ノンテクニカルサマリー

グローバル生産・販売ネットワークにおけるインボイス通貨の選択:日系海外現地法人へのアンケート調査に基づく研究

執筆者 伊藤 隆敏 (ファカルティフェロー)/鯉渕 賢 (中央大学)/佐藤 清隆 (横浜国立大学)/清水 順子 (学習院大学)
研究プロジェクト 為替レートのパススルーに関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

国際マクロプログラム (第三期:2011~2015年度)
「為替レートのパススルーに関する研究」プロジェクト

為替レートの大幅な変動に対して、日本企業は海外に生産・販売拠点を展開してきた。たとえば、アジア域内に多くの現地法人を抱える日本企業は、アジア域内および現地市場での工程間分業を推し進め、本社と海外現地法人、あるいは海外現地法人同士の貿易が急速に拡大してきた。こうした企業内貿易における日本企業の為替戦略および価格設定行動は、大変興味深い研究テーマである。

為替レート変動に対する輸出入企業の価格設定行動を分析する手法として、為替レートのパススルーに関する研究が盛んに行われてきた。また、輸出入企業の貿易契約通貨(インボイス通貨)の選択が(少なくとも短期的には)為替レートのパススルーと密接な関係にあることが明らかにされている。それでは、日本企業がアジアで活発に展開する企業内貿易において、インボイス通貨はどのように選ばれているのだろうか。

企業内貿易におけるインボイス通貨選択や価格設定行動は、近年盛んに研究されている国際価値連鎖との関係でも重要な研究課題である。しかし、企業のインボイス通貨選択行動の実態を分析した研究は、これまでごくわずかの例外を除いて存在しなかった。その最大の理由は、こうした情報(データ)が公開されていないこと、あるいは情報があるとしても全く入手できないことにある。

本論文は、2010年8月に日本企業の海外現地法人1万6000社を対象として実施された「平成22年度日本企業海外現地法人アンケート調査」の回答結果をもとに、日系海外現地法人のインボイス通貨選択の決定要因を実証的に分析している。このアンケート調査は本社企業に調査票を送るのではなく、海外の現地法人に直接調査票を送り、回答を得るという形態をとっている。海外の現地法人を対象としてインボイス通貨選択や為替リスク管理に対する実態を明らかにする初めての調査である。特に、生産拠点と販売拠点の2つの視点からアンケート調査結果を整理し、現地法人の所在地別そして取引相手国・地域別にインボイス通貨選択のパターンを考察した点に大きな特徴がある。

このアンケート調査結果を活用し、生産拠点として活動する日系現地法人のインボイス通貨選択行動とその決定要因について分析を行った。

表1:日系現地法人(生産拠点)の海外諸国に対する輸入・輸出におけるインボイス通貨選択
表1:日系現地法人(生産拠点)の海外諸国に対する輸入・輸出におけるインボイス通貨選択
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表1は日系現地法人(生産拠点)の輸入・輸出におけるインボイス通貨選択を、現地法人の所在地別に示したものである。1a) は日本から、1b) は日本を除く海外諸国からの中間投入財の輸入におけるインボイス通貨選択を示している。アジアとヨーロッパに所在する現地法人は日本からの中間投入財輸入の50%以上を円建てで取引している。しかし、北米所在現地法人の場合は日本からの輸入においても80%近くをドル建てで取引している。注目すべきは、アジア所在現地法人が日本から中間投入財を輸入する場合でも40%がドル建てで取引されている点である。次に、2a) は現地法人の日本向け輸出を、2b) は現地法人の海外諸国(日本を除く)向けの輸出におけるインボイス通貨選択を示している。最も注目すべきは、アジア所在現地法人の日本向け輸出においてドル建て取引が円建て取引のシェアを上回っている点である。

なぜアジア所在現地法人の日本向け輸出でドル建て取引が大きいのだろうか。今後、円建て取引が伸びる余地はあるのだろうか。この問いに対して、ロジット・モデルを用いて「日系現地法人の日本向け輸出におけるインボイス通貨選択の決定要因」を分析した結果、以下の4点が確認された。第1に、日系現地法人は企業内貿易を通じて中間財の調達を行うほど、日本向け輸出を円建てで行う傾向が強くなる。円建てでの中間財調達も日本向けの円建て輸出に有意に正の影響を与える。第2に、日本向け輸出が企業内貿易であると円建て取引を選好する。つまり、同一企業グループ内での生産連鎖を通じて日本に輸出を行う場合は、円建て取引が高まることになる。しかし第3に、当該企業の海外売上高に占める米国向け売上高のシェアが高いほど、つまり米国市場での販売依存度が高いほど、日系現地法人の日本向け輸出もドル建てが選ばれる傾向が強くなる。第4に、ネッティングなどの効率的な決済方法をとる企業ほど、現地法人の日本向け輸出を円建てで行う傾向がある。

これに対して、「日系現地法人の日本以外の国への輸出におけるインボイス通貨選択の決定要因」を分析した結果、輸出国通貨の輸出相手国通貨に対する為替レートのボラティリティが主要国通貨(米ドル、ユーロ、英ポンドなど)建ての輸出に有意に正の影響を及ぼすのに対して、企業内貿易に関わる要因は主要国通貨の選択に有意な影響を与えないことが確認された。これは、為替レートのボラティリティが大きいほど、輸出先が先進国の場合は先進国通貨建て輸出を、そして輸出先がアジアなどの新興国市場や途上国の場合は米ドルなどの国際通貨建て輸出を海外現地法人は選択することを示唆している。すなわち、為替リスクが最も重要な決定要因であることが明らかになった。

以上の分析結果は、日本企業がアジアに生産ネットワークを構築し、企業内貿易が活発に行われるようになっても、現地法人が日本向けに輸出を行わない限り、円建て取引が容易に増加しないことを示唆している。日系現地法人が日本以外の諸国に輸出を行う限り、アジアの貿易取引における円の使用は大きく伸びないだろう。また、世界的な金融危機後に一時的に米ドルの資金調達が困難になったことから、アジアでの過度なドル依存を改善するためにも、域内貿易取引で現地通貨取引を促進することが1つの政策課題となっている。本論文の分析結果は、アジア通貨の為替相場の安定がアジアで現地通貨建て取引を促進するために不可欠になることを示唆している。