著者からひとこと

地球温暖化問題の再検証

地球温暖化問題の再検証

経済政策レビュー10
地球温暖化問題の再検証

    編著:澤 昭裕、関 総一郎

編著者による「はしがき」より

NPOはどこまで「国のかたち」を変えられるか

地球温暖化問題に関与する問題解決に向けて、国際的枠組みの交渉、国内政策形成プロセス、技術の開発、温暖化メカニズムに関する科学面等、多方面から考察を試みた一冊

人類の生存、あるいは現代文明の維持を脅かしかねない問題として、人々は何を心に描くであろうか? 一昔前であれば、核戦争の脅威であったであろうが、現在では、多くの人が地球環境問題、なかんずく、地球温暖化問題を挙げるのではないだろうか。
世界平和の維持も、地球環境の保全も、各国が国際的に連携して取り組まねばならないものであるという共通点を有している。前者の問題については、二度の世界大戦、冷戦という、教訓、試練を経て、ベルリンの壁の崩壊を見た今日、世界規模での核戦争の危険はかつてよりもかなり小さくなったといえよう。一方、それにとってかわるように、人類がこれから長期にわたって、科学、技術、政治、経済を総動員して真の解決策を模索しなければならない課題として、地球温暖化問題が大きな国際的関心を集めるに至っている。

地球温暖化問題について、世界は、まず京都議定書という枠組みを手にした。しかし、京都議定書は、2008年から2012年までの約束期間での温室効果ガス削減目標を定めたにすぎず、技術のブレークスルーによる長期的な解決方策については、全く触れられていない。また、米国という世界最大の排出国が批准しておらず、さらには、排出量の増加が著しい発展途上国は削減義務を免除されているという課題を抱えており、問題解決への第一歩だという評価はできても、世界全体の問題解決への実効性に欠けており、長期間にわたった持続可能な枠組みとは言い難い。

世界の英知を集めつつも、なぜいまだ真に実効性ある枠組みは見いだされていないのか。私たちが本書を企画するにあたって持った問題意識は、「将来の温暖化対策のあり方をめぐる議論がなされる際に、それぞれの主権国家は、自らの国益の追求から無縁であるという前提は成り立たず、たとえ地球環境を保護する仕組みを論ずる舞台においても、それぞれに異なる国益を前提としたレアルポリティーク(Realpolitik、現実主義的政治)が繰り広げられるという点が見落とされがちなのではないか」というものであった。本書で分析したように、京都議定書をめぐる交渉、米国の離脱など、今日に至るまでの経緯を見ても、環境保護という思想信条ではなく、実はレアルポリティークが多くの事象を説明している。

もちろん、地球環境の維持という、崇高で、人類の生存に最重要の課題を扱うのであるから、各国がそれぞれの利害を捨てて、大同につくべきであると断ずることは容易だ。しかし過去のさまざまな分野の国際交渉史を見ても、このような倫理的・道徳的な説得は、主権国家間の交渉の決定打にはなりえない。この問題の将来を、善意とモラルだけに委ねることは、かえってこの問題の現実的解決を遠ざける危険もある。むしろ、政治面・経済面での国益を厳しく追求する主権国家間のレアルポリティークを前提としたうえで、長期にわたって持続可能な解決の枠組みはいかなるものかを考察していくことが、結果的には地球温暖化を食い止める近道となるのではないだろうか。

同じような問題は、各国の国内でも同様に存在する。多くの人々は、近年の気象の変化に触れて、すでに地球温暖化の懸念は現実のものとなり始めているのではないか、また、化石燃料に頼り切った文明は持続可能ではないのではないかと懸念する。しかし、同時に、世界最大の市場を提供する米国経済の持続的な成長を望み、またこれに大きな影響を受ける自国経済の浮沈を案じ、自らの雇用の安定や老後への備えから無関心ではありえない。さらに、所得水準の向上によって得られた消費生活のレベルを落としてもいいとは、大多数の人々が思っていない。経済発展の恩恵を被っていない国々では、もっと切実な経済的ニーズが存在する。

実は、前者のような長期的な関心と、後者のような当面の経済的関心との間には、現在の技術レベルでは、乗り越え難いジレンマが存在している。いずれの国の指導者も、国民の支持を得るために、より高い経済成長の実現を目指す。しかし、一国の経済の成長と温室効果ガスの排出量との間には、現状では、程度の違いこそあれ、ほぼ例外なく正の相関関係が存在するのである。

私たちは、環境問題に関心の深い人々の良識が、多くの行動事例を生み出し、環境問題の解決に向けて先鞭をつけた事例を数多く目にしてきた。従来型の公害問題、ゴミ問題、リサイクル問題などである。確かに、地球温暖化問題についても、こうした自発的な行動が、これから数多くの成果を生むことが期待される。

しかし、他の環境問題と異なり、温室効果ガスの発生原因は、人々の生活、経済活動などのほぼすべての局面に根ざしているため、人々の善意と良識だけに期待した取組みは、究極の解決策とはなりえない。自らのよりよい生活水準を目指し、楽しみと快適さを追求するというリアリスティックな消費者像を前提として、その欲求と両立する解決策を見いだしていくことが、困難ではあるが、不可欠の作業であろう。環境意識が高いとされる欧州においてすら、近年、自動車へのエアコン普及率が上昇し、燃費悪化の要因となっている。まして、これから生活水準の向上、先進国の仲間入りを果たそうという発展途上国の人々の意識を想像すれば、この問題の難しさは容易に想像できる。

わが国では、2002年、京都議定書を批准するにあたって、同議定書が定める削減義務をいかに達成するか、どのような国内対策を講ずるかについて、国民の大きな関心を集めながら、政治、行政、産業界、NPOなどを巻き込んだ議論が繰り広げられた。その中で、「環境と経済の両立」というテーゼが基本的原則として採用されたが、このテーゼは、地球温暖化対策が直面しなくてはならないリアリスティックな側面を一言で言い表している。
本書は、地球温暖化問題に関与する各主権国家、企業、消費者など、さまざまな主体の、リアリスティックな行動原理を前提として、問題解決に向けた道筋を、国際的枠組みの交渉、国内政策形成プロセス、技術の開発、温暖化メカニズムに関する科学面の探求といった面に光を当てながら考察しようとするものである。

環境問題、とくに地球温暖化問題を取り扱うメディアに表れる論調は、内外問わず、ほとんどが、環境保護の重要性を道義的な視点から説いている。例えば、京都議定書の内容やアプローチについて、本書のようにレアルポリティークの観点から批判的分析を加えたようなものは存在しない。むしろ、環境保護活動に消極的であるとみなされかねないような議論は、あえて取り上げないよう、メディアが自制している傾向さえある。本書は、こうした一種のタブーに挑戦したものである。「環境と経済の両立」という抽象的な目標を、現実的な政策に具体化していくという目的でなされた本書での分析・考察が、地球温暖化問題の真の解決に向けて、政策担当者や広く一般の方々に、新たなヒントを与えることとなれば幸いである。

2003年9月
澤 昭裕
関 総一郎

著者(編著者)紹介

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澤 昭裕

経済産業研究所コンサルティングフェロー、経済産業省技術環境局環境政策課長。一橋大学卒業。通商産業省入省。工業技術院人事課長、経済産業研究所研究調整ディレクターなどを経て現職。主な著書・論文に『大学改革 課題と争点』(編著)、「研究危機を生んだ大学の責任」等。