ノンテクニカルサマリー

美容産業における技術、質、環境要因が顧客行動に与える影響について

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「経済変動の需要要因と供給要因への分解:サービス産業を中心に」プロジェクト

近年のわが国は、非製造業がGDPベースで7割以上を占めるなど経済のサービス化が進んでいる。ひとくくりにサービスといっても、運輸、卸売、小売、金融、教育、医療、美容、クリーニング、宿泊など、多岐にわたる。サービスは日本経済にとっても、私たちの生活を便利に、快適に、豊かにする点からも重要である。本分析では、顧客との接点が多く、技術の評価が提供者のスキルのみならず、顧客自身の心身の状態も含めた顧客の経験と主観に依存するような美容、医療、介護、フィットネスクラブ、教育といった個人向けサービスを念頭に置いている。これらの業種は、GDPシェアは小さくないものの、従事する労働者が多いため労働生産性は低くなり、低生産性産業とみなされて賃金も相対的に低くなっている業種が多い。これにはさまざまな要因があるだろうが、以下の仮説を立ててみる。

顧客が一定時間滞在してサービスを受ける業種の場合、技術や質の水準に加えて、提供する場や環境も顧客満足度に関連する要素となることが予想される。これらに係るコストや質は価格に転嫁されているはずだが、サービスの同時性、不可分性、消失性といった特質が可視化や工程の分離を困難にし、また人に付帯することも多いため対価ゼロで提供されることも多い。この可視化できない部分が価格に転嫁されていないために、利益や賃金が上がっていないのではないかというのが仮説である。

そして、本研究の目的は、可視化できないが満足や品質と関連する「何か」を選別し、それらが顧客行動に与える影響を調べることである。対象とする顧客行動は再来店の有無と再来店した顧客のサービス消費額である。美容院業では、一般的に初回来店した客のうち約4割を失客するといわれている。本稿で対象としている美容院(期間:2003年から2010年、顧客数:約15000人)においても同様であった。顧客の来店行動は施術への満足と関連しており、前回までの施術の満足度が高ければ再来店すると考えると、美容院において顧客の定着は重要な経営課題となり得る。

そこで本稿では、通常の美容院が入手可能なデータを用いて、可能な限り顧客が施術を受けた際の環境や経験を再現し、再来店の要因と来店時のサービス購入額の決定要因を探る。その際、サービスに関する研究の蓄積が豊富なマーケティング分野の視点を活用し、技術的品質と機能的品質という概念を導入した。技術的品質は、「何人の髪を切れるか」を美容師のスキル変数とした。機能的品質には、顧客が経験した空間を再現すべく、美容室の混雑状況、担当美容師の混雑状況、担当美容師の疲労度などを変数として加えた。さらに個別の美容師への指名を各美容師のスキルに由来するロイヤルティ、物品購入を美容院の商品選択の質や美容師の推薦力に対する信頼やロイヤルティと考える。美容院の専売商品は単価が高いため(平均単価3700円、カットの平均単価は4700円)、購入者は店か美容師に対して信頼が厚いと考えられる。

表1は、性別、年齢、美容院から自宅までの距離、各美容師の時間変化しない特徴(話の上手さや容姿など)等をコントロールした上で、新たに7つの変数を加えて再来店確率とサービス購入額のモデルの推定結果である。推定式①は当日の支払金額、推定式②は前回までの平均支払額である。再来店確率とサービス購入額の両方にプラスに寄与するものは、美容師の技術に基づくロイヤルティ、美容院の商品品質に対するロイヤルティ、美容師のスキルであった。両方にマイナスの影響を与えるものとしては、美容師の疲労度(各顧客が担当美容師の何番目の顧客だったか)であった。美容室の混雑は、再来店する確率は下げるが、複数回来店している顧客の購買行動にはプラスに働き、また各美容師の忙しさはスキルとも関係すると考えられ、再来店確率にはプラスに寄与し、再来店した顧客の消費行動には影響を与えていない。以上の様に、今回導入した変数は美容師のスキル変数以外も顧客行動に影響を与えているという結果となった。つまり、サービス提供時間中に顧客と接点の多い美容業において、技術・スキル以外の要因も来店行動や購買行動に影響を与えることが観察された。

表1:推定結果(主要変数の抜粋)
表1:推定結果(主要変数の抜粋)

実証研究において、質や技術は資格、経験年数などを代理変数とすることが多いが、一般に日本のサービス業のこの種の技術の部分は十分に高いと考えられる。サービス業の問題は、製品とは異なり、質に対して価格が反映されにくいことである。それは、質が異質性を持ち、顧客満足が主観的であり、サービスの過程をすべて観測したり、分解したりすることが困難だからである。特に、対個人サービス業の様に、供給側で事前に準備すること以外に、顧客と共にサービスを創出する部分が、技術、質、満足に影響を与える業種では、技術、質、顧客満足の可視化や計測が困難となる。この可視化できない部分が価格に転嫁されていないために、利益や賃金が上がらず、実際に介護や保育といったいくつかの業種では、若者の労働時間や意欲が搾取されたり、職業自体が社会的価値に見合った評価を受けないという事態が起きている。「企業側が自身の技術や品質の正確な価値を理解していない」ことと、「顧客のWillingness to pay(支払意思額)を正確に把握できていない」ことに起因する技術と質の価格転嫁問題は、サービス業の生産性向上を進める上で重要な論点であり、今後の研究においてもこの点に注目し、価格に転嫁できる要素を探索していきたい。