ノンテクニカルサマリー

確率密度関数空間における関数線形回帰分析

執筆者 荒田 禎之 (研究員)
研究プロジェクト 持続的成長とマクロ経済政策
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム (第四期:2016〜2019年度)
「持続的成長とマクロ経済政策」プロジェクト

経済が成長し好景気が持続しているような時、所得格差、もっと広く言えば所得分布はどのようになっているのだろうか? 経済成長は貧困を解決してくれるのだろうか? このような経済成長と所得分布の関係についての議論は古くからあるが、近年、経済学者のみならず大きな関心を集めている問題でもある。

このような問題を定量的に議論する際、Gini係数のような「指標」が広く用いられ、それと他の経済変数との関係が議論される。しかし、不平等を表す指標はGini係数だけではない。たとえば総所得のうち所得トップ1%(または3%や5%)が占めるシェアも不平等を表す指標である。この他にもAtkinson指数やTheil指数など、経済学の文献の中ではさまざまな指標がある。

ここで1つ問題になるのは、これらの指標が必ずしも似た動きを見せる訳ではないという点である。ともに不平等を表す指標でありながら、ある指標は大きく変化し、他の指標はほとんど変化しないような場合、どのように理解すべきなのだろうか? 一体、これらの指標はどういう不平等を捉えているのだろうか? 不平等と一言で言っても、たとえば極端に所得の高いごく少数の集団の存在によって不平等が高まることもあるかもしれない。もしくは人口を二等分するような二極化が起こることで不平等になるのかもしれない。指標を見ているだけでは、指標の変化が背後にある分布のどのような変化によってもたらされたのかが分からない。これが、指標が統一的な動きを見せないときに我々が戸惑う根本的な理由である。

この問題の根本的な解決方法、それは分布そのものを分析対象にすることである。つまり指標が他の変数に関係してどう動くかではなく、分布自体がどう動くのかが分かれば全て解決する。そして、これこそが本研究の目的である。

本研究では従来の実証研究のように1次元の確率変数を考えるのではなく、分布、正確には確率密度関数が1つの確率変数と考える。以下の図1は日本の所得分布(zは所得を平均で除したもの)の推移を見ているが、1年ごとに観察されるこの確率密度関数1つ1つが、経済成長のような変数によって影響を受け、またランダムなショックによって変化する確率変数なのである。これを前提として本研究では所得分布の確率密度関数を従属変数とし、GDP成長率を説明変数とする回帰モデルを導入した。直観的に言えば、教科書的な回帰モデルの左辺にある従属変数が図1の確率密度関数に置き換わったということである。そして、回帰モデルの係数も推定、テストすることが出来る。意味合いは教科書的な回帰モデルと同じであるが、異なる点は係数が関数であるという点である。

図1:所得分布の推移
図1:所得分布の推移
図2:推定された関数係数
図2:推定された関数係数

その推定された係数が図2である。詳細は論文に譲るが、横軸が所得(平均で除しているため相対所得)、縦軸が確率密度関数のプラスの経済成長の時の変化と見なせば良い。図2が示しているのは、プラスの経済成長の時、相対所得zが約0.5弱(つまり平均の半分弱)の所得層が大きく増え、z=0.75周辺で減少し、z>1.5の所得層はあまり変化しないということである。この結果は経済成長とGini係数が正の関係を示すことになるが、その変化は低・中間所得層の変化によって引き起こされることを意味している。これがGini係数のような指標の背後にある分布の挙動である。

この分布の挙動の経済的なメカニズムについて考えてみよう。相対所得zが約0.5弱の低所得層の増加は労働者が景気回復によって新しく労働市場に参入してきたということの反映と考えられる。新しく職を得た労働者の所得は低くなりがちであるから、低所得者層の増加という分布の変化になったと考えられる。しかしそれだけでは図2を説明できない。もし低所得者層が絶対数として増加するなら、高所得者層も中間層と同じように減少を示さねばならないが、図2の右側の部分は0周辺に戻っており、分布の変化はほとんどないのである。つまり、中間層が減る一方で、低所得者層の増加を埋め合わせる分の高所得者層の絶対数の増加があるのである。突如として高所得を得るというのは考えにくいことであるから、これは中間層の一部が高所得者層へ移動していると考えるのが一番自然であろう。まとめると、経済成長によって引き起こされる変化は新規労働者の労働市場への参加と中間層がよりよい職へ移るというこの2点で説明されるということである。

最後に、この分析手法では所得分布が持つ情報は密度関数という形でそのまま推定に使われるので、何らかの指標に依った従来の方法では捉えられなかったインプリケーションを得ることが可能になる。経済において分布というものは所得分布に限らず、たとえば資産分布、企業規模の分布、生産性の分布など、多々ある。そのため、分布をそのまま分析する以上のような分析手法の応用範囲は広いものと考えられる。