ノンテクニカルサマリー

金融危機と交換媒体としての資産

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

この論文では、金融危機に伴うGamble for resurrection(復活への賭け)の問題を扱う。不良債権や不良資産を抱えた金融機関が、どうしてそれらを最終処理して損失を確定させないのかという点は、金融危機後の経済の大きな問題であった。日本の90年代の不良債権問題に関する政策論議においても、教科書的な理解では、銀行が自発的に不良債権処理を進めることが想定されていた。当時の政策論議の暗黙の想定は、ケインズ政策で政府・日銀が景気を下支えしている間に、銀行の自発的処理によって、不良債権問題は解消されるはずだ、という想定だったと思われる。ところが、実際には、不良債権処理が遅々として進捗しない状況が日本経済において10年以上にわたって継続した。

こうした不良債権処理の遅れを説明する有力な仮説がGamble for resurrectionである。これは次のような仮説である。まず、あまりにも大量の不良債権が発生したため、銀行は実質的に自己資本を喪失し、債務超過状態に陥っていると仮定する。このとき、銀行の所有者(すなわち銀行の株主)は、すでに実質的な株主価値がゼロになっているので、銀行に何が起こっても、何も失うものはない。したがって、銀行が不良資産を抱え続けて、不良資産の価値が下がっても、債務超過の額は増えるが、その損失は銀行の債権者(預金者など)が負担することになって、銀行の株主は何ら負担が増えるわけではない。また、万が一、不良資産の価値が大きく上昇する事態(不良資産の復活、Resurrection)になって債務超過が解消されれば、銀行株主は、銀行の価値がプラスになった分だけ、自分の取り分が増えることになる。このような状況におかれた銀行の株主の合理的な行動は、不良資産をなるべく長く保有しつづけて、不良資産の価値が大幅に上昇するという奇跡的な事態が起きることに賭けるという行動である。なぜなら、銀行が債務超過のときは、不良資産を抱え続けてその価値が下がっても、損失は銀行株主ではなく、銀行預金者(あるいは政府)が負担することになるし、また万が一、不良資産の価値が上がって債務超過が解消すれば、銀行株主が利益を得られる可能性があるからである。

この論文では、銀行のこうした行動をモデル化し、その外部不経済効果や望ましい政策対応について理論的に考察した。この論文では、DP E-11-011("A Bad-Asset Theory of Financial Crises")と同様に、金融資産が財の取引における支払い手段として機能するモデルを考えた。流動性の高い金融資産は貨幣と同様の役割を果たすとモデル化して差し支えない。この金融資産の価格が下がって銀行が債務超過に陥った時に、金融資産の価格の上昇という奇跡を狙って銀行がこの金融資産を死蔵するというGamble for resurrectionが発生する。そうすると、この金融資産が媒介すべき経済取引が実現できなくなり、生産活動が停滞し、不況が発生する。また、この金融資産が企業の運転資本(賃金支払いなどのための)として働いていたとすると、日本の90年代や2008年以降のアメリカで観測されたようなLabor wedgeの悪化現象も、銀行のGamble for resurrectionによって引き起こされることが分かる。つまり、Gamble for resurrectionは、銀行が不良資産処理先送りのコストを預金者や政府に押し付けるという意味で社会的に望ましくない行動である上に、経済取引の収縮とLabor wedgeの悪化などを引き起こして、実体経済を不況に陥らせるという面でも深刻な外部不経済効果を持つ可能性があることが理論的に示された。

こうした問題を解決するためには、債務超過に陥った銀行を破綻処理して、銀行が保有している金融資産を市場に放出させるか、あるいは、銀行に資本注入をして、銀行株主のインセンティブ構造を変える(すなわち、不良資産を抱え続けて、損失が出れば、銀行株主の利益が減るような構造にする)ことが有効だと考えられる。