ノンテクニカルサマリー

労働法の新たな理論的潮流と政策的アプローチ

執筆者 水町 勇一郎 (東京大学社会科学研究所)
研究プロジェクト 労働市場制度改革
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011~2015年度)
「労働市場制度改革」プロジェクト

労働法は、世界的な大きな変革期を迎えている。変革の第1ステージは1980年代から、そして2000年前後からは変革の第2ステージがはじまった。

1980年代以降の第1ステップでは、労働法規制の柔軟化、自由化が進められた。1970年代以降、世界的に生じた社会の多様化・複雑化のなかで、急速な社会変化に対応するために、旧来の画一的で硬直的な労働法規制を柔軟化・自由化する改革が行われたのである。具体的には、労働時間規制の柔軟化、労働市場規制の自由化などの改革が世界的に進められた。

労働法は現在、変革の第2ステップを迎えている。1990年代以降、世界のグローバル化が急速に進展し、社会的格差の拡大や失業問題、財政問題の深刻化が進むなかで、労働法は新たな対応を迫られている。そこでは、旧来の規制を社会実態に合うように調整・修正するだけでなく、社会的公正さと経済的効率性とを両立させ、財政問題にも対応するという複数の政策目的を実現する積極的な政策立法として、その枠組みや性格を変容させようとする動きが理論的にも政策的にもみられているのである。

この世界的な労働法の変革の動きには、それを根底で支える理論的基盤が存在し、その理論に基礎づけられて展開されている新たな労働法政策の動きには、ある程度共通した性格と方向性を見出すことができる。本稿では、現在の労働法の変革の根底にある3つの新たな法理論(大陸ヨーロッパの手続的規制理論、アメリカの構造的アプローチ、イギリスを中心とした潜在能力アプローチ)について考察を加え、これらの法理論に共通する基盤(その哲学的含意や経済学的基盤)を探り出す。そのうえで、この理論的基盤に立って今日世界的に展開されている労働法の新たな政策的方向性(就労促進、差別禁止、労働法・社会保障法・税制の一体化)とそこで鍵を担っている新たな概念(インセンティブ、内省、総合)を明らかにした(下記【図】参照)。

以上のような近年の欧米の労働法政策の基盤と動態から、日本のこれからの労働法政策のあり方に対し、次のような示唆が得られた。

第1に、その政策的インプリケーションである。これまでの日本の労働法政策のなかにも、このような視点は部分的には取り込まれてきた。たとえば、雇用と税制を結びつけ雇用を増やす企業に税制上の優遇を与える雇用促進税制、求職者等の個別の状況にあわせた支援・伴走等を行うパーソナル・サポート・サービスの実施、障害者差別禁止に向けた使用者の合理的配慮義務の導入の議論、最低賃金と生活保護の整合性の確保(逆転現象の解消等)へ向けた取り組みなどである。しかし、日本のこれまでの議論では、本稿の考察で明らかにされたような労働法の新たな機能や役割が明確に意識されていたわけではなく、これらの点を体系的に捉えて政策が立案されてきたわけでもない。今後は、日本の労働法についても、その政策立法としての新たな機能と役割を踏まえ、他の法領域との総合的な連携も視野に入れて、体系的に議論を展開していくべきである。

第2に、その理論的または哲学的なインプリケーションである。近年の労働法政策の重要な柱の1つは「就労」促進政策にある。現在の若年無業者の増加、今後の高齢化の急速な進展のなかで、日本でも財政負担の増大問題に直面し、労働法だけでなく、社会保障法や税制等も視野に入れた「就労」促進政策をより積極的に推進することが求められるようになるだろう。しかし、この政策を推進していく前提として、「働くこと」の価値や意味を日本においてどのように捉えるべきか。日本における労働のあり方やその変容を受け止める手続や社会のあり方をどのようなものとすべきか。とりわけ日本では、正社員の過剰労働・過剰負担問題がなお深刻な状況にあるなか、それをそのままにして就労を促進する(給付の対価として義務化する)ことが望ましいのか。また、非正社員としての就労では家族と適正な生活をするに足りる十分な収入が得られない(就労と貧困が併存している)状況がみられるなかで、働くことを社会的にどのように位置づけるのか(所得保障という経済的な意味を重視するのか、人間的・社会的な価値を伴うものとしていくのか)。労働法政策を推進していく前提として、日本でもこのような基本的な問いについて改めて議論を深める必要がある。

図:世界の新たな労働法政策の動向と基本概念
図:世界の新たな労働法政策の動向と基本概念