ノンテクニカルサマリー

大学院教育と就労・賃金:ミクロデータによる分析

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム (第三期:2011~2015年度)
「サービス産業に対する経済分析:生産性・経済厚生・政策評価」プロジェクト

問題意識

教育を通じた人的資本の質の向上は、長期的な経済成長を規定する重要な要因である。技術水準の高度化、一層のイノベーションの必要性に鑑みると、高等教育、特に大学院での高度な教育投資が労働者の生産性に対して十分な効果を持っているかどうかは重要な政策的関心事である。一方、「高学歴ワーキングプア」が増加しているという指摘もあり、大学院での教育が必ずしも実社会で十分活かされていない可能性もある。

この問題について、「就業構造基本調査」(2007年)の公表(集計)データを使用して分析を行ったMorikawa (2012)を発展させ、本稿は、同調査の個人レベルのミクロデータを使用し、大学院卒業者の就労および賃金について学部卒と比較しつつ分析した。

分析結果の要点

(1)大学院卒業者は学部卒に比べて就労確率が高く、特に女性や60歳以上の男性で顕著である(下図左側参照)。大学院卒女性の場合、結婚や夫の所得が就労に及ぼす負の影響が小さい。雇用形態別に見ると、大学院卒業者は正規雇用に就いている確率が高い。
(2)個人所得で見ても世帯所得で見ても大学院卒業者は貧困率が低い。「高学歴ワーキングプア」が存在することは否定できないが、全体としては学部卒の労働者よりも良好な就労条件の下にある。
(3)大学院卒の労働者は学部卒比で約30%の賃金プレミアムがある(下図右側参照)。大学院賃金プレミアムは産業によってかなり違いがあり、第一次産業や医療・福祉産業で大きく、公務で非常に小さい。就労形態別には、自営業主で大学院プレミアムが非常に大きい。
(4)大学院賃金プレミアムの男女による違いはほとんどない。
(5)学部卒の労働者は60歳を超えると賃金が大幅に低下するのに対して大学院卒の場合には賃金の低下が緩やかである。
(6)学費等に関するいくつかの仮定の下、大学院教育の私的収益率を試算すると男性、女性とも10%を超える。

政策的含意

技術が高度化し、人的資本の重要性が高まる中、イノベーションの担い手を育てる大学院教育の充実は日本経済にとって大きな意義を持っている。また、大学院修了者の増加傾向は、長期的には女性や高齢者の就労拡大に寄与する可能性がある。

しかし、大学院教育の私的収益率が本稿で計測したような高い数字だとすると、何故多くの学部卒業生が大学院に進学しないのだろうか。理由としては、(1)大学院教育の供給能力(定員)が制約されていること、(2)資金制約により大学院に進学できない学生が少なくないこと、(3)大学生が大学院教育の賃金に対する効果を十分認識していないこと(情報の不完全性)が考えられる。

これらのうちいずれが主因かを解明することは本稿の射程外だが、政策的には、(1)に対しては大学院教育サービスの供給力の拡大、(2)には奨学金制度の充実等、(3)であれば大学院卒業者のその後の労働市場成果についての情報提供が適切な対応策ということになる。

なお、教育の経済効果に関する分析においては、学部卒と大学院卒とを区別して扱うことが望ましい。賃金のいわゆる「ラスパイレス指数」を計算する際も大学院卒を区別して扱うことが不可欠になっている。

図:大学院卒業者の就労確率および賃金プレミアム(対学部卒)
図:大学院卒業者の就労確率および賃金プレミアム(対学部卒)
(注)就労確率は、学歴、年齢を説明変数とするプロビット推計。賃金プレミアムは、年間所得の対数を被説明変数とし、性別、学歴、年齢、勤続年数およびその二乗、週労働時間を説明変数とする賃金関数の推計結果による。いずれも大学(学部)卒との比較。