ノンテクニカルサマリー

貨幣経済における金融危機

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

金融危機に対して、中央銀行の金融政策(Monetary Policy)はどこまで効果があるのだろうか。この問題は、2008年の世界的な金融危機の後遺症に直面する世界経済にとって、非常に重要な問題である。1990年代のバブル崩壊後の日本の経験では、日本銀行はゼロ金利政策や量的緩和政策という異例な金融緩和政策を行ったにもかかわらず、目覚ましい景気回復効果があったとは必ずしも言えない。金融危機という現象には、中央銀行の貨幣供給を増やすだけでは、解決できない困難な事象が隠されているのではないだろうか。もしそうなら、金融危機を解決するための本質的な政策は、中央銀行の通常の貨幣供給量の操作とは異なるものである必要がある。

本稿は、金融危機には中央銀行の政策では対応しきれない問題が隠れているという理論的な可能性を指摘する論文である。

金融緩和で大量の貨幣が経済に供給されていたにもかかわらず、経済が劇的には好転しなかった、という日本の1990年代以降の経験は、「貨幣が十分に供給されている経済環境で、どうして不況が継続するのか」という疑問を提起している。その1つの理論的な回答は次のようなものである。「貨幣が媒介できない種類の経済取引が相当量存在するならば、貨幣供給が増えても、経済取引が増えず、不況が継続することがあり得る」。貨幣が媒介できる取引とできない取引の違いは、契約を守ること(コミットメント)の強さに関係がある。

貨幣が媒介できる取引は、買い手が売り手に貨幣を支払ったとき、または、その後で、売り手が契約通りに商品を買い手に手渡すことにコミットできる取引である。もしも、売り手が契約通りに商品を買い手に手渡すことにコミットできない場合には、買い手が貨幣を支払うだけでは、取引は成立しない(売り手が商品を買い手に渡さない可能性があるから)。このような状況では、貨幣ではなく、住宅などの実物資産を担保とする債権契約を設定することによって、取引が円滑に実行されることが本論文で示された。

つまり、売り手が商品の配達にコミットできない状況では、貨幣ではなく、資産担保債権が、経済活動を円滑に進めるための媒介物として機能する可能性があると示されたわけである。この経済において、住宅価格の暴落などのために、資産担保債権の設定ができなくなれば、経済取引の多くが実行できなくなり、不況が継続する。さらに、このとき、中央銀行が貨幣の供給量を増やしても、経済取引は回復しない。なぜならば、取引を媒介するために必要とされているのは、貨幣ではなく、(債権の担保となり得る)実物資産だからである。

この論文の政策的な含意は、中央銀行による貨幣供給は金融危機からの回復に有効でない可能性がある、ということである。また、実物資産(住宅、土地など)が不良債権の担保として塩漬けにされている場合には、それらの資産が媒介するべき経済取引が実行できなくなっているかもしれないということも、本稿の含意である。不良債権処理によって、不良債権の担保資産を解放し、別の用途に使えるようにすることが、経済を活性化する方法であるという可能性を本稿の分析は示している。