ノンテクニカルサマリー

地域間の人的資本格差と生産性

執筆者 徳井 丞次 (ファカルティフェロー)
牧野 達治 (一橋大学)
児玉 直美 (コンサルティングフェロー)
深尾 京司 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 地域別生産データベースの構築と東日本大震災後の経済構造変化
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム (第三期:2011~2015年度)
「地域別生産データベースの構築と東日本大震災後の経済構造変化」プロジェクト

経済活性化に向けた地方の苦戦が続いている。その背景の1つには、人口減少と高齢化という日本経済全体がこれから直面する厳しい局面に、地方経済はすでに突入してしまっていることがある。しかし、それだけではなく、企業活動のグローバル化が一段と進んだ結果、製造業の国内生産拠点としての地方の位置づけが揺らぎ、近隣アジア諸国との立地競争にさらされてしまっていることがある。地方自治体レベルでの産業政策というと、工場団地を整備して工場誘致という発想が未だに強いが、円高が進んで国内立地の採算が厳しくなると、せっかく誘致した工場も撤退してしまうといった憂き目にあっている地方が少なくないのが現実である。

こうした困難を切り抜ける1つの方策として誰もが考え付くのが、知識集約型、高付加価値型経済への転換だが、これまでの「工場誘致」型の発想に留まる限り、これは簡単なことではない。著者の1人が勤務する大学は長野県にあるが、そこもまた、ここまで述べてきた地方経済の診断の例外ではない。従来の「工場誘致」がだめなら、知識集約型の「研究開発拠点誘致」ならどうだろうかという意見も聞く。確かに長野県内にも大企業の研究開発拠点といえるものが幾つかあり、この数をもっと増やして、現在の神奈川県や神戸市のような研究開発拠点の集積にできないかという発想だ。

そこで、誰に頼まれたわけでもないが、大企業の役員の方々に大学の講義に来ていただいたときなどに、「長野県は研究開発拠点をもっと誘致できませんか」などとストレートに聞いてみることがある。そうしたなかで帰ってきた答えの1つに、考えさせられた。その答えは、「研究開発の主役は若手の社員だが、彼ら本人がそこに移り住んで働きたいと思うかどうか、さらに(既婚の男性社員の場合)その奥さんが移り住んでもいいと思うかどうか、この条件に研究開発拠点の立地は制約されるのではないか」というものである。つまり、知識集約型、高付加価値型の企業誘致には、同時にそれを支える人材の供給が必要だが、そうした人材を地域を超えて移動させるのは容易ではないということである。

われわれの論文は、煎じつめれば以上のようなことを確認するために、データを使ってよりフォーマルな分析を行ったものである。「人材」を経済学用語で言い換えると「人的資本」という用語になるが、本論文はまず地域間の人的資本の質を相対比較するための新しい方法を提案し、「国勢調査」のデータを基に1970年から最近年までの指数を作成した。この指数の特徴は、性別、学歴、年齢、就業している産業といった複数の属性を同時に考慮することができ、またCaves, Christensen, Diewert (1982)の洗練された指数に基づくものである。

図は、2008年の指数をグラフにしたもので、東京都の人的資本の質を1と基準化したとき、他の都道府県のそれが東京都の何倍かと読むことができる。最も高い東京都が低いところの1.3倍という結果について、感慨は人それぞれだろう。だが、この結果は40年前の1970年に比べると大いに地域間格差が縮まった結果なのである。一方で、こうした人的資本の質の地域間格差と、1人当たり所得の代理指標と考えられる労働生産性との間には明瞭な正の相関を確認することができ、さらに両者の関係は近年むしろ強まってきている。

この計測結果について、地域間の人的資本格差とみられているのはむしろ地域の産業構造の反映ではないか、と考える向きもいるかと思う。そこで、われわれが考慮した労働の4つの属性のうちどの属性が人的資本の地域間格差に効いているのか要因分解してみると、確かに1970年時点では学歴に加えて産業が重要な要因となっていた。しかし、その後の40年間で産業立地要因は剥落し、学歴要因のみが人的資本の地域間格差の主要要因となっていることが分かった。

また、別の向きは、確かに地域間の人的資本格差がある事実は認めるが、それは若年者の労働移動によって、もともと人的資本が集中している地域に他地域から人的資本が流入し、その他の地域からは人的資本が流出している結果もたらされたものではないかと考えるかもしれない。われわれは、この点についてもデータで分析した。その結果、確かに人的資本の総量の面では、若年者労働移動が人的資本の集積を加速させる傾向にあることが分かった。しかし、人的資本の質の地域間偏在という面で若年者労働移動がどの程度寄与しているかを分析すると、必ずしもはっきりとした傾向はみられない。したがって、ここに示した図に現れた人的資本の質の地域間格差は、若年者労働移動説ではほとんど説明できないのである。

以上の分析結果から、冒頭に述べた、地域の人材力が大事だが人材はそう簡単には移動しないという話になる。この結論を、地域の人材育成力が結局重要だとまとめると、よく知られた教訓だと言われるかもしれない。われわれの貢献は、このよく知られた教訓の正しさを、データを用いた詳細な分析で確認したことである。

図:人的資本の質の地域間格差指数(東京都=1の指数、2008年)
図:人的資本の質の地域間格差指数
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