ブレイン・ストーミング最前線 (2008年1月号)

企業のリスク管理とコンプライアンスの実務
食品偽装から財政不正まで―危機管理の現場から―

國廣 正
国広総合法律事務所弁護士

コンプライアンスとは何か―最近の事例から

不二家

今年1月になって突如明るみに出た「不二家事件」は、コンプライアンスの観点から以下の2つがポイントとなります。1つに、不二家は安全コンプライアンスの意味を勘違いしていた。「不二家事件」では実際に食中毒が出たわけではありません。しかし、本質的な問題は、食品の安全そのものが脅かされたか否かというよりは、安全性の前提となる制度への信頼性が壊されたことにあります。

次に、危機管理能力の欠如。調査報告書によると、社内では11月に問題が発覚していたにも関わらず、雪印の二の舞をおそれて公表しないまま翌年1月に至ったそうです。仮に次のステップを踏んでいたら、どうだったでしょうか―直ちに社長に報告すると共に、プロジェクトチームを立ち上げ事実関係を徹底的に調査する。そして調査結果を12月上旬に社長自ら公表して謝罪する。その時に、「クリスマス商戦には参加しない。自らの進退は社会の納得が得られ、生産再開に踏み出せる時期の目途がついた段階で明確にする」と社長が述べていれば、騒動はあそこまで大きくはならなかったのかもしれません。危機管理で一番大事なのは、実際に起きた危機に向き合い、克服するプロセスをみせていくことです。不二家はその点で失敗したといえます。

パロマ

昨年の7月に明るみに出たパロマのガス瞬間湯沸器の事件の教訓の1つは、危機管理を法律のみに頼るのは非常に危険ということです。消費者の判断で安全装置を取り外した結果の死亡事故については、「製造物責任や欠陥は無い」と法的には主張できますが、企業が従うべき規範は法律だけではありません。危険を認識した以上は法的責任の有無に関わらず公表する必要があったと思います。調査報告書はパロマが実に10年以上も前から事故を把握していたことを明らかにしています。パロマは事故の発生を把握した時点で公表し、製品を回収すべきだったのではないでしょうか。

これら2つの事例から5つの教訓が導き出せます。
(1)コンプライアンスとはタテマエ論や精神論ではない。企業の存亡を左右するリスク管理論である。
(2)リスク管理にはリスク予防と危機管理の2種類がある。
(3)社会(消費者、投資家)に対する正確な情報開示が企業活動の基本。
(4)隠蔽(社会から隠蔽とみなされること)は致命傷になる。
(5)法律遵守だけではリスク管理はできない。企業の社会的責任、企業倫理まで視野に入れることで有効なリスク管理が可能となる。

相次ぐ不祥事の背景―社会環境の変化

一連の企業不祥事について、「最近の企業はたるんでいる」、「昔はこのようなことはなかった」という意見もありますが、企業は昔と変わらないと思います。むしろ社会の常識や意識が変わり、昔のような行為が許されなくなったのでしょう。

高度経済成長の時代は、官の指導の下、業界が一致団結して、無駄な競争をせずに横並びで発展する「護送船団方式」がとられていました。世の中を律する規範は法律よりむしろ業界の論理であり、官の「指導」でした。

しかし、1990年代を境に日本経済は自由競争・規制緩和路線に転換しました。「事前規制は緩和する。しかしながらルール違反は一発退場、違反者には社会的制裁を」と世の中の常識が劇的に変わったのです。

最近の不祥事には、食品や製品の安全性を脅かす行為と資本市場を欺く行為の大きく2つの流れがあると思います。これら2つは一見、無関係ですが、食品にしろ、株にしろ、消費者は食品ラベルや有価証券報告書に記載の情報が正確であることを前提に、自己責任で、購入判断を下します。その前提を打ち破る行為であった点で2つは共通しています。

表と裏を使い分ける日本的風土は自由競争の新しい時代にそぐわないものとなりました。その風土を残している企業で不祥事が起きているのです。

有効なリスク管理のために

「あってはならない」の呪縛を解く

リスク管理とはリスクをゼロにすることではありません。どんな企業でも間違いは起こります。そうした不正や事故の数を可能な限り減らし、最善を尽くしても残るリスクや事故については早めに把握し、対処する。それこそが企業に求められる合理的なリスク管理です。

「あってはならない」という言葉は、リスクを減らし制御するという合理的なリスク管理をむしろ阻害する、非合理で有害な精神論です。「あってはならない」という考えは隠蔽を促進するベクトルにもなります。リスク管理ではこうした精神主義を廃して、「組織である以上、必ず不完全な部分がある」との前提に立ち、リスク管理の意識を組織に浸透させる必要があります。

知識より常識を

有効なリスク管理には世の中の常識を企業内に取り込む視点が必要です。特に大企業では、膨大な枚数の法令マニュアルを作成する等、知識偏重の傾向がみられますが、それよりも常識的に「おかしい」と感じたことを挙手して、発言できるような意識をトップが率先して浸透させることが重要です。

能動的な危機管理を

さらに、説明責任を軸にした能動的な危機管理が必要です。悪い情報だからこそ、調査し説明する。それこそが「誠実な対応」であり、それ以外に危機を突破できる道はありません。

資本市場の成熟性とコンプライアンス

正確な企業情報の公平な、かつ適時の開示は、資本市場が成立するための大前提です。金融商品取引法が施行され、企業は膨大な予算と時間を投入して対策を進め、内部統制パニックといった状況が生じています。「内部統制」の本来の目的は市場に対する商品表示の正確性を期すこと、すなわち有価証券報告書の虚偽記載を防止することです。その最終目的である「投資促進による日本経済の活性化」という視点が抜け落ちているようです。

資本市場でいう「規律」とは、法律以外にも業界の自主ルール、企業倫理、社会常識等、さまざまなレベルであり、それぞれの規律が全体として機能するのが成熟した市場だと思います。この意味でも、東京地検や金融庁といった権威当局が経済社会の規律を作る上で一時的役割を果たす社会はあまり成熟していない気がします。国策捜査の中には、冷静な、かつ長期を見据えたとはいい切れないようなものもあります。確かに、誰かをスケープゴートにして処罰すれば社会一般の納得は得やすいのかもしれませんが、社会が溜飲を下げたからといって原因究明が進む訳ではありません。むしろ市場参加者による多層的かつ迅速・適正な規律が自主的にできていく方が、新しい市場経済を作る上では好ましいのではないでしょうか。

質疑応答

Q:

過剰規制の解消も必要だと思いますが、これは誰がいかに進めていくものでしょうか。

A:

ルールが尊重され有効に機能するには、適正かつコンパクトなものでなければなりません。そういう意味では過剰なルールを適正なものにすることと、ルールを守ることがペアでなければ不正はなくならないと思います。では誰が過剰なルールを適正にしていくか。ルールを策定する主体―法律であれば行政機関、自主規制であれば企業―が、おかしな点を修正していくべきでしょう。

※本稿は11月2日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2008年1月23日掲載