ノンテクニカルサマリー

イタリアにおけるサードセクターの包括的改革とその背景―日本との比較のなかで―

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究 (第四期:2016〜2019年度)
「官民関係の自由主義的改革とサードセクターの再構築に関する調査研究」プロジェクト

2016年5月25日、イタリアにおいて、サードセクターの包括的改革に関して政府に必要な立法的命令を発する権限を委任する法律が可決された。政府が「サードセクター改革に関する指針」を発表してから約2年間を要した困難な過程の成果であった。今後、政府は6本の立法的命令でこれを具体化していく。

可決された法律に含まれる改革の内容において重要なものは、サードセクターに関する統一的法典を編纂し、民法、個別特別法、税法を整合的に調整すること、地方レベルにおける社会サービスの提供における政府とサードセクターの補完性の原則を踏まえた協力関係を確立すること、社会的企業の本格的な離陸を実現すること、税制も含めてサードセクターへの公的、私的な支援を整備すること、などである。

 

実は、イタリアと日本はサードセクターに関する法制が複雑に分岐、断片化してきたという点で著しい共通性をもっている。他方で、そうした状況が生まれた歴史的経過についてはかなり明確な違いが指摘できる。

図表にも示されるように、イタリアにおいては、1991年の2つの法律によって「20世紀においてはじめて政治がサードセクターを認める」までは国家はサードセクター団体を警戒・敵視し、福祉、医療、教育などの公共サービスは基本的に公的機関が担ってきたのであり、特別法はそれ以前にはほとんど制定されず、1980年代以降の新しいサードセクターの再登場の結果として多くの特別法が生まれ、これが結果として断片化をもたらした。

 

それに対して、日本の場合は、戦前から、主務官庁の「許可」(民法旧第34条)のもとで政府の強い統制を受けながら社団、財団が一定の役割を果たしてきたが、第二次大戦後になると、図表にあるように政策分野毎に各主務官庁が事業法のなかに特別な公益法人を規定するかたちで複雑に分岐した公益法人制度を生み出すことになったのである。

図表:イタリアと日本におけるサードセクター法制の歴史的変遷
図表:イタリアと日本におけるサードセクター法制の歴史的変遷

こうした歴史的経過の違いから、イタリアでは小規模ながら自律的なアイデンティティの明確な新しいサードセクターが強力なアドボカシー能力を発揮して今回の改革法を実現することとなった。日本の場合は、1998年の特定非営利活動促進法こそ、サードセクター団体の側やそれを支持する各党の政治家が中心となって議員立法として成立したが、それ以上の重要性をもつ2006年の公益法人制度改革の場合は、小泉政権による構造改革という文脈のなかで、内閣府の行政改革事務局が主導する形で実現したのであった。その後もセクター全体の包括的改革の展望は見えず、部分的改革が続いているのみである。

日本に比べてもまだ規模は小さいとはいえ、自律したサードセクターという実体とセクターとしてのアイデンティティや一体性を統一的法制とともに確立しつつあるイタリアの事例は、日本においても目指すべき今後の包括的改革に対して鮮明なイメージと刺激を与えてくれるものと思われる。内容的にも、サードセクターの定義(一般的利益の活動の該当分野とその定期的改訂)、社会的企業の制度設計などは参考になる点が多い。