ノンテクニカルサマリー

日本の貿易収支の要因分解

執筆者 佐々木 百合 (明治学院大学)/吉田 裕司 (滋賀大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

本研究は、2000年代後半から始まった長期的な貿易赤字が、日本経済の「構造変化」に一要因があるのではないかという問題意識から、日本の貿易の構造変化を分析することを目的としている。グローバル金融危機と東日本大震災の影響を受けて、30年間継続していた貿易黒字がなくなり、日本の貿易収支は赤字に転落してしまった。その後、第2次安倍内閣の発足前の2012年末から始まった大幅な円安にも関わらず、貿易収支は依然として大きく黒字化する兆候はない。

この現象は、米ドルが1985年のプラザ合意によって大幅なドル安方向に進んだにも関わらず、米国の貿易収支が改善しなかった経験との共通点が見受けられる。その当時に国際金融の分野では、ヒステリシスという概念が用いられ、巻き戻すことができない大きな経済構造の変化が生じることが示された。具体的には、通貨高を経験した国の企業はコスト削減のために国内工場の海外移管を行い、その後に通貨安が実現しても海外工場は戻らないことが要因となる。米国経済の「構造変化」が、ドル安であっても貿易収支の改善が見られなかった原因の1つとして考えられた。

本研究において、日本の貿易の構造変化を分析するにあたり、2つの留意点があった。(1)産業ごとの特性の違いを捉えるためには、輸出総額や輸入総額のような集計変数ではなく、産業レベルのデータを用いる方が好ましい。(2)経済学の理論モデルと整合的であるためには、金額ではなく数量や価格のデータを用いる方が好ましい。貿易数量の回帰モデル式からは価格弾力性と所得弾力性が推計でき、貿易価格の回帰モデル式からはパススルー弾力性が推計できるためである。上記の2点に応えるために、輸出と輸入を産業・国別で、価格インデックスと数量インデックスに分解したデータを構築した(注1)。

次に、貿易収支変化の程度を決定するパラメーターとなる価格弾力性、所得弾力性、パススルー弾力性を産業別にパネルデータ(相手国、年)分析によって推定した。特に構造変化の可能性を探るために、危機前(1988-2008)と危機後(2009-2014)にサンプル期間を分けて、推定結果の比較を行った。図1はこの分析のために作成されたデータの一部であり、日本のHS第27類(石炭・原油・天然ガスなど)輸入の金額指数、価格指数、数量指数を示している。輸入数量(点線)は2006年以降に緩やかにしか変化していないが、価格数量(破線)が大幅に上昇していることが確認できる。これまで、輸出機器やエレクトロニクス、鉱物性燃料などに注目した研究はなされている一方で、日本の輸出入をマクロ的に分析する研究は少なかった。また、日本の輸出入をマクロ的に分析する研究は、日本銀行や財務省、関税局が発表している産業が大きく分けられたデータを利用したものしかなかった。本論文では、日本の輸出入のマクロ的動向を的確にとらえるために、産業を約90に分類したデータを作成して分析しているところに特徴がある。

詳細な分析結果はDP本文に委ねるとして、以下には主要な分析結果を列記する。(1)日本の貿易は所得弾力性とパススルー弾力性において、金融危機前後で構造変化を経験している。具体的には、(2)金融危機後に、日本の輸出は為替レートの変化には反応度が小さくなった、一方で、(3)日本の輸入価格は為替レートの変化により大きく反応するようになった。また、(4)日本の輸出と輸入の所得弾力性の違いは、ハウタッカー・マギー非対称効果(Houthakker-Magee asymmetry effect)(注2)によって貿易収支が悪化しやすい傾向にある。(5)今回の日本貿易の数量・価格分解は、構造変化によってあらゆる側面で貿易収支が悪化しやすくなっていること、が明らかになった。

今回の研究成果が示唆していることに大胆な解釈を加えると、恒常的とも捉えられていた日本の貿易黒字は、今後は逆に恒常的な貿易赤字を経験する可能性が高いということである。しかし、貿易収支はフローの概念であり、たとえこのまま貿易赤字が続いたとしても、2015年末で339兆円もある対外純資産のような日本経済のストック変数に影響を与えるのはまだまだ先のことである。

図1:日本の輸入HS27類(鉱物性燃料及び鉱物油並びにこれらの蒸留物、歴青物質並びに鉱物性ろう)、NPインデックスによる金額・価格・数量指数
図1:日本の輸入HS27類(鉱物性燃料及び鉱物油並びにこれらの蒸留物、歴青物質並びに鉱物性ろう)、NPインデックスによる金額・価格・数量指数
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(注)RIETI DP(Sasaki and Yoshida, 17-E-042)の図5-(b)。点線の「Q27」が数量指数、破線の「P27」が価格指数。
脚注
  1. ^ 本研究のためのデータ整備として、97産業×全ての取引相手国×21年のパネルデータの全てを数量指数と価格指数に分解している。このデータは、RIETIのホームページで公開され、毎年更新される予定である。
  2. ^ 1960年代の米国の輸入所得弾力性が輸出所得弾力性を上回っていることが、米国の貿易赤字の原因の1つであることがH.S. HouthakkerとS. Mageeによって1969年の論文で指摘された。世界各国の所得が同じスピードで上昇すると、当時の米国(現在の日本)の貿易収支は悪化してしまう。