ノンテクニカルサマリー

MFNへのただ乗りは情報技術協定を損なったのか?

執筆者 佐藤 仁志 (研究員)
研究プロジェクト 通商協定の経済学的分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「通商協定の経済学的分析」プロジェクト

1997年に成立した情報技術協定(the Information Technology Agreement、以下ITA)は、コンピュータや通信機器などの情報技術関連製品の関税撤廃を目的として成立したWTO協定の1つである(加盟国は当初の29カ国から徐々に増え、2012年時点で74カ国を数える)。WTOドーハ・ラウンドに象徴されるように、停滞している多角的貿易交渉の中で、WTOはこの協定をウルグアイ・ラウンド以後の多角的貿易交渉の希有な成功例と評価しており、最近、ITAの対象品目の拡大の議論も始まっている。

ITAのように、対象品目を限定して関心のあるWTO加盟国だけが参加するといういわばクラブのような方式には、交渉を進めやすいという利点があるかもしれない。しかし、WTO協定の一部でもあるITAはMFN原則を適用しており、参加せずともゼロ関税の恩恵を受けられるという「ただ乗り(フリーライド)」が懸念される。このような外部性はWTO加盟国の貿易自由化の意欲を挫くおそれがあり、仕組みとして難しいのではないか、ITAはまさに「希有」な事例だったのではないかという見方も十分に説得的である。

本研究は、まず、ITAの貿易創造効果について実証分析を行った。1990年代半ば以降、ITA製品の貿易が製造業の貿易全体を上回るペースで成長したのは事実である。しかし、その間、情報通信技術の発達とともにITA関連産業が伸びており、貿易拡大のうちどこまでがITAによるものかは自明ではない。また、ITA以前に、先進国の関税は既に低い水準となっており、仮にITAが貿易拡大に貢献したとすれば、それは途上国に観察されやすいと予想される。次に、本稿はMFNへのただ乗りが(もし発生しているとすれば)どの程度深刻なものだったかを推計した。ただ乗りが発生していれば、(他の条件を一定として)ITAに参加していないWTO加盟国からITA参加国への輸出は、ITA参加国からのITA参加国への輸出と遜色ないはずである。

推計データは、UN ComtradeからITA対象品目の輸入データを収集し、1993年から2007年にかけて160カ国の二国間輸入パネルデータを作成した。二国間の輸入に関する重力モデルで、協定に関するカテゴリー変数の係数を比較することによって、ITAの貿易拡大効果とMFNへのただ乗りの有無を推計した。バイアスの少ない推計を得るためには、(1) ITAなどの貿易協定に加盟する二国同士は元々貿易を拡大させる(研究者には観測されない)要因を備えている可能性があること(政策の内生性)、(2) 第三国との貿易障壁も二国間の貿易量に影響すること(multilateral resistanceの考慮)を考慮することが重要である。本研究では、(1)については、二国ペア固定効果を使い、(2)については、標準的な独占的競争モデルを想定して、二国間輸入をその国の米国からの輸入(つまり参照国からの輸入)で除して得られる相対輸入を推計することで、multilateral resistanceをコントロールした。さらにmultilateral resistanceをコントロールするために、相対輸入を参照輸入国(本稿ではイギリスが参照輸入国)の輸入で除して相対化したものも推計した。

推計結果は表のとおりである(すべての推計に国ペアの固定効果は含まれている)。列1は、全サンプルでITA加盟国ペアの係数(表中のITA-ITA)はITAに参加していないWTO加盟国ペアの係数(WTO-WTO)を有意に上回っており、ITAに参加すると輸入が30%程度拡大する効果(貿易創造効果)があったことを示している。ただし、この貿易創造効果は輸入国が先進国の場合は観察されず(列2)、輸入国が途上国の場合(列3)に有意である。この結果は、ITAはITA以前に既に関税率が相当低かった先進国よりも、関税率が相対的に高かった途上国に効果が顕著であっただろうという直観と整合的である。

しかし、multilateral resistanceをコントロールするとITAの貿易拡大効果は弱いものとなる。途上国の相対輸入を推計した場合、15%程度の拡大効果(列6)、さらに参照輸入国も導入した推計では、途上国の場合でも貿易拡大効果は見られなかった(列9)。総合すると、ITAの貿易創造効果はなかったか、あったとしても途上国の輸入を15%程度拡大した可能性があるという結論になる。

一方、仮に貿易創造効果が観察される推計でも、MFNへのただ乗りは観察されなかったことは興味深い。ITA-WTOの係数をみると、ITAに貿易創造効果が認められたいずれの推計でも統計的な有意性がない(列1、3、5)。したがって、MFNへのただ乗りは発生していなかっただろうと結論できる。

本研究はITAが貿易拡大に果たした役割は限定的であったことを示唆している。これはITAの目標が関税撤廃に限定されていたことと関係しているかもしれない。このことは、現代では、貿易自由化交渉が関税以外の貿易障壁の撤廃に積極的に挑んでいくことの重要性を示唆している。

ITAの貿易拡大効果の推計結果
ITAの貿易拡大効果の推計結果
(注)推計結果の詳細についてはディスカッションペーパー本体を参照されたい。