ノンテクニカルサマリー

防災インフラ整備における動学的不整合の定量分析:陸前高田市防潮堤整備を例として

執筆者 河野 達仁 (東北大学)
北村 直樹 (東北大学)
山崎 清 (株式会社 価値総合研究所)
岩上 一騎 (株式会社 価値総合研究所)
研究プロジェクト 東日本大震災に学ぶ頑健な地域経済の構築に関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

地域経済プログラム (第三期:2011~2015年度)
「東日本大震災に学ぶ頑健な地域経済の構築に関する研究」プロジェクト

本研究は、復興計画における防災インフラ整備において問題となりうる動学的不整合問題(注1)について分析している。動学的不整合問題とは、時間やある主体の行動タイミングの前後で最適政策が異なることである。復興計画における例としては、津波危険エリアにおいて過大な開発計画を立案することで、過大な防災投資につながることがあげられる。なお、近年制度化が進んだ費用便益分析を用いても、開発計画に基づいて費用便益分析がなされる限り、この動学不整合問題を解決できない。

本研究では、陸前高田市の防潮堤整備をケーススタディとして、1)最適防潮堤高、2)動学的不整合問題により整備されうる防潮堤高を、現実データにより経済モデルのパラメータキャリブレーションして定量分析を行なっている。なお、本研究はインフラ整備における一般的不整合問題のメカニズムとその定量分析を目的としており、実際の復興計画の評価を意図していない。

研究成果に基づく復興計画への政策的含意を次にまとめる。

(1)最適防潮堤高(動学的不整合のない社会最適ケース)
陸前高田市の中心市街地を守る防潮堤(延長1997m)について、T.P.5m~15mの高さで整備した際の便益、整備コスト、純便益を以下の図に示した。T.P.6mの防潮堤を基準としてその防潮堤からの差分で効果を表している。便益を水色線、防潮堤整備費用を紺色線で表し、便益から整備費用を差し引いた純便益を赤線で示している。整備防潮堤が8mを超えると、便益の伸びが鈍化する。これは、8mを超える津波の到来回数が少ないからである。この図に示されているように、最適な防潮堤高はT.P.10mであり、その際の純便益は約114億円(現在価値)と計算された。

この最適防潮堤高T.P.10mという値は震災前の防潮堤高T.P.5.5mよりもかなり高い。このことに加えて岩手県による津波被害想定調査(2003)においても市街地中心部における浸水高が深刻と予測されており、震災前の防潮堤高T.P.5.5mは不十分であったといえる。また、防潮堤で防御されるエリア(市街地中心部)の人口を見ると、最適な防潮堤高T.P.10mの時の人口は8440人と計算された。震災前人口は6885人であり、不十分な防潮堤高のために居住人口が過小であったことを示している。

復興計画において岩手県が計画している防潮堤高は、T.P.12.5mである。本研究の計算では10mが最適である。防潮堤の整備費用は高さに関して逓増的であるため、2.5mの違いはおよそ130億円の違いを生む。なお、仮にこの防波堤で防御されるエリア(市街地中心部)の人口が震災前の人口の2倍(およそ1万3080人)としても、防潮堤の高さはT.P.11mにとどまる。以上のことから、岩手県はT.P.12.5mの見直し・検討を行うべきである。

図

(2)防潮堤高決定における動学的不整合問題
最適防潮堤高はT.P.10mである。一方、動学的不整合が起こる場合、防波堤で防御されるエリアの人口が社会的最適の約1.5倍程度(震災前の2倍程度)の1万3080人になる可能性が十分あり、整備される防潮堤高はT.P.11mとなることが分かった(なお、旧市街地の土地利用として、本研究が想定した震災前と同様の住宅利用を含む利用の代わりに、現在計画が進行中の産業・公園利用であっても同様に動学的不整合問題は起こりうる)。最適防潮堤高10mと11mのコスト差を社会的割引4%を用いて年あたり費用に直すと約1.2億円となる。この額は、陸前高田市の毎年予算の1%強に相当する。

本研究は、一般的にインフラ整備において費用便益分析を用いても動学的不整合問題が起こりうることを指摘している。特に、費用便益分析の義務化により住民が費用便益分析に基づく公共投資政策を期待して戦略的に行動することで、動学的不整合問題により最適規模以上のインフラ整備が行われることを示している。

(3)今後のインフラ整備における動学的不整合問題
防潮堤整備は、図の青線が示すように、整備規模拡大によるコスト上昇が急激な費用逓増のインフラ整備といえる。そのため、デベロッパーによる戦略的行動によって多くの住民が旧市街地に最適の1.5倍の人口になる程度に移住してきても便益上昇による防潮堤高は社会的最適のT.P.10mからT.P.11mへと変化するにとどまっている。一方、道路整備のように規模拡大による整備費用の上昇が緩やかなインフラ整備を想定すると、戦略的行動に対する整備規模増加がより敏感となり、より規模の大きい動学的不整合問題の非効率が生じるといえる。

こういったインフラ整備における動学的不整合問題を避けるためには次の方法が考えられる。1つ目は、費用の全額を受益者である主体が負担するという方法が論理的には考えられる。たとえば、防潮堤整備の場合、受益を得る地区の固定資産税率を上げれば徴収可能である。次に、顕示選好データに基づいた整備評価ではなく、住民の効用水準を直接計測できれば、政策当局は最善投資水準を決定でき、その最適政策をコミットメントできる。なお、投資水準でなく、人口水準を土地利用規制などで最適にコントロールしても最善政策を達成することが可能である。ただし、ここであげた固定資産税率の上昇や効用水準の直接計測、土地利用規制による人口制限は容易ではなく、動学的不整合問題の完全な回避は一般に難しく、緩和に努めることが次善策といえる。

脚注

  1. ^ 動学的不整合問題(または時間不整合問題ともいう)が起こる一般的構造をKydland and Prescott (1977)が指摘して、彼らの2004年のノーベル賞受賞につながった。1つのわかりやすい例として、Kydland and Prescott (1977) が示した「安い地価を背景に、洪水が起こる危険性のある地区に多くの人が移住したために堤防建設が行われる問題」を想定できる。この場合、堤防が建設されることを期待して多くの人が移住してくると費用のかかる堤防建設が行われ、最善の社会厚生を達成できない。