ノンテクニカルサマリー

賃金構造の潜在的多様性と男女賃金格差-労働市場の二重構造分析再訪

執筆者 山口 一男 (客員研究員)
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

労働市場の「二重構造」、より一般的には労働市場における賃金構造の多様性と格差の関連、の問題は歴史的事情により労働経済学的研究ではいわば「鬼っ子」扱いをされてきた。本稿では、その事情が分析操作の非科学性に一因があったことを指摘すると共に、それを是正し、日本の労働市場における賃金構造の多様性と男女賃金格差の関連について、石川・出島(1994)の先駆的研究をさらに推し進め、その結果を提示している。

以下本稿の分析結果に関し(1)労働市場における賃金構造の多様性について、(2)労働市場の二重構造論について、および(3)男女賃金格差が生まれるメカニズムの多様性について要約する。

1.労働市場における賃金構造の多様性について

本稿では賃金構造の異なる労働市場の「潜在クラス」をデータから抽出する統計手法を用いて日本の賃金構造は、「基本形」とみなせる異なる賃金決定メカニズムを表す3つの潜在クラスの確率的混合物とみなすことができるとともに、それらの賃金構造の特質と、異なる賃金構造への割当ての決定要因について以下を明らかにした。

(1)日本の労働市場における賃金構造の多様性と「分断」(異なる賃金構造を持つ労働市場への割当て)に最も強く影響を与えているのは正規雇用と非正規雇用の別で表される雇用形態である。

(2)雇用形態のほかに、企業規模、産業、学歴も賃金構造の多様性に少なからず影響している。

(3)日本の賃金構造の基本形の1つの約35%の平均割合を持つ労働市場は、人的資本の賃金への見返りが大きく、かつ平均賃金が全体平均の1.36倍と高く、正規雇用者が99%の、「中核労働市場」の特質を持ち、他の2つは勤続年数以外の人的資本の賃金への見返りが小さく、その意味で人材活用されにくく、かつ平均賃金の低い「縁辺労働市場」の特質を備えている。また後者のうち、一方は約60%の大きな平均割合で最も典型的な賃金構造を持ち、平均収入は全体平均の0.82倍、正規雇用割合は約61%である。他方は約5.5%の小さな平均割合を持つマイナーな賃金構造で、平均収入は全体平均の0.65倍、正規雇用割合は37%と共に最低となっているが、正規・非正規別の平均収入は多数派の縁辺労働市場と有意に変わらない。

(4)米国の縁辺労働市場論の主張と異なり、いずれの基本形の賃金構造でも、同じ企業への勤続年数の賃金への見返りが普遍的に存在する。従って「中核」と「縁辺」の主な違いは、学歴と社外雇用経験の賃金への見返りの有無で、「中核」では共に見返りが大きく、「縁辺」では見返りがない。

(5)2つの縁辺労働市場の違いは、雇用形態や学歴や産業との結びつきの度合いやあり方で、全体の約60%最大の潜在労働市場では、中企業や運輸・旅行業や卸売・小売業といった産業や、高卒・短大卒者が多いといった特徴を持つのに対し、約5.5%の最小の労働市場では非正規雇用や、中卒者、小企業との結びつきが強い。

なお下記の表はさまざまな雇用形態、学歴、企業規模、産業、性別と関連する属性が絶対的(その潜在クラスに属する割合が50%以上で大きいという意味で)あるいは相対的(その潜在クラスの平均割合に比べて最も大きな増加率を持つという意味で)近接度の高いカテゴリーを列挙している。

表:特定の属性の異なる労働市場との近接度
近接度の高い順 絶対的近接度も
相対的近接度も
中核労働市場(35%)との近接度が高い
絶対的近接度も
相対的近接度も
多数派の縁辺労働市場(59%)との近接度が高い
絶対的近接度は
多数派の縁辺労働市場、相対的近接度は少数派(5.5%)の縁辺労働市場との近接度が高い
1 公務 運輸・旅行業 非正規雇用者
2 大卒 中企業(30-299人) 中卒
3 大企業(1000人以上) 高卒・短大卒 子どもありの女性
4 300-999人企業 卸売・小売業 小企業(30人未満)
5 医療・福祉・教育・研究
6 金融・保険、不動産業

2.労働市場の二重構造論について

労働市場が、新古典派経済学の仮定するグローバルな市場の均衡を生み出していない、という仮説に相当する労働市場の二重構造論は米国では多くの経済学者から、その実証科学的根拠が薄弱だとみられてきた。

今回の日本の分析結果で、性別が割当て関数に影響しないという結果は、異なる賃金構造を持つ市場には、直接的には女性の選好も、また逆の女性の排除も、関係していないことを示唆する。このことはドリンジャーとピオールの理論(Doeringer and Piore 1971)によるマイノリティが「中核労働市場から排除される」ことで不利を被っているという議論は直接的には妥当しないことを示す。しかし、女性は非正規雇用割合が大きいので、間接的に人材活用されにくい縁辺労働市場に偏り不利を被っている。

また企業規模や産業が労働市場における賃金構造の多様性に強く影響することについては、日本における内部労働市場の発達とその多様性と関係していると考えられる。またこの事実は企業規模間、さらには産業間での、労働の移動が、日本における長期雇用重視の慣行と共に、制限されてきたことと無関係ではない。この点で米国など、労働の流動性の高い国で、「分断化された労働市場論」が確固たる実証的裏付けを持たないことと、日本の実情とは区別して考える必要がある。

しかし「分断化」という強い表現は日本の場合でも、実情とは異なる。正規雇用・非正規雇用の区別は労働市場における賃金構造の多様性に最も強く影響しているが、中核労働市場の性格を持つ潜在クラスの大部分が正規雇用者で占められている一方、縁辺労働市場の性格を持つ2つの潜在クラスはどちらも大部分が非正規雇用者で占められているわけではない。またそれぞれの賃金構造内に特有の賃金格差も存在する。労働市場における賃金構造の多様性に部分的分断と階層化がある、というのがより正確な形容である。本稿は賃金構造に多様性自体がありそこに部分的分断や階層化があること自体が、経済的に必ずしも不合理であるとはいえないと考える。しかし人材活用されにくい労働市場が存在すること、特に非正規雇用者がほぼ一律に中核労働市場から排除されるという事実は、非正規雇用者の中に特に女性の育児離職者など潜在的な労働生産性の高いと思われる人々が少なからず含まれることを考えると、非正規雇用者のアンダーエンプロイメントという不合理を生じている可能性は非常に高い

3.男女賃金格差と労働市場における賃金構造の多様性について

まず、男女賃金格差は、労働市場の多様な賃金構造の各々の内部で格差が起こる問題と、縁辺労働市場に女性割合が大きい問題とを、分けて考える必要がある。本稿の分析結果は縁辺労働市場に女性が多いのは、ドリンジャーとピオールの主張する中核市場からの女性の排除の問題ではなく、付帯現象(epiphenomenon)であることを示した。つまり非正規雇用者が中核市場から排除されることと、女性に非正規雇用者割合が大きいことが結びついた結果である。従って対策としては、女性に圧倒的に多い育児離職者に正規雇用の機会が少ないことなど、日本における長期雇用者重視の問題に帰着する。

また縁辺労働市場に女性、特に子ども有りの女性、がより多く含まれることは、女性の育児離職者の中には潜在的に高い労働生産性を持つ人たちが多くいることを考えると、企業の合理的な行動自体が、はなはだ疑わしいことを示唆することは、非正規雇用者一般の人材不活用の問題と同様である。

一方各労働市場の賃金構造内で、男女賃金格差が生まれるメカニズムには以下がある。

(1)日本の労働市場における約60%の雇用を説明し縁辺労働市場の性格を有する潜在クラスでは社外雇用経験が全く評価されない内部労働市場の特性を有するとともに、同じ勤め先の勤続年数の賃金への見返りが、男性の1年の伸び率が女性の約4倍もの差がつく労働市場であり、その事が男女賃金格差を生み出す最大の要因となっている。

(2)平均収入が比較的高く、正規雇用者が大部分で大卒中心の中核労働市場の特徴を持つ潜在クラスでは、男女格差が勤続年数とともに増加せず、男女賃金格差は多数派の潜在クラスより少ない。しかし、就職時に子どものいる女性には、大きなペナルティを課している。中核労働市場といえども、男女に平等な機会を与える市場ではなく、あたかも男女の伝統的分業を前提とするかのように、子ども有りの男性を優遇し、子ども有りの女性を賃金差別する労働市場でもある点がこの賃金構造の大きな問題点である。

以上の結果から、女性、特に子ども有りの女性の経済的機会が、賃金面からみて、大きく損なわれている実情があり、その3つの大きなメカニズムは、(A)最も典型的労働市場での勤続年数の賃金への見返りの大きな男女格差、(B)就職時に子どものいる女性の人材不活用による低賃金と非正規雇用へ大きな偏り、(C)非正規雇用者一般についての中核労働市場からの除外による、その人材の不活用、にあると考えられる。これらの問題自体は、多くの他の研究でもほぼ明らかだと思うが、本稿はこれらの問題を労働市場の多様性やその割り当てへの影響のメカニズムとあわせて理解することの重要性を明らかにしたと考える。

文献
  • 石川経夫・出島敬久. 1994. 「労働市場の2重構造」石川経夫編『日本の所得と富の分配』東京大学出版会.
  • Doeringer P.B. and M.J. Piore. 1971. Internal Labor Market and Manpower Analysis: Heath: Lexington, MA.