ノンテクニカルサマリー

マーケットシェアと為替レートパススルー:同一国の輸出企業の競争

執筆者 吉田 裕司 (滋賀大学)
研究プロジェクト 為替レートのパススルーに関する研究
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

国際マクロプログラム (第三期:2011~2015年度)
「為替レートのパススルーに関する研究」プロジェクト

為替レートパススルーとは

為替レートが変化したときに、その変化が貿易財価格の変化として反映される程度を「為替レートパススルー」と呼んでいる。為替レートの変化が全て貿易財価格の変化に反映された場合は「完全なパススルー」と呼び、為替レートの変化の一部分しか貿易財価格に反映されない場合は「不完全なパススルー」と呼ぶ。たとえば、ドルに対して10%の円高になった場合に、日本の輸出企業が米国現地ドル価格の上昇を嫌い、円建て輸出価格をディスカウントすることで調整した場合には、ドル建て価格の上昇率は10%以下になり、「不完全なパススルー」が観測される。

先行研究において、あらゆる国、期間、製品についてのデータが分析されてきたが、「不完全なパススルー」が観測されることが多い。近年の理論モデルでは現地の流通コストの存在なども注目されているが、「不完全なパススルー」の背景には不完全競争が想定されていて、輸出企業のマークアップ(利益マージン)率の調整によるものが基本にある。

寡占企業間の競争では、マーケットシェア(市場占有率)の大きさに対して、各社が為替レートパススルーの程度を変更することは容易に想像できる。ただ、マーケットシェアが大きい企業が、為替レートパススルーを大きくさせるかについては、理論モデルからは統一の見解が得られていない。そこで、データを用いて為替レートパススルーを計測する実証研究の結果を積み重ねていくことが重要になる。

本研究の手法と目的

本研究の目的は、為替レートパススルーの理論モデルの多くが想定している不完全競争の枠組みにより忠実に即して、個別企業別(正確には市・都道府県レベルの地域に属する企業集団別)のマーケットシェアが為替レートパススルー率に与える影響を推定することにある。二次的にではあるが、マーケットシェアが時変的であるために、マーケットシェアに依存する為替レートパススルー率も時変的になることになる。その結果、近年の重要なテーマである、為替レートパススルー率の時系列的な変化に対する、根源的な変化要因を示すことが可能となる。先行研究では、為替レートパススルー率の変化の要因として、貿易財構成の変化、貿易相手国の変化等が挙げられてきたが、本研究では新たに、貿易企業構成の変化が重要であることを指摘した。

図表:マーケットシェアを要因として為替レートパススルー率が変化した品目数(80品目中)
図表:マーケットシェアを要因として為替レートパススルー率が変化した品目数(80品目中)
(注) 1988年1月と2005年12月時点での為替レートパススルー率の変化。国名の下の数字は、マーケットシェアが為替レートパススルーに統計的に有意に影響を与えている品目数。

本研究の主要な結果と解釈

本研究では、日本の主要5港(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸)から、日本の主要な貿易相手国(米国・中国・韓国・台湾・香港・ドイツ)向けの細分類(HS9桁分類)主要80品目の輸出について、1988年1月から2005年12月までの月次データを用いて、為替レートパススルー率を推定した。

第1に、日本国内の港別のマーケットシェアが為替レートパススルー率に統計的に有意な影響を与えることが示された。第2に、港別のマーケットシェアを要因とした時変的な為替レートパススルーを計測すると、欧米先進国向けの輸出に関しては大きな為替レートパススルー率の変化は観測できなかった。米国向けに関しては、80品目中60品目で港別マーケットシェアの変化が為替レートパススルーを変化させるという結果の一方で、為替レートパススルー率のパーセンテージ変化が10%を上回る品目は4品目(ドイツは9品目)しかなかった。しかし、第3に、アジア向けの輸出に関しては、港別マーケットシェアの変化を要因とする為替レートパススルー率の変化が大きいことが確認できた。為替レートパススルー率のパーセンテージ変化が10%を上回る品目は、台湾向けで23品目、中国で19品目、韓国で21品目、香港で14品目であった。第4に、為替レートパススルー率の変化の方向であるが、ドイツ・米国・韓国向けに関しては上昇した品目数と下落した品目数に大きな差はないが、台湾・香港向けでは為替レートパススルー率が上昇した品目数の方が大きく、一方中国向けでは為替レートパススルー率が下落した品目数の方が多い。

1988年から2005年の18年間において、欧米先進国向けの輸出に関しては、日本企業間のマーケットシェアの変化による為替レートパススルー率の大きな変化は確認されなかった。しかし、アジア向けの輸出に関しては、日本企業間のマーケットシェアの変化によって為替レートパススルー率が10%以上も変化した品目が多かった。このマーケットシェアの変化の要因としては、(1)主要企業の入れ替わり、(2)生産拠点の移管、の2つが考えられる。

まず、主要企業の入れ替わりについて、次の例を考えてみる(注1)。2つの企業が存在して、シェア第1位企業の製品のパススルー率は高く、シェア第2位企業の製品のパススルー率は低いとする。輸出品目全体は、当然にマーケットシェアの大きい製品に強く依存しているため、輸出品目のパススルー率も高い。しかし、サンプル期間の18年間において、シェア順位の逆転が起きた場合、輸出品目のパススルー率は低くなることが考えられる。

次に、生産拠点の移管を考察する。先ほど同様に、2つの企業が存在して、シェア第1位の企業のパススルー率は高く、シェア第2位の企業のパススルー率は低い場合を考える。その場合に、輸出シェア第1位であった企業がアジア地域での国際生産ネットワークの構築の一環として、国内工場をアジア地域に移管した場合には、やはり第2位企業の輸出シェアが大幅に上昇して最大シェアを獲得することになる。結果は先ほど同様に、輸出品目全体のパススルー率が低下することになる。この場合、中国への工場移管(海外直接投資)が進む中で、中国向けの輸出価格のパススルー率が低下していることと整合的である。

政策インプリケーション

我が国の2013年4月からの金融政策は、2年以内に2%のインフレ率を達成することを目標としている。政権交代の生じた2012年末より、円ドルレートは80円水準から100円水準への大幅な円安が進んだ。この円安が時間ラグを経て、同率の輸入価格の上昇を発生させるのであれば、国内インフレ率への影響を無視できるようなものではない。本研究は日本の輸出データに依存した研究であったが、今回の分析結果が日本以外の国にも拡張できる一般的な結果であるとすれば、外国の日本向けへの輸出、すなわち日本の輸入パススルー率についても言及できる。我々の分析結果からは、日本向けの直接投資が相対的に小さいことを考慮すると、これからも輸入パススルー率が現在より低下することは考えにくい。ドル建てで取引されているためにパススルー率が高い原油だけでなく、製品差別化による企業間競争を行っているような輸入製品においても以前よりパススルー率が低下するようなことは考えにくい。Shioji (2014, Asian Economic Policy Review)の研究でも、2010年前後に日本の輸入パススルーが上昇していることが指摘されている。すなわち大胆な予測を行うと、時間ラグを経る必要はあるが、2013年前半の為替レートの円安方向への20%の変化が、いずれ国内インフレ率の上昇に寄与することが期待される。

脚注

  1. ^ 論文においては、マーケットシェアと為替レートパススルーは非線形関係にあり、企業間においてマーケットシェアが発散するか収束するかによって、品目全体のパススルー率が変化する。