ノンテクニカルサマリー

独占的権利と経済成長:逆U字曲線

執筆者 植田 健一 (ファカルティフェロー)/Stijn CLAESSENS (米連邦準備制度理事会 / アムステルダム大学 / CEPR)
研究プロジェクト 国際金融と世界経済:中長期的な関連
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「国際金融と世界経済:中長期的な関連」プロジェクト

構造政策、特に労働関連法規や銀行規制などは、ミクロの企業活動に影響を与えることは理解しやすいが、それがマクロレベルの投資や経済成長にどのような結果をもたらすかは、より深い考察が必要となる。とりわけ、日本や西欧諸国では強すぎる労働者保護が企業活動を制限していると、理論的、実証的に示されてきている。その一方で、中国などの発展途上国では(そしてかつての日本でも「女工哀史」にみられるよう)、労働者の権利が十分に守られていないと指摘されることが多い。

そして、発展途上国における最低限の労働者保護の欠如が(不当な)労働コストの低下を通じて、貿易や国際投資を歪め、先進国の経済を不当に苦しめているのではないかという見方がある。それはたとえばTPPに強くあらわれている。即ち、労働基準や環境基準の遵守というのはTPPの主要項目となっているのである。しかし、それらは途上国の実情に合わないなどと反対されることも多い。

しかし、どんな労働者保護もマクロ経済に悪影響を与えるということであれば、むしろ先進国側もそのように労働関連法規を改定すべきだが、果たしてそうだろうか。残念ながら、先述の通り、ほとんどの先行研究は欧州や日本の強すぎる労働者保護の問題点を理論的、実証的に明らかにしてきており、ほとんど労働者保護がないところに、必要最小限と思われる保護を加えたときの影響を研究してきていなかった。

本研究では、解雇規制のような労働者保護は、何もないよりは必要最小限ある方が、経済成長にも好影響を与え、しかしながら度が過ぎると経済成長に悪影響を与えるということを、理論的に明らかにした。すなわち、横軸に相対的労働者保護(λで表記)、縦軸に経済活動水準(企業利益profit)で近似を取ると、図1のようにお椀型(逆U字型)を取ることを示した。なお、この労働者保護の水準は実質的な労働者の権利の強さであり、必ずしも労働関連法規だけで決まるものでもない。とりわけ銀行を中心とする資本の提供側からの企業経営への介入が、労働者のリストラも含め、規制等による銀行の独占的地位が強い時によくみられると考えられる。

実証研究においては、先行研究が強すぎる労働者保護の悪影響(逆U字の右側の下降部分)をすでに明らかにしていることから、本研究では、必要最小限な解雇規制を導入した場合の経済成長への好影響があるか確かめることを目標とした。

雇用の保護がほとんどない国の代表で、なおかつ制度変更や経済成長のデータがそろっている国はアメリカである。実際、アメリカでは1970年代から90年代にかけ、徐々に必要最小限の解雇規制を州ごとに導入してきた。それまでは、"you are fired"(お前はクビだ)と一言言えば、経営者は簡単に労働者をその場で解雇ができた。しかし、たとえば陪審員として裁判所への登庁義務がある時に、不在を理由に解雇したり、また上司や同僚が法令を遵守しない場合それを警察や監督官庁に報告したことを理由として(組織を裏切ったとして)解雇するケースなどは、公共的観点から見て解雇権の乱用と考えられ、そのような解雇は無効となってきたのである。

本研究では、そのような解雇権の必要最小限と思われる制限は、高度な知識を活用する程度が高い産業の成長を促すことを実証的に示した。これは本研究の理論と整合的である。その反面、単純労働が主な産業では、そのような最小限の解雇規制でも成長を抑制することを示したが、これは先行理論と整合的である。さらに実は、本研究の理論とも整合的である。本研究の理論の根幹は、解雇の恐れを少なくすると労働者がより高度な企業に特有な知識や技能を高めていくというメカニズムであり、したがって、単純労働が主な産業では本研究の理論結果のうち、労働者保護の好影響(逆U字の左側の上昇部分)は当てはまらないのである。だが、両産業での影響を合わせて考えれば、解雇権の必要最小限の制限は、より知識集約型の産業の成長を促すこととなり、経済全体における産業構造の高度化を通じて、結果的に経済全体に好影響を与えることとなる。

実証研究では、さらに労働者の保護されている程度は銀行など債権者の制度的な強さにもよるという理論上の論点も調べた。アメリカでは同じく1970年代から90年代前半にかけて、それまで各町に1つしか認められていなかった銀行が、支店を通じて他の町にも業務展開できるように規制が緩和されてきた。その前は、1つの町に1つの銀行しかなかったのである。この銀行規制の緩和も、徐々に州ごとに行われたが、銀行の町ごとの独占が崩されるとともに、州経済の成長も上昇してきたことが先行研究でわかっている。本研究では、さらにこの銀行の独占力が低下することで、(企業による労働者解雇への圧力の低下を通じ)労働者の実質的な保護が高まったということを、実証的に示した。すなわち、労働関連法規と金融関連法規は関連しながら経済に影響を与えるのである。なお、ここでは、州ごと産業別のパネルデータを用い、時代的・地理的背景などの影響を極力取り除く方法で分析をしているため、この実証結果はアメリカの70年代から90年代に限られず、普遍的なものといえる。

まとめれば、債権者が必要以上に力を持たないようにする金融関連法規の改正と、労働者を最小限は保護しつつも企業の解雇権を確保するという、バランスのとれた構造政策が、それぞれの国、地域にとって、産業を高度化し、経済全体の成長を促すという、ある意味で当然のことを、本研究は理論と実証の双方で明確に示した。このような構造調整は、日本や欧州など特に労働市場が硬直的で、銀行主体の金融システムを取っている国々で、今までもなされて来たがさらに追求されるべきものである。一方、国際的な場では、発展途上国に対して、必要最小限の労働者保護を導入することや、民営の銀行による健全な競争を促進することは、途上国自身の経済発展に資するものであると、しっかりと理解を促すようにすべきである。それがまた、フェアな国際金融・貿易システムの根幹となり、先進国経済にも繁栄をもたらすこととなる。

図1:労働者保護と経済活動水準
図1:労働者保護と経済活動水準