ノンテクニカルサマリー

IMS国際共同研究プログラムの歴史的位置

執筆者 武田 晴人 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 産業政策の歴史的研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

政策史・政策評価プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「産業政策の歴史的研究」プロジェクト

1.はじめに

1980年代末のFA懇談会の提言を受けて産業機械課を中心として通商産業省が推進したIMS(Intelligent Manufacturing Systems:知的生産システム)は、テクノグローバリズムを提唱し、国際共同研究によって生産技術の向上を実現すべく10年以上にわたって展開された。この政策は、国際共同研究によって非競争的な分野で各国が共有しうる技術的な基盤を作り出すことを目的に推進されたが、同時にこのような形で果たされる国際貢献によって、対日批判を払拭することも企図されていた。

IMSの理念は、昨今話題となっているインダストリー4.0にも通じる先駆的な面があることがしばしば指摘されるが、現実にはその理念を十分に実現することができないままに終幕を迎えた。本研究は、このIMSに関する政策展開に関わった通商産業省、国際共同研究に参加した企業、そして学術関係の研究者が残した記録や回想に基づきながら、なぜIMSが不十分なままに終幕を迎えたのかを検討した。具体的な検討課題は、(1)IMSの立ち上げ・準備段階における共有されるべき目標、IMSの理念は明確であったのか、(2)プロジェクトに応募した企業、大学などの研究機関は、IMSの理念をどの程度理解していたのか、研究企画はそれに沿ったものであったか、などである。

2.検討結果の要点

検討結果の要点は以下の通り。第1に「準備段階におけるIMSの理念・目標の共有」が不十分であった。その背景には政策サイドがIMSの技術的な内容よりは、国際貢献による対外摩擦対策として期待をかけていた側面が強かったため、共同研究の立ち上げに必要な十分な準備もないままに国内会員の募集や委託研究が着手されたことがあった。その結果、IMSが提唱する「理念」を関係者が共有するための熟慮の期間を欠いたと考えられる。

第2にIMSによって展開された研究活動についてみると、理念が共有されていなかったことや政策成果の評価方法が未確立であったこともあって、具体的な国際共同研究プロジェクトの研究を立ち上げるに際して、その研究課題の選択に体系性がなかった。そうした状況に対して適切な研究課題の選択方法に関する見直しも行われないまま事業が継続し、結果的には開発課題は非競争的分野から逸脱していった。ただし、この「逸脱」はIMSが理念的にはともかく、現実的には競争的分野と非競争的な分野の線引きに明確な基準を持ち得なかったことに由来している面があった。

第3に「各関係者の取り組み方」に関してみると、まず、通産省は立ち上げ時点はともかくとして、IMSが国際的枠組みとして確立される1994年以前にすでに、この政策に対する熱意を欠くようになっていた。それは90年代後半にかけて対外摩擦の鎮静化によって政策推進の目的の1つが失われると一層顕著となり、政策当局は「傍観者化」した。その結果、通産省・経産省は事業計画の見直しの機会に適切な転換を主導し得なかった。次に参加企業は、不況の長期化のなかでビジネスに直結しない研究開発に対する態度が消極化していくようになった。また、事業計画の方向性に対する適切な舵取りと成果の体系化を期待された学術関係者は、個別研究テーマへの参加を通して実現される成果にのみ関心を持っていた。つまり、関係者のいずれも非競争的な分野における共通の技術基盤を構築するというIMSの理念を追及することには関心が薄かった。こうした状況のもとで、2000年代に特殊法人改革の中で経済産業省がIMSに対する補助金の枠組み変更を受け入れると、企業も学術関係者もIMSへの参加の誘因を失い、国際共同研究は急激な縮小に追い込まれた。こうしてIMSは「歴史的な役割を終えた」として終結が宣言された。

3.IMSの経験から得られた今後の産業技術政策のあり方への教訓

政策評価という視点からIMSの経験を振り返ると、産業技術政策に対する緊要な政策課題とその実現に向けた取り組みの方向について次のような諸点が浮かび上がる。

第1に、標準化などにつながりそうな、pre-/post-の部分に関する共同研究を組織するために、国のプロジェクトとして何ができるかを再検討すること、その上で施策の重要な柱として積極的な関与を続け推進するという覚悟を決めることが不可欠である。

第2に、IMSが掲げていた国際貢献という表看板をおろし、国内での共同に重点を置き、その結果を海外に発信するという二段構えでの研究活動の成果普及を考案することも必要である。日本がどのような研究にフォーカスして、共通の「知的財産」となり得る研究に国の資源を投入し、国内の関係企業を組織しているかは、海外に広く開かれたかたちで公表すべきであろう。しかし、それは意図的に国際共同研究を組織することではなく、日本からの発信が結果として「国際貢献」となると評価されるものであっても、それ自体を目標とするものではないというべきだろう。

第3にこの研究を推進するために、参加する企業および学術が果たすべき役割を明確にして、それに沿った研究開発活動が実現できるように国が主導的な役割を果たすことが必要である。

第4に、その内実を支えるために、プロジェクト評価において定性的な質的評価方法を考案し、進むべき方向感覚を見失わないようにすることが求められる。それによって、二重投資の排除と競争的な分野の研究開発に資源を注入することは国民経済的な観点から重要である。その際、留意すべきは、競争的な分野が営利企業と、それに協力を惜しまない学術との共同作業の中で進展するとしても、そこでは対象化できない研究開発活動が広く存在することを見失わないことであろう。

4.最後に

1990年代以降産業技術政策は、「基礎シフト」から「実用化シフト」へと大きく舵が取られた。当面する日本経済の課題を長期不況下の雇用創出につながるような新産業の創出に見出し、産業技術政策もこれにあわせた転換が図られたといわれる。しかし、そうした当面する課題に取り組みながらも、長期にわたり日本経済の将来像をどのように描くかという視点から、産業技術政策が果たすことのできる可能性を探り、基礎的な研究分野において政府が果たすことのできる役割について経済産業省内で確たる共通認識を作ることが必要であろう。