ノンテクニカルサマリー

上司が部下のメンタルヘルスと生産性に与える影響:パネルデータを用いた検証

執筆者 黒田 祥子 (早稲田大学)/山本 勲 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 企業・従業員マッチパネルデータを用いた労働市場研究
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「企業・従業員マッチパネルデータを用いた労働市場研究」プロジェクト

現代におけるほとんどの仕事は個人で完結するものは少なく、その多くはチーム生産であり、チームには上司と部下という関係性が存在する。しかしながら、これまでの経済学の研究では、上司と部下との関係性に着目した研究は意外なことに必ずしも多くの蓄積がなされてこなかった。また、経済学の研究では職場のメンタルヘルスに関する研究も非常に少ない。そこで本稿は、蓄積の少ない2つのテーマを併せて検証し、上司の良し悪しが、部下のメンタルヘルスや生産性にどのような影響を及ぼしているかを明らかにすることを目的としたものである。

平成27年度「過労死等の労災補償状況」(厚生労働省)によれば、精神障害に関する労災補償の支給決定要因としては、「仕事の量・質」といった業務自体にまつわる要因も大きいウエイトを占めるものの、それ以上に大きな要因として「対人関係」が挙げられ、さらに「対人関係」の中でも、「上司とのトラブル」に起因した案件は、支給が決定した1306件のうち259件と、全体の2割に上っている。そこで本稿では、同一個人を複数年にわたり追跡調査したデータ(サンプルサイズ:5840)を元に、それぞれの労働者から集めた上司に関する情報を利用して、どのような上司の下で働く労働者が、メンタルを毀損したり、生産性を低下させたりする傾向にあるのかを検証した。

上司の良し悪しの指標としては、以下の7つの指標、(1)上司は、評価結果を納得がいくようにきちんとフィードバックしてくれる、(2)上司と部下のコミュニケーションはよくとれている、(3)上司は、部門のメンバー内での情報を共有するように工夫している、(4)上司はとても優秀である、(5)上司は出世街道を順調に歩んでいる、(6)上司は私の職務内容を良く把握している、(7)上司は私が不在の場合、私の仕事を代わりに行うことができる、を採用した。(1)〜(3)は、主としてコミュニケーションや情報共有などといった上司と部下との人間関係に関する設問であり、(4)〜(7)は部下から評価した上司の仕事遂行能力に関する設問と位置付けることができる。図1および図2には、それぞれの設問項目に関する解答を単純集計したものを掲載した。これらの図をみると、それぞれの項目でばらつきがあることが分かるほか、特に人間関係にまつわる図1をみると、上司との関係でコミュニケーションや情報共有がうまくいっていないと回答している労働者が2-3割程度存在していることがみてとれる。

そこで、これらの情報を使って、どういう上司の下で働いている労働者がメンタルヘルスを悪くする傾向にあるかを推計したところ、性格特性や元々のメンタルのタフさといった個々人に固有の要因や、労働時間や仕事の負荷といった業務に関連する情報を統御したとしても、悪い上司の下で働いている部下のメンタルヘルスは、良い上司の下で働いている部下のメンタルヘルスに比べて、統計的に見て有意に悪い傾向にあることが明らかとなった。特に、上述の7つの指標のうち、最も部下のメンタルヘルスに影響を与えているのは、「上司と部下のコミュニケーションはよくとれている」、次いで大きな影響があったのは「上司はとても優秀である」という変数であった。普段からコミュニケーションが良くとれていることに加えて、上司の仕事追行能力が高いと、その下で働いている部下のメンタルヘルスが良くなる傾向にあることが示唆される。

また、メンタルヘルスだけでなく、2つの生産性指標((A)「プレゼンティイズム」指標(生産性の低下度合いを測る労働者の主観指標)、(B)「過去1年以内に転職を考えたか」)で測った場合も、「上司と部下のコミュニケーションはよくとれている」ことと、「上司はとても優秀である」ということが、統計的に有意に影響していることが分かった。これらの結果は、上司と部下との悪い関係は部下のメンタルヘルスを毀損させているだけでなく、生産性の低下や離職行動を通じて、企業業績にも大きく影響をもたらしうることを示している。

2015年12月に改正労働安全衛生法によるストレスチェックが義務化されてから、ちょうど1年が経過したが、ストレスチェックをするだけでは意味がなく、ストレスチェック後の職場改善の対策がない限り、一次予防にはならないという指摘は頻繁になされている。本稿の結果は、こうした職場改善には、働き方改革の目玉となっている長時間労働是正だけにとどまらず、上司と部下との関係というソフト面の改善の重要性を示唆している。

図1:上司と部下との関係
図1:上司と部下との関係
図2:部下からみた上司の仕事遂行能力
図2:部下からみた上司の仕事遂行能力