著者からひとこと

非正規雇用改革-日本の働き方をいかに変えるか

非正規雇用改革-日本の働き方をいかに変えるか

非正規雇用改革-日本の働き方をいかに変えるか

    編著:鶴 光太郎、樋口 美雄、水町 勇一郎

編著者による紹介文(本書「はしがき」より)

日本の未来を切り開く非正規雇用改革とは

本書の問題意識

「3.11東日本大震災」から日本の「風景」は大きく変わったようにみえる。2008年秋から深まった世界的金融・経済危機から3年目を迎え、日本経済もようやく立ち直りかけた矢先の出来事であった。阪神・淡路大震災をはるかに上回る人的・物的被害もさることながら、現在進行中である原発・電力危機が暗雲のように国民の上に大きく垂れ込めている。誰もが当たり前と思ってきた「幸せ」、「豊かさ」、「便利さ」も一瞬の内に崩れ去ることを目の当たりにして、日本全体にぽっかりと穴の空いたような「喪失感」が広がった。

しかし、思考停止し、立ち止まっている余裕などない。すべての人が大きな不安と闘いながら、復旧・復興に向けて手を取り合って立ち向かっていく必要がある。その際に重要なのは、復旧・復興だけの狭い視野に止まるのではなく、広く、長期的な視点を持って日本の経済社会システムのグランド・デザインを描くことである。

そして、これから20年、30年後に「3.11」を振り返った時、日本はあの時を境に目覚め、変わっていった、大震災を新たな飛躍への大きなバネにしたと自信を持って答えることができれば、「過去」は単なる忌まわしい「過去」ではなく、輝かしい未来へのターニング・ポイントに変わるはずだ。未来を見据えた取り組みひとつで「過去」の意味合いを変えることができるのだ。

日本が未来に向けて取り組まなければならない課題は「3.11」の前と後ではなんら変わっていない。復旧・復興への緊急性が日本の抱える構造的な課題への対応(=改革)から逃げる口実を与えることになれば、未来が「過去」を変えることは断じてできないであろう。むしろ、「ポスト3.11」のフレーム・ワークの中で日本の未来を切り開く改革を考えていくことが必要である。

本書は2007年初に始まった(独)経済産業研究所の「労働市場制度改革プロジェクト」(リーダー:鶴 光太郎)に参加しているメンバーの研究成果である。本プロジェクトは既に、『労働市場制度改革―日本の働き方をいかに変えるか』(2009年)、『労働時間改革―日本の働き方をいかに変えるか』(2010年)の2作を日本評論社から出版しており、本書は「日本の働き方をいかに変えるか」シリーズの3作目に当たる。本プロジェクトは、日本の雇用、働き方の問題を「制度」という視点から多面的、学際的に分析をしてきた。前作が特に正規労働者の労働時間に焦点を当てたこともあり、本書は本プロジェクトでも常に中心的なテーマであった労働市場の二極化、非正規雇用問題に絞って分析し、求められる改革のあり方について提言を行うこととした。

80年代末には20%を切っていた非正規雇用の比率は既に3分の1まで高まっている。かつてのように非正規雇用が特別かつマイナーな雇用形態であるというイメージはなく、家計を支える者が非正規雇用であることが珍しくなくなってきた。仕事内容や働き方においても正社員とそれほど変わらなくなっている。にもかかわらず、雇用の安定性や処遇には歴然とした格差が存在したままだ。こうした労働市場の二極化が過去20年ほどの間、静かに進行してきた結果、労働市場を超えて日本の政治・社会・経済の安定性に長らく寄与してきた社会的一体性が大きく揺らいでいる。こうした問題の深刻さ、緊急性にもかかわらず、非正規雇用問題への政策対応は場当たり的であった。

本書の問題意識の根底には、こうした労働市場の二極化や社会的一体性の揺らぎをこのまま放置すれば日本の大きな「強み」が失われてしまうという強い危機感がある。次世代にとって希望の持てる日本を切り開いていくためにも、非正規問題解決に向けた抜本改革はまったなしの状況である。

非正規雇用問題を抜本的に解決するという立場からは、東日本大震災の経験はむしろ、我々に大きなチャンスを与えてくれているのではないか。なぜなら、今回の大震災を契機に「日本は1つだ、頑張ろう」という一体感が急速に深まりつつあるからだ。また、近年、人と人のつながりが希薄になり、「無縁社会」という言葉も生まれた。しかし、今回、東北の被災者の方々から我々が学び、痛感したことは家族や地域の絆の強さでありその大切さである。こうした「ポスト3.11」における国民意識の変化の芽を大事に育てていくことで未来に向けた非正規雇用改革の「扉」を開いていくべきである。

本書の特徴

本書は以下、4つの特徴が挙げられる。第1は、過去の2作と同様、(1)法学、経済学、経営学という「学際的視点」、(2)労働市場制度全般に目配りしながら個別制度の分析・提言を行う「広角的視点」、(3)複雑な分析対象を異なる視点から光を当てることでその本質を浮かび上がらせる「複眼的視点」という3つの視点を兼ね備えていることである。

第2は、非正規雇用の多様性に配慮した分析を行っていることである。非正規雇用は派遣、パート・アルバイト、契約社員など非常に多様であり、それぞれに抱えている課題も異なる。しかしながら、派遣があたかも非正規雇用の代表のように論じられる場合も多い。一方、ほとんどの正規雇用に共通する有期労働契約という側面は見過ごされがちであった。また、非正規雇用の職を自ら進んで選んだのか(自発的選択、本意型)、意に反して選ばざるを得なかったのか(非自発的選択、不本意型)という違いも重要である。本書ではこうした多様な非正規雇用の特徴や政策課題について明らかにしている。

第3は、非正規雇用について本格的な計量経済学に則った実証分析が行われていることである。特に、非正規雇用については、従来、データの制約により、実証分析が難しい面があったが、本書では、各機関・大学が関与する独自のサーベイ・データ、政府統計の個票を縦横に駆使し、非正規雇用の実像を明らかにしている。

第4は、非正規雇用に係る制度的改革についてかなり具体的な提言を行っていることである。現在の法制度のどこが問題であり、それを克服するためには何が必要かをヨーロッパなどでの経験も踏まえて詳細に論じている。これは、特に、法学者と経済学者が時間をかけて議論を重ねてきた大きな成果といえよう。

本書の構成と内容

本書の構成をまず簡単に紹介しよう。第1章(鶴論文)は非正規雇用問題の所在と解決のための改革(特に有期雇用改革)の全体像を明らかにした「鳥瞰図」を提示している。第2章(大竹・奥平・久米・鶴論文)はRIETIが行った独自のサーベイ調査(『派遣労働者の生活と求職行動に関するアンケート調査』)に基づき、派遣労働者とパート・アルバイト労働者などの比較を通じて、非正規雇用の就業、生活、意識の実態について分析しており、両章が本書の総論的な役割を果たしている。

続く第3章から第9章までは、独自のサーベイ・データや政府統計個票を使用し、さまざまな角度からの丁寧な実証分析を提供している。まず、第3章(浅野・伊藤・川口論文)は、そもそも非正規雇用が増加した理由を需要・供給両面から分析している。第4章(山本論文)は非正規雇用の中でも正規雇用を希望しながらもなれなかったような不本意型に着目し、その実態や主観的厚生水準(心身状況)を明らかにしている。一方、第5章(黒田・山本論文)は、就業時間帯に着目し、深夜や早朝に働く非正規雇用の割合の高まりとその要因について検討している。

第6章から第8章までは非正規から正規雇用への転換を問題意識にした分析を行っている。第6章(大竹・李論文)は非正規雇用の選択と時間割引率の関係に着目し、派遣労働者の職探し行動との関係を行動経済学の視点から検証した。また、第7章(奥平・大竹・久米・鶴論文)では、厳密な計量経済学的な手法を用いて、派遣労働が他の雇用形態に比べて正規化しやすいかどうか分析するとともに、第8章(樋口・石井・佐藤論文)は、非正規労働者の世帯は失業や無業世帯よりも貧困率が高いことを指摘し、ワーキングプア解消策として、非正規から正規雇用への転換促進に有効な政策支援を分析している。第9章(守島論文)は、非正規雇用活用とともに最近進む「多様な正社員」施策に着目し、非正規社員の意識、ワークライフバランスなど他の人事管理制度との関係を分析している。

第10章から第12章は法学の立場から、非正規雇用に関する法制度の改革のあり方について提言を行っている。まず、第10章(小嶌論文)は、現在進行中、また、今後予定されている派遣法改正や有期雇用規制見直しは「行き過ぎた規制強化」と論じ、現場が対応できる「程良い規制」の重要性を強調している。非正規雇用の問題点としては、主に待遇格差と雇用不安定が挙げられるが、前者への対応については、第11章(水町論文)が、キャリアや職務内容が同一ならば待遇も同一にするのか、合理的な理由のない不利益取扱を禁止すべきか、ヨーロッパの経験も踏まえ、日本にふさわしい選択肢を検討している。後者への対応については、第12章(島田論文)は、中長期の労働需要を担う有期労働契約者をこれまで通り認めることを前提に、有期労働への過度な規制を回避しながらも、適切な範囲保護を与えるような有期労働契約法制の立法課題について提言している。以下では、本書でいくつかの章で横断的に論じられているテーマについてそのポイントを紹介したい。

非自発的非正規雇用の実態

非正規雇用の問題の1つは、それが必ずしも自らの選択とは限らないことである。本来は正規雇用に就きたかったがさまざまな理由で非正規雇用を選ばざるを得ないケースである。第4章(山本論文)は、そのような不本意型(=非自発的)非正規雇用に就く者は『慶應義塾家計パネル調査』では多数派ではないものの、契約社員や派遣社員に多く、就業形態の選択行動などむしろ失業と類似していること、失業と並んで他の雇用形態よりも明らかに大きなストレスを持つことを示した。

また、第1章(鶴論文)は、RIETIが実施した『派遣労働者の生活と求職行動に関するアンケート調査』を使い、やはり、非自発的な非正規雇用の主観的幸福度が他の属性をコントロールしても有意に低いことを示している。同じ調査を使った第2章(大竹・奥平・久米・鶴論文)は雇用形態別に分析し、製造業派遣労働者や契約社員は自らが家計を支え、非自発的な非正規雇用労働者が多いが、パート・アルバイト労働者は主婦で家計の補助、自分の都合に合わせて働き方を選んでいる自発的非正規労働者が多く(約5~7割)、満足度や幸福度も他の雇用形態に比べて高めであることを明らかにしている。第5章(黒田・山本論文)は非正規雇用者の深夜就業化の傾向が正規労働者の平日の労働時間の長時間化が深夜の財・サービス需要を喚起したことが影響していることを指摘しているが、これも増加した非正規雇用の深夜就業がかならずしも自発的な選択ではないことを物語っている。

非正規雇用から正規雇用への転換

非自発的な非正規雇用の場合、正規雇用への転換が問題解決の方策の1つである。その場合、正規雇用への転換の割合やスピードが問題となってくる。例えば、第6章(大竹・李論文)では2008~2010年(『大阪大学GCOE調査』)の期間で非正規雇用の9%程度が正規雇用へ転換している。RIETIアンケート調査を使った第2章(大竹・奥平・久米・鶴論文)では、2008年末~2009年央の期間で雇用形態別にみると、契約社員では14%程度が正社員化しているが、日雇い派遣や登録型派遣(5~6%程度)やパート・アルバイト(2~5%程度)はむしろ転換率は低くなっている。しかし、これは上記の特定の雇用形態に正社員になりやすい、または、なりにくい特徴を持った人が偶然いたことが影響していたかもしれない。同じ調査を使って上記のような問題をできる限りコントロールした実証分析を行った第7章(奥平・大竹・久米・鶴論文)では、派遣労働者(登録型)はパート・アルバイト労働者よりも正社員化率が低くなっており、ヨーロッパを対象にいくつかの既存分析で明らかにされた派遣労働の正社員転換への「踏み石」効果は確認できなかった。

第8章(樋口・石井・佐藤論文)は、『慶應義塾家計パネル調査』を使い、異なる手法であるが、正規雇用への転換を分析している。やはり、派遣、契約社員といった雇用形態はパート・アルバイトに比べ転換確率が有意に高いわけではないという結果を得ている。一方、女性では、自己啓発が正規雇用への転換を高めることを示した(男性では契約・嘱託社員の場合のみ)。『大阪大学GCOE調査』を使った第6章(大竹・李論文)は、派遣労働が正規雇用への「踏み石」になっていないことを派遣労働者が他の雇用形態に比べ、「せっかち」(時間割引率が高い)、「後回し行動」をする傾向が強いという分析結果から論じている。つまり、「せっかち」であるため職探しの手間を省ける派遣労働を選んだり、同じ職場でじっくり訓練を受けることを嫌って、やはり、派遣労働を選んでいる可能性があるため、派遣労働に長く留まりがちになるという解釈である。

非正規雇用改革のあり方

非正規雇用の正規雇用への転換が必ずしも容易ではないとすれば、非正規雇用問題の解決のためには制度改革が必要となってくる。しかし、登録型派遣を原則禁止するような派遣法改正案や「専門26業務派遣適正化プラン」は第10章(小嶌論文)でも指摘されているように「行き過ぎた規制強化」である可能性が高い。実際、第1章(鶴論文)は、RIETIアンケート調査結果を引用し、登録型派遣労働者の3~4割が原則禁止に反対し、1割前後の賛成派を大きく上回っていることを示している。

したがって、非正規雇用改革に当たっては、派遣労働ではなく、さまざまな雇用形態に共通した有期労働契約とそれに付随する雇用不安定、待遇格差に着目するべきである。その場合、有期雇用改革を論じた第1章(鶴論文)、第10章(小嶌論文)、第12章(島田論文)いずれもが、有期雇用を臨時的・一時的な業務に限定したり、労働契約の無期原則を明示化したりすることに対してはかなり否定的である。

具体的な改革への提言としては、第1章(鶴論文)は、特に、(1)契約終了手当・金銭解決導入等の雇用不安定への補償、(2)有期労働契約においても期間に比例して処遇が増すような仕組みの導入(期間比例原則への配慮)、(3)有期雇用、無期雇用両サイドでの多様な雇用形態の創出と更には両者が連続的につながる仕組み、を挙げている。第12章(島田論文)では、雇用不安定に対しては、有期労働契約の締結時及び更新時に更新可能性を明示した上で、更新可能性のある場合の雇止めについてはその理由に客観的合理性と社会的相当性を求める立法化を提案している。また、待遇格差問題への対応については、第11章(水町論文)が、現在のパートタイム労働法の延長で考えるのではなく、働き方の多様化・複線化という日本の実情も考慮し、ドイツやフランスにおける実際上の運用方針である客観的理由のない不利益取り扱い禁止原則をベースに考えるべきと主張している。

最後になったが、本書を生む母体となった「労働市場制度改革」プロジェクトに対し理解とサポートをいただいてきた経済産業研究所の及川耕造前理事長、中島厚志理事長、藤田昌久所長を始めとするマネジメントとスタッフの方々に感謝の言葉を申し上げたい。また、大震災後の混乱の中にもかかわらず、いつもと変わらぬ丁寧さで本を仕上げていただいた、齋藤博氏(日本評倫社)にお礼を申し上げる。

2011年5月

編者を代表して 鶴 光太郎

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