ノンテクニカルサマリー

連邦準備制度理事会の大規模な資産買い入れがインフレ期待に与えた影響について

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム (第四期:2016〜2019年度)
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2008年、米国の総需要が激減し、デフレを招いた。米連邦準備制度理事会(FRB)は短期金利の引き下げ余地がなく、景気刺激策として大規模な資産買い入れ(LSAP)の実施を決め、GSEエージェンシー債、 住宅ローン担保証券(MBS)、長期国債を購入した。これらの行動は金融市場とデフレ期待にどんな影響を与えたのだろうか?

LSAPに関する報道によって経済が刺激されると投資家が予想する場合、期待インフレ率が上昇する可能性もあるが、逆にFRBによるさらなるデフレ予測の表れであると投資家が考える場合、期待インフレ率が低下する可能性がある(Romer and Romer, 2001を参照)。

筆者はLSAPに関する報道がインフレ期待にどのような影響を及ぼすのかについて調査した。LSAPによってインフレ率が上昇すると考える場合、投資家はインフレの影響を受けやすい資産を売却し、インフレに対しヘッジ効果をもつ資産を購入して対応する。これによってインフレから悪影響を受ける資産の価格は下落、インフレの恩恵を受ける資産の価格は上昇し、資産のインフレ感応度(インフレベータ)と資産収益率の間に正の関係が生じる。一方、投資家がLSAPに関する報道はインフレ率の低下を示唆すると解釈した場合は逆の反応を示し、インフレベータと資産収益率の間に負の関係が生じる。

インフレベータを得るため、インフレ率を左辺に、その他のマクロ経済変数を右辺にして60の資産の利益率について回帰分析を行った。LSAP発表の日付については、Roache and Rousset(2013)によるところの、資産買い入れの第1弾(QE1)、第2弾(QE2)、第3弾 (QE3)の「標準実施日」を採用した。その上で、一連のLSAP実施24時間後における60の資産の利益率について、資産のインフレベータで回帰分析を行った。

表1はその結果を示す。正の値は投資家がインフレ率の上昇を予想していることを示し、負の値はその逆を示す。最初の7回に関しては、表1の係数はすべて負の値で、LSAPに関する報道によって投資家がインフレ率の低下を予想したことを示している。Wright(2011)によると、第1回、第2回、第3回、第5回の買い入れは、投資家の予想よりも拡張的な内容であったという。とりわけ第3回と第5回については、サプライズ的拡張要素が強かった。Swanson(2017)によると、第5回については5.6標準偏差の拡張的金融政策ショックに相当するサプライズ効果があったという。

一連の買い入れは、生産拡大とインフレ率を上昇させる拡張的政策に対する金融市場の期待を招き、また、FRBがインフレ率の低下を予測していると示すことによって金融市場に影響を与えた。負の係数は、LSAPによってインフレ率が上昇すると市場が予想しなかったことを示唆する。第1回、第2回、第3回、第5回の各買い入れが実施された各月においては、消費者物価指数は低下傾向を示した。第1回、第2回の買い入れが発表された時点では、米国のデフレ率は過去60年間の最高値を優に上回り、ゼロからの標準偏差は約6に達した。このようなデフレに加え、行使されていない政策手段が残っていることから、投資家はFRBがインフレ率を上昇させられると確信するには至らなかった。

表1の第4回目の係数は-0.0078、1%水準で有意である。この係数は、サンプル中で最大のインフレベータ値を示す資産が平均2.8%下落し、最大の負のインフレベータ値を示す資産が平均2.8%上昇したことを意味する。Wrightの計算によると、第4回目の買い入れは市場にとって緊縮的と意味でサプライズであった。したがって第4回の買い入れは、FRBのデフレ対策に関して投資家らを落胆させるとともに、インフレ化と同じ経路を通じて低インフレ化を伝えることになった。

QE1の最終回は、2009年11月4日に実施された。係数は正、1%水準で有意である。この時期、米国経済は回復期にあってデフレから脱却しつつあり、発表によって投資家らはインフレ率の上昇を期待した。

QE2に関しては、2010年10月と11月に実施された最後2回の買い入れ実施によって、インフレに対しヘッジ効果をもつ資産の利益率が落ち込んだ。Wright(2011)はこれら2回の発表を、金融政策が期待よりも緊縮的であった事例と位置づけている。この緊縮的政策に関する報道は、インフレ化同様の経路を通じた低インフレ予測と相まって、市場関係者らがインフレに対する認識を下方修正することにつながった。

QE3は2年後の2012年8月と9月に実施された。その直近の2四半期の個人消費支出物価指数(季節調整済、食品とエネルギーを除く)は、それぞれ前年比2.1%、1.9%で、FRBの目標値である2%に近い値であった。2012年第3四半期に発表されたQE3の2回の買い入れは、投資家にインフレ率上昇を期待させるものであった。

以上の結果は、実際のインフレが目標値に近づくにつれ、FRBは望まれた方向にインフレ期待を導くべく、影響を及ぼすことができたことを示している。金融政策にとって、期待インフレ率に影響を及ぼすことができるということは重要である。ゼロ金利制約下においては、期待インフレ率の上昇は実質金利の低下を意味する。このことは、経済がデフレリスクに直面しているときに、必要な刺激となる。金利が上昇すると、インフレ期待をつなぎ止めることで、債券保有者がインフレリスク相殺に必要な追加リターンを小さくできる。このことによって、経済活動を抑制するほどに長期金利が上昇してしまうことが防げる。中央銀行がインフレ期待に影響を与えるためには、「インフレ指標が改善すればインフレへの信頼性が増す」という伝統的な教訓を忘れるべきではない。

表1:大規模資産買い入れ発表日における資産利益率とインフレベータの関係
発表回数 発表日 段階 インフレベータ係数 標準誤差
1 11/25/2008 QE1 -0.0032 0.0021
2 12/1/2008 QE1 -0.0039 0.0037
3 12/16/2008 QE1 -0.0033 0.0023
4 1/28/2009 QE1 -0.0078*** 0.0023
5 3/18/2009 QE1 -0.0006 0.0049
6 8/12/2009 QE1 -0.0011 0.0008
7 9/23/2009 QE1 -0.0008 0.0011
8 11/4/2009 QE1 0.0044*** 0.0012
9 8/10/2010 QE2 0.0005 0.0007
10 8/27/2010 QE2 -0.0016 0.0010
11 10/15/2010 QE2 -0.0022*** 0.0006
12 11/3/2010 QE2 -0.0025*** 0.0008
13 8/31/2012 QE3 0.0032*** 0.0010
14 9/13/2012 QE3 0.0034** 0.0014
注:表は、大規模資産買い入れ発表当日の60資産の利益率を、60資産のインフレベータについてクロスセクションの回帰分析を行って得られた係数を示す。
インフレベータは複数要因モデルの見かけ上無関係な反復非線形回帰予測により得られ、60資産の利益率を左辺に、長期国債・短期国債スプレッド、社債・長期国債スプレッド、工業生産月間成長率、インフレ期待変化、予想外のインフレを右辺に置く。
予想外のインフレは、インフレを一期前のインフレ率、現在・一期前の短期国債利回りで回帰分析した残差より生じる。 QE1は第1弾、QE2は第2弾、QE3は第3弾の各資産買い入れを示す。
***(**)は、1%(5%)水準で有意であることを示す。
文献
  • Roache, S. and M. Rousset. (2013). "Unconventional Monetary Policy and Asset Price Risk," IMF Working Paper WP/13/190.
  • Romer, C. and D. Romer. (2001). "Federal Reserve Information and the Behavior of Interest Rates," American Economic Review 90 (3), pp. 429-457.
  • Swanson, E. (2017). "Measuring the Effects of Federal Reserve Forward Guidance and Asset Purchases on Financial Markets," NBER Working Paper No. 23311.
  • Thorbecke, W. (2017), "The Effect of the Fed's Large-Scale Asset Purchases on Inflation Expectations," RIETI Discussion Paper No. 17-E-097.
  • Wright, J. H. (2011). "What Does Monetary Policy Do to Long-term Interest Rates at the Zero Lower Bound?" NBER Working Paper No. 17154.