ノンテクニカルサマリー

人民元は過大評価か過小評価か?-国際産業連関表を用いた均衡為替相場の推計-

執筆者 佐藤 清隆 (横浜国立大学)/ 清水 順子 (専修大学)/ Nagendra SHRESTHA (横浜国立大学)/ Zhaoyong ZHANG (エディス・コーワン大学)
研究プロジェクト 東アジアの金融協力と最適為替バスケットの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

2000年代半ば以降急増している中国の貿易黒字に対して、米国を中心に人民元相場の切り上げを要求する圧力が強まっている。一方で、中国政府は人民元相場が中国の貿易黒字の原因ではないとの見解を示しており、人民元相場の適正水準、すなわち現在の人民元相場は過大に評価されているのか、それとも過小評価されているのかという問題が盛んに議論されている。

名目為替相場の適正水準を測る1つの尺度として均衡為替相場が広く使われている。しかし、均衡為替相場とはそもそも何を均衡させる為替相場なのか、という解釈そのものが分かれており、その違いによって異なる分析手法が用いられている。たとえば、(1)購買力平価(Purchasing Power Parity: PPP)を拡張して貿易財と非貿易財の生産性の格差によって為替相場が変動することを考慮した(言い換えれば、バラッサ・サミュエルソン効果を導入した)分析手法や、(2)経常収支のある規範的(normative)な水準を推計し、それを達成するような実質為替相場の水準を均衡相場と捉えることによって、各国の均衡為替相場を推計する手法、(3)均衡為替相場が交易条件や対外純資産などの経済のファンダメンタルズによって決定されるという立場から推計を行う分析、などが最もよく利用されている。しかし、その推計結果は「ほぼ現在の為替相場と同水準である」というものから「現在の水準よりも50%以上増価している(すなわち現在の為替相場は50%以上も過小評価である)」というものまでさまざまであり、人民元相場の適正水準を判断することの難しさを露呈している。

こうした分析手法に基づく研究の大半は数多くの分析対象国のクロス・カントリー・データに基づいて実証分析を行っているが、そのような手法では分析対象国固有の経済的特徴が埋もれてしまい、実証分析の結果が当該国の現状を的確に捉えきれない可能性がある。また、おそらく最も重要なのは、近年のアジア域内貿易の急激な拡大、とりわけその中心に位置する中国が域内諸国との間で活発な加工貿易を行うなど、中国の近年の巨額の経常収支黒字の背後にある域内の生産ネットワークという実体経済面の特徴が実証分析において考慮されていないという問題である。

本稿は、実体経済面の要因を実証分析の対象に含めることが人民元の均衡為替相場を推計する上で重要であるという立場から新しい均衡為替相場の推計方法を試みている。その特徴は次の2点である。第1に、中国がアジア域内貿易の中心として活発に加工貿易を行っているという実体面を重視し、Yoshikawa(1990)モデルに基づく供給サイドからみた人民元の対米ドル名目均衡為替相場の推計を試みている。2国間の輸出財の国際競争力が均等化するように均衡為替相場が決まると想定し、労働や中間財の投入係数を考慮した均衡為替相場の決定モデルを導いている。特に、部品や半製品などすべての中間財を対象として部門別かつ輸入相手国別に中間財の輸入価格と投入係数を計算し、それらを基に人民元の均衡為替相場を推計している点である。第2に、中間財の部門別かつ輸入相手国別の輸入価格指数と投入係数を用いるために、中国と米国を含む国際産業連関表を推計した。両国の輸出企業が中間財を海外から調達(輸入)し、海外に販売(輸出)する活動とその時系列的な変化を的確に捉えるために、1992年から2008年までの毎年の国際産業連関表を推計した。特に、中間財の調達(輸入)においては、部門(産業)別かつ輸入相手国別に詳細なデータを用いて均衡為替相場を推計している。

図1は、推計した人民元の均衡為替相場を名目為替相場と通常の購買力平価に基づく為替相場(PPP相場)と比較して示したものであり、2000年を基準として指数化している(注)。まず、人民元の対米ドル名目為替相場とPPP相場を比較すると、2000年を基準とする限り、名目為替相場とPPP相場は非常によく似た動きを見せている。2005年以降、名目為替相場が低下(増価)しているのに対して、PPP相場はむしろわずかに上昇(減価)傾向を示している。これに対して、我々が推計した均衡為替相場は2000年以降やや上昇(減価)傾向を示しているが、2005年から2008年までの期間に急激に低下(増価)している。2000年を基準とすれば、人民元は2008年に65%切り上がる必要があること(つまり2008年の人民元相場の水準が大幅な過小評価である可能性)を示唆している。さらに、どの要因(変数)によって均衡為替相場が動いているかを分析した結果、近年の急激な均衡為替相場の増価は中国における労働および中間投入係数の大幅な改善(生産性の上昇)に起因することを確認した。我々の分析は、先行研究とは異なり、経常収支の水準に何も制約を課していない。それにもかかわらず、推計した人民元の均衡為替相場の著しい増価は、2005年以降に中国の経常黒字が特に対米で急激に増大している事実とほぼ一致している。

中国の貿易構造の実態を反映して推計した人民元の対米ドル名目均衡為替相場が2005年以降大幅に切り上がっているという結果は、現在の人民元相場が大幅に過小評価されていることを示唆するものであり、中国の為替政策に一石を投じるものとなるだろう。

図1:人民元の名目均衡為替相場(対米ドル)
図1:人民元の名目均衡為替相場
注:名目為替相場・購買力平価・均衡為替相場は全て2000年を基準年として算出されている。
出所:均衡為替相場は筆者の計算による。その他はInternational Financial Statistics (IMF)。

脚注

  • PPP相場は、中国の国内物価水準(消費者物価指数)の米国の国内物価水準(消費者物価指数)に対する比率として算出し、指数化している。