ノンテクニカルサマリー

オーストラリアにおける競争中立性規律―TPP国有企業規律交渉への示唆―

執筆者 川島 富士雄 (名古屋大学)
研究プロジェクト 現代国際通商・投資システムの総合的研究(第II期)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第II期)」プロジェクト

2015年に入り環太平洋経済連携協定交渉(以下「TPP交渉」という)が大きな進展を見せている。これまで同交渉を長らく難航させてきた要因として知的財産、投資といったテーマが指摘されるが、それらと並んで「国有企業に対する規律」が大きな争点となっている。同規律案は米国国内産業からの国有企業などに対する優遇策が競争歪曲をもたらしているとの強い懸念を受けたものだが、同交渉の厳格な情報統制のため、その正確な内容はいまだ公表されていない。

本稿は、TPP交渉における「国有企業に対する規律」交渉過程を、公となっている情報に基づき、たどった上で、国有企業などに対する優遇措置がもたらす競争歪曲を除去するための規律、いわゆる「競争中立性規律」に関する先進国であるオーストラリアの経験を紹介する。同国の「競争中立性規律」は、国有企業に対する税優遇、規制上の優遇などが、市場における民間企業との競争を歪曲することのないように、一定の調整金を支払う、又は本来あるべき税負担、規制コストなどを考慮に入れ、価格水準を調整することを義務付ける規律である。同国が同規律を導入するに至った経緯、同規律の内容および具体的事例の検討を通じて、TPP交渉における「国有企業に対する規律」案の意義と背景、その成立可能性、規律導入に際し考慮すべき要素および成立した場合の国内実施のあるべき姿について幅広く示唆を得るよう努める。あわせてオーストラリア型の規律を代替的な「競争中立性規律」と比較対照しながら、国際経済法における「競争中立性規律」の必要性と発展可能性について検討し、展望する。

オーストラリア競争中立性規律とTPP交渉への含意

1.オーストラリア競争中立性規律の導入の背景には、1980年代以降、同国において政府事業と民間企業が同一市場において競争する場面が増え、前者に対する優遇措置が競争歪曲をもたらしているとの問題意識があったが、21世紀に入り国家資本主義国と称される国々の国有企業が国際市場での存在感を高め、民間企業と競争する場面が増加し、これら国有企業に対する優遇措置の競争歪曲効果に関心が高まった結果、現在のTPP交渉における国有企業規律案の検討につながった経緯とも大きな共通点がある。

2.オーストラリア競争中立性規律は、米国からの批判に反し、その実施体制および実施方法は十分な実効性を確保しており、苦情処理手続きも一定の成果を上げている。しかし、同規律はオーストラリアの統治システムや法原則に適合的に設計されており、その内容を直ちに国際レベルの規律として採用することは困難である。しかし、国有企業に対する優遇措置がその価格設定に反映されないことを確保する事前規律の内容や苦情処理手続を含む実施および監督体制はきわめて示唆的であり、TPPなど国際レベルで国有企業規律が導入された場合の国内実施に関するモデルを提示していると考えることができる。

3.オーストラリアにおいて競争中立性規律を含む改革が成立することとなった背景には、1990年代初に同国の連邦および州政府間で、全国市場の未統合に起因する経済効率の低さに関する危機意識が共有されていたこと、および財政上のインセンティブ制度の導入がある。他方、TPP交渉参加国、或いは世界各国の間で、これと同じレベルの危機意識が共有されているか疑問がある。一方で国有企業の躍進に神経をとがらせている先進各国と他方で国有企業の経済に占める比率の高い国々の間では、その危機意識に大きな差があることは容易に予測できる。とりわけ、マレーシアのように国有企業がその国の政治経済上、不可触な領域と位置付けられている国との間では、他の分野における利益の提供によっても、コンセンサスを得ることは困難であると考えられる。

4.オーストラリアにおける競争中立性規律において、コミュニティ・サービス又はユニバーサル・サービス義務などの他の公共利益への配慮が十分払われていることなどに照らせば、TPP国有企業規律の導入に当たっても、この点についての配慮が重要な論点となることが予想される。しかし、同交渉において、この点に関し十分な議論が尽くされたとは見受けられず(表1の(6)「その他調整」欄参照)、その成立の見通しは必ずしも明るくない。

5.オーストラリアにおける競争中立性規律とTPP国有企業規律案は、WTO補助金協定の規律と比べれば、物の貿易分野だけでなく、サービスの貿易の分野も適用対象に含める、従来の「補助金」の定義を超える優遇措置を規律対象とするなどの共通点がある一方で(表1参照)、前者が優遇措置の存在を前提に、国有企業に対し、その価格設定の時点で、競争上の優位を相殺するよう調整を求める事前規律であるのに対し、後者は国家が競争歪曲効果をもたらすような形で国有企業に対し優遇措置を与えることそれ自体を禁止し、競争歪曲効果が生じた場合に、事後的な紛争解決を用意するものであり、その規律の客体や性格が異なる。TPP国有企業規律案は、サービスの貿易も適用対象に含めることから、既存のWTO補助金協定の規律など、広義の「競争中立性規律」の欠缺を埋めようとする試みである一方で、オーストラリアの経験に照らせば、その性格上、従来以上に「他の公共利益」とのバランス確保が重要となる。同交渉の今後の行方が注目される。

表1:規律対象措置の比較
規律分野豪競争中立性TPP国有企業規律案WTO
(1) 税制(社会保障費含)○補助金ルール(物)
○GATS内国民待遇(サ)
(2) 債務保証・補助金○補助金ルール(物)
○GATS内国民待遇(サ)
(3) 規制○?○内国民待遇(物、サ)
(4) 収益率○アンチダンピング(物)?
×GATSルールなし
(5) 情報△?△?内国民待遇(物、サ)
(6) その他調整?(交渉不十分か)×(物、サ)
注 物=物の貿易に関するルール、サ=サービスの貿易に関するルール