、銀行責任は環境汚染の解決に有効であり、また、そのために銀行のモニタリング機能が重要であることを示している。従って、環境汚染の解決を目的に、メインバンク制度の下で審査能力を蓄積してきた日本の銀行に対して銀行責任制度を政策的に推進することは、経済合理性を有すると考えられる。

 第二に、本稿の分析は、モニタリングに係る銀行サイドのインセンティブの重要性と、そのコントロール機能としての金融契約の有用性を示している。これらは、従来の日本のメインバンク論では軽視されていたが、制度設計の上で重要な論点である。

 最後に、本稿の分析は、一般的なコーポレートガバナンスの観点からも政策的含意をもつ。すなわち、第一に、銀行に期待されているのは企業行動を観察することのみであり、直接的に介入を行うことではない。つまり、銀行に必要とされるのは情報生産能力であり、経営能力ではない。第二に、企業行動に直接的に影響を及ぼすのは、情報生産を行わない金融市場における、公開情報に基づく価格形成機能である。すなわち、銀行によるモニタリングを主体とするガバナンス構造においても、市場とのインタラクションが必要であり、市場の整備が重要な政策課題となり得る。

脚注
  1. ^ 代表例は、米国の "the 1980 Comprehensive Environmental Response, Compensation and Liability Act".