コラム

経営者がリスクをとることは望ましいことか

久保 克行
早稲田大学商学学術院教授

リーマンブラザーズの破綻をきっかけとした金融危機以降、金融機関の経営者の報酬体系に強い批判がなされるようになった。批判の1つは、金融機関の経営者の報酬が長期利益ではなく短期利益を重視していたため、金融機関の経営者がリスクをとりすぎたことが危機の背景にあるというものであった。たとえば、『ブラックスワン』の著者のタレブ教授は、金融機関の報酬システムは、将来の破綻確率を上昇させる効果があるとする。これは、金融機関のボーナスは原則として単年度主義であるため、彼らは、将来の破綻確率が高くても、現在のリターンが高い債券を購入するインセンティブを持つためである。もしも将来、購入した債券が破綻したとしても、彼らの現在の報酬には影響を与えない。このため、リスクの高いプロジェクトに投資して、1年だけでも高いリターンを得ることに成功した場合、金融機関の経営者は巨額の報酬を得ることができる。一方、投資が失敗し金融機関が破綻したときには国による救済を受けることができる。このような仕組みのもとでは、経営者は過度のリスクをとるかもしれない。このようなメカニズムの背後にはストックオプションがあるとして、報酬体系についても同様に強い批判がなされてきた。

これらの経験から学ぶことは何だろうか。それを考える前に、経営者の報酬はどうあるべきか、ということを考える必要がある。経営者の報酬体系を評価する際に2つの重要なポイントがある。1つは、その報酬体系のもとで経営者は企業価値を増大させるインセンティブを持つかどうかということである。原則として、報酬と企業業績の関係が強いほど、経営者は業績を向上させるインセンティブを持つ。ただし、この関係が強ければ強いほど良いというわけではない。業績と報酬の最適な関係はさまざまな要因に依存する。たとえば、規制産業などで業績と経営者の努力の関係が比較的弱いのであれば、業績と報酬の関係はそれほど強くする必要はない。しかしながら、筆者の実証研究によれば、日本の経営者報酬がアメリカと比較した場合、著しく固定的であり、業績との関係が非常に弱い。筆者のシミュレーションによると、現実的に考えられる程度の業績の変化によって日本の経営者の所得は典型的には2000万円程度変化する。これに対して、同程度の業績の変動によって、アメリカの経営者の所得の変化は4億円程度となる。これらの数値は、株主へのリターン(Shareholder Return)が中央値から70パーセンタイルに向上した場合の経営者の収入の変化を計算したものである (久保, 2010, Kubo, 2012)。いいかえると、日本の経営者は株価を上昇させるためのインセンティブは著しく小さい。このサンプルにはストックオプションを導入した企業も含まれているが、この結果は付与される額が十分ではないことを示唆している。すなわち業績と報酬の関係を強くする必要があるという観点からみると、ストックオプションのように経営者の所得と株価を関連づける報酬体系は望ましいといえる。

経営者の報酬体系を評価するためのもう1つの重要な観点はリスクをとるインセンティブという点である。経営者のインセンティブは企業の行動に影響を与える。また経営者がどの程度のリスクをとるかは報酬体系に影響される。このことから経営者の報酬体系を議論する際には、経営者がどのようなリスクをとることを想定するかを議論する必要がある。この点については、日本において十分に議論されているとはいえない。経営者がリスクをとりすぎることが問題であるという考えによると、経営者に対するストックオプションは必ずしも望ましくない。ストックオプションは経営者に対してリスクをとるインセンティブを付与するためである。よく知られているように、ストックオプションを付与された経営者は、株価が上昇した場合報酬を受けることができる。一方で、株価が下落した際には、株を購入しなければよいので直接的な損失はない。成功に対するリターンがある一方で、失敗に対する直接的なペナルティがないため、リスクをとるインセンティブを持つことになる。

それでは、ストックオプションは望ましくないのだろうか。これを考える事は、企業の経営者に対してリスクをとることを推奨した方が良いのか、それとも抑制する方が良いのかという議論につながる。金融機関については、リスクをとることが比較的容易であること、広く一般から預金を集めていること、破綻したときに国の介入がなされることから、リスクをとることを、ある程度抑制する必要がある。また、国民生活の安全や安定性に直接的に甚大な影響を与える可能性がある業種では、経営者が大きなリスクをとることは望ましくないだろう。それでは、一般の事業会社についてはどうだろうか。事業会社の経営者が、過度のリスクをとっているのであればリスクテイクを抑制する必要があるし、逆に必要なリスクをとっていないのであればリスクテイクを促進すればよい。日本企業はリスクをとりすぎているのだろうか、それともとるべきリスクをとっていないのだろうか。このことに対して実証的に示すことは容易ではない。しかし以前より日本企業の利益率が低いことはさまざまな研究で示されてきている。ハイリスクハイリターンという言葉が示すように一般にリスクとリターンには正の関係がある。また、アメリカの企業などと比較して事業ポートフォリオの転換が遅いといわれることもある。これらのことは、日本企業がとるべきリスクをとっていない可能性を示唆している。日本企業がとるべきリスクをとっていないのであれば、経営者に対してリスクをとるインセンティブを付与するほうが望ましい。このことから、ストックオプションは前向きに評価することができる。すなわち、ストックオプションは必ずしも悪いものではない。いずれにせよ、経営者の報酬体系を考える際には、業績をあげるインセンティブ、リスクをとるインセンティブのそれぞれについて、経営者に対して何を望んでいるのかということを明確にして設計する必要があろう。

久保克行『コーポレート・ガバナンス 経営者の交代と報酬はどうあるべきか』 日本経済新聞出版社、2010年 287ページ

Katsuyuki Kubo (2012) "Presidents' compensation in Japan" in Randall S. Thomas, Jennifer G. Hill eds., Research Handbook on Executive Pay (Research Handbooks in Corporate Law and Governance), Edward Elgar Pub (2012/08), 369-386

2013年10月21日

2013年10月21日掲載

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