ノンテクニカルサマリー

補完性、分散度および特許の藪の効果

執筆者 長岡 貞男 (ファカルティフェロー)
西村 陽一郎 (神奈川大学)
研究プロジェクト イノベーション過程とその制度インフラの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

技術とイノベーションプログラム (第三期:2011~2015年度)
「イノベーション過程とその制度インフラの研究」プロジェクト

問題意識

特許制度の目的は発明とその利用を促進することでイノベーションを促進することである。しかし、その特許制度により、各企業が競って特許を取得し、事業に必要な特許が重畳して多数存在してしまうことが、むしろイノベーションを阻害する危険性を生み、それが指摘されるようになっている。このような状況は「特許の藪(企業がその製品の生産、販売あるいは研究において他企業の多数の特許群を利用する必要がある状況)」の問題と呼ばれている。

欧米を中心に「特許の藪」の測定やその経済的影響について近年多くの研究がなされるようになっているが、特許の藪の基本的原因と考えられる発明の間の「補完性」(complementarity)を適切に測定した研究が無い。「補完性」の拡大は組み合わせによるイノベーション機会の拡大を示している。加えて、研究開発への最も重要な誘因である先行優位性の重要性に「特許の藪」が与える影響について先行研究は殆ど無く、こうした点を解明することが重要になっている。

研究目的

本研究では、特許の藪を(1)「補完性」(complementarity、同時に利用することが必要な特許群の大きさ)および(2)分散度(fragmentation、事業を行うにあたって潜在的にライセンス交渉しなければいけない特許群の所有者数)の2つで特徴付け、それぞれを計測した。前者は、当該発明を製品化する際に必要な特許化発明の数(他社のものも含む)によって把握し、後者は、ある特許の審査に引用された他社の特許の数によって把握する。このように構築された指標が、先行者優位性の重要性、特許の経済価値および特許化の動機に、どのように影響を与えているか、またその結果として特許性向がどのような要因によって影響を受けているかをRIETIが2010年から2011年にかけて実施した発明者サーベイのデータを主に利用して実証的に分析した。

分析結果

分析によれば、補完性の水準は産業別に大きく異なり、他方で分散度は産業別にそれほど差がない(図1)。たとえば、情報通信産業では補完性の水準は78.7個であるが、印刷産業のそれは3.2個である。分散度についてみると、最も分散度が高い情報通信機械器具製造業にて2.48企業であるのに対し、最も分散度が低い医薬品製造業にて1.04企業となっており、産業別にそれほど差がない。

また、ある産業において製品を構成する特許発明が数多く必要であるほど、当該発明と補完的な研究開発を行うことで実現する先行者優位性が重要であることが確認された。また、ある産業において製品を構成する特許発明が数多く必要であるほど、当該発明の経済価値が高いことも確認された(以下の図2は単純な相関関係を示しているが、当該発明の質や発明に投下した人的資源の量、発明のタイプ、産業分類などを同じ条件にしてもこうした関係は成立する)。同時に、事業を行うにあたって潜在的にライセンス交渉しなければいけない特許群の所有者数が当該発明と補完的な研究開発を行うことで実現する先行者優位性の重要性や当該発明の経済価値を低下させる関係も見いだせなかった。

次に、特許取得する動機((1)商業的利用のための排他権、(2)ブロッキング目的、(3)純粋な防衛、(4)ライセンス目的、(5)クロスライセンス目的)と補完性の水準・分散度の水準との関係を分析すると次のような結果を得ることができた。ある産業において製品を構成する特許発明が数多く必要であるほど、5つの特許化動機の中でもクロスライセンス目的の動機を強めている。そして、それが企業の特許性向(企業が研究開発活動に投入する量に比して特許を取得する傾向の強さ)も高めていることが明らかとなった。

他方で、ある産業において製品を構成する特許発明が数多く必要であるほど、そして、事業を行うにあたって潜在的にライセンス交渉しなければいけない特許群の所有者数が多いほど、ブロッキング目的のために特許取得する動機を強める事実は見られなかった。また、それらが企業の特許性向を高める分析結果にもなっていなかった(これらと他の特許動機との関係は統計的に明確に結論づけることができなかった)。

政策的インプリケーション

特許の藪の特徴である補完性の水準と分散度の水準の高さが、当該発明と補完的な研究開発を行うことで実現する先行者優位性の重要性や当該特許か発明の経済的価値を低下させていないといった分析結果は、将来の企業研究開発の誘因を低下させないことを意味する。また、これらの要素がブロッキング目的の特許化動機を強めていないこと、かつブロッキング目的の動機が特許性向を高めていないといった分析結果も、制度が主に意図していない特許(産業に利用されない特許)が多く存在しているとは必ずしもいえないことを意味する。つまり、本研究によれば、特許間の補完性が「特許の藪」の主たるドライバーであり、また、補完性や分散度の水準が高い分野で、日本の既存企業から見た、特許の藪による研究開発への悪影響は示唆されていない。

ただし、本研究のいま1つの示唆はこうした分野では特許取得への誘因が高いことである。その結果、特許性が低い発明が特許査定(特許審査をくぐり抜け権利化)される可能性がある。すなわち、そのことは、補完性のシナジーを拡大せずに権利の分散化をもたらし、その権利の分散化がイノベーションを阻害するといった悪影響が予想される。したがって、特許審査の段階において進歩性が乏しい特許の権利化を抑制し、権利化された特許の質を低下させないことが悪影響を回避する上で政策的に重要である。また、低い質の特許によるホールドアップ(発明の実施者に対して、補完的な特許発明の権利者が高額の実施料を請求することにより、その実施者が大きな損失を被り、場合によっては発明そのものが使用不能となってしまう問題)の危険性を減らすために事前ライセンスを普及させていくことも重要である。

図1:産業別の特許の補完性と分散度の水準
図1:産業別の特許の補完性と分散度の水準
Note. The numbers in the bracket indicate the sample size.

図1:産業別の特許の補完性と分散度の水準
図2:補完性(complementarity)と先行者優位性の重要性および特許の経済価値との関係性
図2:補完性(complementarity)と先行者優位性の重要性および特許の経済価値との関係性