ノンテクニカルサマリー

人民元の国際化:日本の企業データに基づく分析

執筆者 佐藤 清隆 (横浜国立大学)/清水 順子 (学習院大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

国際マクロプログラム (第三期:2011〜2015年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

近年、中国は人民元の国際化を積極的かつ独自の手法で推進してきた。通常、通貨の国際化は当該通貨に係る規制緩和と金融・資本市場の整備・開放が条件となるが、中国は多くの資本規制を残したまま、2008年12月以降順次締結した二カ国間スワップ協定を背景に、2009年7月から人民元建てクロスボーダー貿易決済を解禁し、元決済の試行を開始した。2011年には人民元建て対外・対内直接投資、RQFII(人民元建て適格外国機関投資家)制度も始動し、香港を中心とした人民元のオフショア市場を活用して、人民元決済は拡大している。2015年末までに香港やロンドンをはじめとする世界18カ国・地域の市場にクリアリングバンクが設置され、オフショア人民元(CNH)取引も増大し、オンショア人民元(CNY)との相場の乖離が昨今の為替市場では注目されている。

上記のような積極的な人民元の国際化政策を反映して、元建て貿易取引のシェアは中国―香港間の貿易を中心として近年急増している。SWIFT(国際銀行間通信協会)によれば、世界の決済通貨に占める人民元のシェアは2011年6月時点の0.24%から大きく増加し、2015年8月時点で2.79%となり、日本円(2.76%)を抜いて4位になった。このように、決済や貿易取引における人民元の使用拡大が報告されているが、企業レベルの貿易取引の実態はどのようになっているのだろうか。RIETIが日系海外現地法人を対象として2010年夏と2014年末に行ったアンケート調査結果に基づき、中国や他のアジア諸国で事業展開する日系現地法人による人民元利用の実態を明らかにしてみたい。こうした日系現地法人を事例とした人民元利用の調査は、中国における多国籍企業の貿易建値通貨選択行動の研究として位置付けることができる。

分析の結果、中国所在日系現地法人においては、国内での人民元取引を拡大しているものの、海外との輸出入における人民元利用はさほど増えず、依然として米ドル建て取引が支配的である一方で、日本の本社企業との企業内貿易においてのみ、人民元建て取引が顕著に増加していることが確認された。表1は、中国に所在する日系現地法人企業(製造業)の貿易建値通貨選択を、2010年調査と2014年調査の間で比較検討したものである。これによると、中国所在日系現地法人が日本から中間財を輸入する際に人民元建てシェアが増加しているが、貿易相手が本社であるときにその傾向が顕著である。さらに、日系現地法人が日本へ完成品・中間財などを本社相手に輸出する際にも人民元建てが増加している。すなわち、本社と中国所在日系現地法人との間の企業内貿易において、人民元利用が拡大しているのである。

一方で、中国以外のアジア諸国に所在する日系現地法人は、対中国取引を除いて人民元をほとんど使用していないことが明らかになった。アジア所在日系現地法人に今後の人民元建て取引の見通しを尋ねたところ、中国、香港、台湾を除くアジア諸国の現地法人では増加させるとした回答の割合が極めて低かった。

図1:アジア所在日系現地法人(製造業)の貿易建値通貨選択(単位:%)
図1:アジア所在日系現地法人(製造業)の貿易建値通貨選択(単位:%)
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注)アジア諸国(アジア全域、中国、ASEAN-6)に所在する日系現地法人(製造業)を対象としたアンケート調査結果。2010年調査と2014年調査の比較。

欧州企業の中には、積極的に人民元建て取引を利用し始めている企業も見られるとの情報もある中で、日系現地法人がアジアで人民元建て決済を拡大しているのは香港、台湾などの一部の地域のみ、かつ本社子会社間である。日系現地法人が積極的に利用していない一因としては、日本と中国の通貨の国際化の違いが影響していると考えられる。日本が、円取引の資本規制を撤廃しながら円の国際化を進めてきたのに対して、中国は資本規制を残したままオフショア市場を活用することで、独自の人民元の国際化を進めてきている。円の国際化の過程を経験してきた日本企業は、資本規制が残っている人民元を貿易取引で使える通貨として認識(信頼)せず、積極的に使おうとしない。そのような両国の国際化の進め方の違いが日本企業の人民元の利用を妨げているのではないかと考えられる。

中国所在の日系現地法人は、人民元の受取や支払いが増えていると回答している。今後、人民元がより取り扱いやすくなり、貿易建値通貨の新たな選択肢の1つとして企業内貿易で使われるようになれば、オペレーショナル・ヘッジなどの利用による為替リスク削減効果は高い。中国に進出している日本企業の多さを考慮すれば、人民元がもっと使いやすい通貨となることは日本企業にとっても大きなプラスとなる。現在日系企業は、上海や香港の人民元オフショア市場を利用して人民元取引を行っているが、東京市場に設置された円・人民元直接交換市場の利用率は、アンケート調査結果を見ても極めて低い。中国政府によって二カ国間の通貨スワップ協定が締結され、人民元のクリアリングバンクが設置されたロンドン市場では、人民元建ての預金や為替・デリバティブ取引が行われるようになるなど、その取引規模が拡大している。同様に、大企業から中小企業までの多様な日系企業をカバーするためには、東京にも人民元クリアリングバンクが設置され、オフショア人民元の取り扱いが活発になることが必須となろう。そのためにも、日中間における金融対話が再開され、二国間の金融協力が進展することが期待される。