ノンテクニカルサマリー

サービス産業と政策の百年:概観

執筆者 森川 正之 (理事・副所長)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

本稿は、日本のサービス経済化と関連する政策の動向を概観した。20世紀初頭から最近まで約100年間の日本の産業構造変化を回顧すると、戦時統制経済下での重化学工業への強制的資源配分の時期に極端な不連続があるものの、サービス経済化はおおむね国際標準に沿ったパタンで進んだといえる。理論的にも、所得増加に伴ってサービス需要が拡大すること、工業と比較して相対的にサービス産業の生産性上昇率が低いことから、自然な産業構造変化だったと解釈できる。

日本のサービス経済化は3つの局面(フェーズ)に分けることができる(図1参照)。第1フェーズは1920年頃から1970年代初めまで、工業化の進展と並行してサービス産業のシェアも拡大した時期である。この期間、産業構造変化の表舞台は製造業の発展(=「工業化」)であり、その背後で緩やかにサービス経済化も進行した。ただし、この時期の途中、戦時統制経済の下で極端に重工業に偏った強制的資源配分が行われ、サービス産業への資源配分が政策的に抑圧されるという約10年間の不連続な時期を挟んでいる。第二次大戦後の重化学工業化は、日本の高度経済成長の1つの要因として海外からも注目され、産業政策の研究でも脚光を浴びてきた。高度成長期に通商産業省が行った産業政策の中心は傾斜生産方式、産業合理化、輸出振興など重化学工業をはじめとする鉱工業が中心で、商業・サービス業は振興型の産業政策の蚊帳の外だった。

第2フェーズは1970年代初めから1990年頃までの時期で、経済成長率は高度成長期に比べて大幅に鈍化したものの、日本のマクロ経済パフォーマンスが主要先進国と比べて良好だった時期である。産業構造の面では、変動為替レートへの移行や石油危機を契機に製造業のGDPシェアがピークアウトし、サービス産業のシェア拡大が加速した局面である。この時期は、スーパーマーケット、コンビニエンス・ストアといった新しい業態の小売業、観光・スポーツなどの余暇関連サービス業、情報サービス業をはじめ様々な新しいサービス業種が登場・成長した。「70年代ビジョン」「80年代ビジョン」などでサービス産業の重要性が指摘されるようになったが、情報産業を例外として、サービス産業を対象とした具体的な政策展開はサービス統計の整備など一部にとどまっていた。

第3フェーズは、バブル崩壊後「失われた20年」に入ってマクロ的な経済成長率が一段と低下する中、日本の経済構造改革のため規制改革をはじめとするさまざまな試行錯誤が行われた1990年代以降の時期である。サービス産業においては、IT革命に代表される技術革新の利活用、サービス産業を対象とする公的規制の緩和などを背景に、さまざまな新しいサービス業種・業態が誕生・成長した。また、経済のグローバル化が深化し、製造業の海外展開が進むと同時に、サービス貿易も拡大し始めた。産業構造の中でのサービス産業のシェア拡大傾向は一段と加速し、サービス産業が日本経済全体のパフォーマンスを規定するようになっていく。サービス産業の中でも、(1)情報サービス業に代表される他企業に中間投入される事業サービスの成長、(2)個人向けサービスの中では医療・健康や社会保障関連のサービス業種の成長が顕著になる。反面、高齢化・人口減少や経済全体の低成長の下で、飲食店、旅館、ゴルフ場などいくつかのサービス業種は頭打ちとなりまたは減少に転じるなど、サービス業種間での新陳代謝も進んだ。2000年代半ば以降、サービス産業の生産性向上に向けた政策が進められるようになってきたが、試行錯誤しつつ今日に至っている。

最近は、人工知能やロボットなど「第四次産業革命」を含む新たなイノベーションのサービス産業での活用、参入・退出など市場での新陳代謝などを通じたサービス産業の高度化や生産性向上が重要な政策課題になっている。サービス経済化は、経済・社会の構造変化を伴いながら今後も進行を続けると考えられる。

図1:日本経済のサービス化
図1:日本経済のサービス化