ノンテクニカルサマリー

文化的財のデジタル化に伴う文化多様性規制の変容可能性-ボトルネック事業者に対する競争政策規制-

執筆者 東條 吉純 (立教大学)
研究プロジェクト 現代国際通商システムの総合的研究
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「現代国際通商システムの総合的研究」プロジェクト

1. 文化的財のデジタル化による国家規制への影響

「文化」「文化的財」をどのように定義するかはほぼ回答不能な難問であるが、主に音響・映像(AV)産品を念頭に、文化的財貿易に対する輸入数量制限や自国の文化的財の発展を促進するための国家助成はどこまで正当化されるかという問題(「文化と貿易」論争)が長らく続いてきた。この論争は、デジタル文化的財の世界にも形を変えて持ち込まれようとしているが、文化的財のデジタル化およびオンライン上で「データ」として流通・取引されるという環境の下では、従来の政策設計思想は根本的な転換を迫られつつある。

というのは、IPネットワーク(とくにブロードバンド)上で「データ」として生産(創作)・流通・取引されるデジタル文化的財においては、生産・流通・販売に要する膨大な資本コストや小売段階の棚スペースの物理的制約等が一気に解消され、あらゆる表現者によるほぼ無限の文化的表現物が文化的財として取引対象となる可能性が生まれるからである。

2. ボトルネック事業者に対する規制の必要性

IPネットワーク環境下において、「データ」としてのデジタル文化的財が自由かつ公正に生産(創作)・流通・取引・消費されるためには、レイヤー化するネットワークの各層において、ユーザーやコンテンツ・アプリケーション(C/A)事業者等が、コンテンツおよびネットワークへ自由にアクセスできることが重要である。この観点からは、オンライン上で流通・取引されるデジタル文化的財については、競争政策規制を通じて、ユーザーやC/A事業者等に対してコンテンツおよびネットワークへの自由かつ公正なアクセスを確保されることが、文化多様性の実現のために理論的に正当化できる最重要な公的規制である。

通信レイヤーにおいては、各国の電気通信事業法及びそれらを国際的に規律するWTOルールが、物理的な電気通信ネットワーク網を保有するボトルネック事業者(電気通信事業者)に対して接続義務を課している。他方、ブロードバンド接続サービスを含めた、より上位のレイヤーについては、国際ルールは存在せず、各国の規制に委ねられている。

ネットワーク中立性規制は、ブロードバンド接続サービスを提供するボトルネック事業者に対して、コンテンツ・アプリケーションの差別的取扱いの禁止を義務付ける事前規制の是非を巡って米国で始まった政策論争であり、2010年に、FCC新規則(オープンインターネット規則)が制定されるに至った。同規則では、ネットワーク設備を保有するボトルネック事業者が、特定のコンテンツ・アプリケーションにかかる伝送サービスを、合理的な理由なく遮断したり遅延させたりする行為が禁止された。この政策論争は各国に波及し、現在も活発な議論が展開されている。

また、ネットワーク上のボトルネック事業者に対する中立性規制(無差別取扱い義務)の政策思想は、より上位のC/Aレイヤーにも波及し、同レイヤーにおけるグーグル、アマゾン、アップル等のプラットフォーム事業者に対して、一定の中立性規制を課すべきであるという議論や、不可欠施設理論等の特別法理を適用し、より積極的に競争法を適用すべきであるという議論を惹起している。このような競争政策規制は、オンライン上のデジタル文化的財に対する自由なアクセスを確保するという観点からは傾聴に値する政策論ではあるものの、効率的な事業活動をかえって妨げ、かつ、技術革新や設備投資を阻害する過剰規制リスクが伴うため、中立性規制導入や競争法上の特別法理の適用には慎重な姿勢が求められる。

3. 結びにかえて:ネットフィルタリング規制と文化多様性

「データ」として流通・取引されるデジタル文化的財への自由なアクセスという観点から、より深刻な阻害要因となりうるのは、AV産業を念頭に置いた「文化と貿易」論争とは異なる政策論上の系譜をもつ各国のインターネット政策およびネットフィルタリング規制である。ネットフィルタリング規制は、公共政策的な目的(例:公序良俗、宗教・政治、刑事法、安全保障、知的財産保護)に基づき、多くの国で実施されているが、このような規制は、上述の競争政策規制に優先適用される場合がほとんどであり、その規制範囲において、デジタル文化的財へのユーザーのアクセスは大きな制約を受けることになる。オンライン上で流通・取引されるデジタル文化的財にかかる「文化と貿易」および文化多様性の問題は、より広い文脈において、国境を越えるデータの流通・取引に対する規制のあり方という問題とかなりの程度重複し合う点に十分留意することが必要である。