ノンテクニカルサマリー

地域貿易協定における労働条項:その労働基準および貿易への影響

執筆者 鎌田 伊佐生 (ヴィジティングスカラー)
研究プロジェクト 通商協定の経済学的分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「通商協定の経済学的分析」プロジェクト

近年の経済グローバル化の進展に伴い、貿易・投資による国際的競争激化が各国の労働条件を悪化させているのではないかという懸念(所謂「底辺への競争」など)が高まっている。こうした世論を受け、一部の先進国(米国やEU諸国など)はGATT・WTOルールに所謂「労働条項」――協定加盟各国に一定の労働基準の維持・遵守を求める、あるいは輸出促進のために労働基準を“不当に”抑制している国に対する貿易上の制裁措置を認める条項――を盛り込もうと試みてきたものの、こうした提案は「労働条項」の保護主義的濫用を恐れる多くの途上国の反対により実現に至っていない。しかしながら、WTOドーハ・ラウンドの不調を受け各国が貿易自由化の進展を二国間あるいは複数国間での通商協定(所謂地域貿易協定:RTA)に求めつつある現状において、「労働条項」の導入に熱心なこれら先進国を中心にRTAを通じて通商協定への労働規定の導入を図るケースが増えている。

こうした「労働条項」をRTAに盛り込む(少なくとも表向きの)政策意図は国内の労働基準・条件の悪化防止や改善にあるはずである。他方、RTAに「労働条項」を含めることで、(労働条項を含めない場合に比べ)合意可能な相手国が限られる、協定の交渉・合意・発効により長時間を要する、あるいは合意される貿易自由化(関税率や貿易障壁の低減)の度合いが限定的なものになる、というような可能性も考えられ、そのような場合にはRTAにより期待される加盟国間の貿易促進効果の減殺という政策的費用に繋がるかもしれない。

そこで本稿では、
1)RTAにおける「労働条項」はRTA加盟国の国内労働基準・労働条件の維持や改善に有効か?
2)「労働条項」を含むRTAは(条項を含まないRTAに比べて)貿易促進効果に負の影響を持たないか?

という2つの問いに対する実証分析を試みた。具体的には、まず2013年7月までに発効済みの全てのRTA(世界全体で200超)を協定中の労働に関する規定の有無およびその内容・程度に基づき6つのグループに分類し、そこから更に「労働条項を含むRTA」と「労働条項を含まないRTA」とに大別した。その上で、上記の1)については労働条項を「含む」・「含まない」それぞれのRTA相手国との貿易集中度が当該国の国内労働基準および条件――実習賃金(earnings)、労働時間、致命的労働災害発生率(fatal occupational injury rate)、およびILO基本8条約の批准数の4指標を用いて測定――に及ぼす影響を、また2)については労働条項を「含む」あるいは「含まない」RTAの締結が当該相手国との二国間貿易の成長(増減)に及ぼす影響を、それぞれ計量経済学的手法を用いて推計した。また推計には国連、世銀、ILOなどの統計から収集した103~220カ国の最大18カ年(1995~2012年)分のデータを用いた。

推計の結果、上記1)および2)に関して以下のことが示された。
1)については、労働条項を含むRTA相手国との貿易が増加する(集中度が高まる)ほど当該国の実収賃金は高くなる傾向が見られるが、他の3つの労働基準・条件指標に対しては明確な傾向や影響は見られない。また国の所得階層別に見た場合、この労働条項付きRTAを通じた貿易の実収賃金への影響が明らかなのは中所得国(世銀分類、2012年の1人当たり国民総所得=GNIが1036~1万2615ドルの国)についてのみであり、高所得国については明確な相関・影響は見られない。
2)については、労働条項を含むRTAを締結することは締結相手国との貿易促進(増加)を鈍らせる傾向が見られるものの統計的には有意ではない。但しRTA締結国の一方が高所得国、他方が中所得国の場合には、労働条項を含まないRTAが当該二国間の貿易促進に寄与する反面、労働条項を含むRTAはこの効果を減殺していることが、統計体的にもある程度有意に示された。

こうした分析結果は、二国間および複数国間の通商協定に所謂「労働条項」を含めるという政策には無視し難い費用(=貿易促進効果の減退)が伴う反面、その効果・便益(=労働基準・条件の維持・改善)はあらゆる国について期待できるわけではない、ということを示唆しているものと考える。とりわけ、実際にこうした「労働条項」を盛り込むことに熱心な国々が高所得国であることを考えれば、これらの国々にとっては通商協定に「労働条項」を盛り込むことはその政策的費用面のほうが顕著であるといえるのではないだろうか。