ノンテクニカルサマリー

日本における準市場の起源と展開―医療から福祉へ、さらに教育へ

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究 (第三期:2011~2015年度)
「官民関係の自由主義的改革とサードセクターの再構築に関する調査研究」プロジェクト

1.準市場の拡大

医療や福祉においては、税により資金を調達して行政直営で供給する公共型、社会保険で資金を調達して民間主体も含めた供給体制をとる社会保険型、主に民間保険と民間供給者によって構成される自由型の3類型が見られる。社会保険型は、公的資金で購買力を補助された利用者が供給者を選択でき、それゆえ供給者間で競争が起こる準市場(quasi-market、バウチャー制度ともいう)を伴う場合が多い(ただし税と準市場の組み合わせもありうる)。

日本では、福祉においては戦後直後に確立した公共型に近い措置制度が主軸となってきたが、1990年代以降の福祉基礎構造改革のなかで、保育所(完全ではない)、高齢者介護、障害者福祉などの分野で次々に準市場が採用されてきている。2015年4月から施行された子ども・子育て支援新制度では保育所と幼稚園に準市場が導入された。

しかし、実は1922年に成立した国民健康保険法において、実質的な準市場が採用されたという事実がある。これが戦時中に対象を拡大し、戦後には市町村公営に転換してさらに対象を拡大し、1961年の国民皆保険に至ったわけである。

他の国においても、従来は公共型の典型であったイギリスの医療が1980年代以降の改革の中で準市場に転換し、自由型の典型であるアメリカの医療ですら、準市場(社会保険)までは至らないものの、特定の者向けの準市場の対象を拡大し、さらにその対象になっていない者にも民間保険に加入することを義務付けるという形で準市場に一歩近づいた。

日本についていえば、1997年からの保育所への利用制度の導入、2000年からの介護保険制度の実施、2003年からの障害者福祉における支援費制度の実施(2005年障害者自立支援法、2012年障害者総合支援法でも継承)、2015年の子ども・子育て支援新制度実施と、福祉のほとんどの分野において準市場が導入されるという注目すべき拡大がみられる。

2.我が国の準市場の改善に向けて

準市場は、公共サービスの利用者の購買力を公的資金の配分によって強化したうえで、どの事業者からサービスの提供を受けるかの選択権を利用者に与える制度であるため、利用者の権利や立場を強めるとともに、利用者に選択されるための事業者間の競争が活性化されるため、事業者の提供するサービスの質や効率性の全体としての向上が期待される。

ただし、準市場が期待される効果を生み出すためには、それが分野やさまざまな条件に対応した「適切な制度設計」が不可欠である。

たとえば、準市場研究の第一人者であるイギリスのジュリアン・ルグランは、教育の分野に即して次のような事項を保障するようなメカニズムを工夫することが必要だという。

「新しい供給者の参入が容易であること、退出が存在すること、重要な決定が政治の干渉から免れていること、選択に当たって親が、特に低所得の親が必要な情報や支援を与えられていること、なかでも、特に親や低所得層向けに通学費用の支援があることである。そして、いいとこ取りの機会や誘因は排除されるべきである」

日本の医療、福祉、教育の一部に導入されている準市場の現状を見ると、まず第1に、準市場という固有の制度を採用しているという自覚が乏しく、そのため、制度のメリット、デメリットを踏まえてより質の高い効率的なサービスを実現するために制度設計を工夫するという姿勢が確立し切れていない点が最大の問題として指摘できる。

近年、ようやく、分野横断的に準市場の実態を検討する研究も現れ始めているが、それらの多くは、市場メカニズムを導入すること自体への原理的批判を前提にしているため、制度設計の改善提案へと結びつきにくい議論になっていることが惜しまれる。

今後は、医療、高齢者介護、障害者福祉、保育、教育などの分野の特徴を踏まえ、また都市部と過疎地などの地域的条件の違いなども考慮にいれつつ、準市場の実際の運用実態を検討することによって、より良い公共サービスを実現するための制度設計の改善提案を生み出すような実践的な研究が必要とされている。その際は、準市場という制度の共通性を踏まえることで分野横断的な検討が体系化されうるので、ルグランの研究を初めとした準市場研究の蓄積を基礎とすべきであろう。

最後に、日本の準市場の固有の問題点として、医療、幼稚園、高齢者福祉施設などにおいて、特定の法人形態の事業者だけに参入を独占させているという点を指摘しておく必要がある。これは、日本国憲法89条の「公の支配」条項をクリアするために、社会福祉法人、医療法人、学校法人などの分野毎の公益法人を制度化し、同時に、社団法人、財団法人も分野毎に主務官庁の監督下に置く「主務官庁制」が構築されたことによるものである。

このことが、これらの分野での公共サービスにおいて、事業者間の競争を抑圧し、利用者の選択権を制約することで、質の高い効率的な公共サービスの実現を妨げてきた。これはまた、日本のサードセクター組織が主務官庁制のもとで著しく分断され、統一的なサードセクターが構築されなかった最大の原因でもある。介護保険(在宅)、障害者福祉、保育においては民間企業も含めた参入の自由化が実現しているので、これが他の分野にも拡大されることが期待される。