Research & Review (2007年9月号)

急増する日本のM&Aを読み解く-企業統治分析のフロンティアに向けて

宮島 英昭
経済産業研究所ファカルティフェロー・早稲田大学商学学術院教授・ファイナンス総合研究所副所長

1990年代末から2000年代初頭にかけて日本企業の構造と行動は大きな変化を示した。その中でも、もっとも大きな社会的関心を集めた変化の1つはM&Aの急増であろう。産業再編を目的とする大型合併、メガバンクの成立に始まったM&Aブームは、IT関連企業の積極的M&A戦略による成長の実現、ファンドによる大量買付け、ライブドアの騒動を経て、現在は、事業法人による買収提案や大型のTOB(株式公開買付)へと広がった。また、三角合併の解禁によって海外企業を買収主体とするM&Aも現実味をおびつつある。いまやM&Aは非常に身近なものとなり、新聞や経済雑誌でM&Aが取り上げられない日はほとんどない。

しかし、敵対的買収や海外企業による買収に対する賛否両論がやや過熱気味に展開される反面、M&Aに関する実証分析はけっして多くはない。そもそも、なぜ近年M&Aが急速に増加したのか。急増するM&Aは経済的にどのような役割を果たしたのか、M&Aは、本当に企業価値を引き上げているのか、引き上げているとすればその源泉は何か、M&Aの急増はわが国にも英米型の経営権市場が形成されたことを意味するのか。

本年6月に上梓された宮島英昭編著『日本のM&A企業統治・組織効率・企業価値へのインパクト』*1は、こうした一連の問いに対して可能な限り包括的に解答を与える試みである。以下では、その狙いとエッセンスを簡単に紹介しよう。

企業統治分析とM&A

本書は、RIETI内に組織されたコーポレートガバナンス研究チームの研究成果である*2

2002年に青木昌彦元所長によって組織された同チームは、当初、変容する日本企業の企業統治の理論的・実証的分析を課題とし、メインバンク関係、持合解体の計量分析、取締役改革の決定要因などの包括的分析を試みてきた*3。その後、上記の研究が一段落すると、同チームは、新たな課題としてM&Aの経済分析に着手し、既存の研究の整理や、企業・投資銀行からのヒアリングを開始した。M&Aは、企業支配権市場(Market for corporate control)として企業統治の重要なメカニズムの1つと理解されるから、急増するM&Aの分析にテーマを定めるのはコーポレートガバナンス研究チームとしては自然な研究の流れでもあった。

もっとも、一口にM&Aといってもその実態は多様である。メディアの注目を集めるファンドによる株式の大量買付けはその一部にすぎず、むしろ、M&Aの中心は事業法人を主体として友好的な形で進められる産業再編成や戦略的M&Aであり、企業の統治構造は、こうしたM&Aの選択に対して買収・被買収側のいずれにおいても重要な影響を及ぼしている。したがって、M&Aは包括的に分析される必要があり、実証的に解答を引き出すべきは、M&Aが実態面に与える影響であった。

『日本のM&A』のメッセージ

本書は、M&Aに、主として計量的な手法によって接近を試みる第一部と、ケース分析によって企業価値上昇の源泉を追求する第二部から成る。第一部では、M&Aの発生原因やその機能に関して、独自のデータベースの構築を前提に、標準的な分析手法によりながら実証分析が試みられる。また、第二部では、通信(ボーダーフォン―ソフトバンク)、自動車(日産―ルノー)、成長戦略としてのM&A(日本電産)、大規模なリストラ(雪印)のケースに即して、M&Aがいかなる経路を通じて企業価値を引き上げるかが明らかとされる。また、序章では、M&Aを見る際の基本的な視点や日本のM&A小史をまとめ、終章では、日本のM&Aの特徴を国際比較の観点から総括した。

そのメッセージを要約すれば、こうなろう。M&Aが急速に増加したのは、技術革新や需要の急減といった正負の経済ショックによる。M&Aは、市場によるビジネスモデルの評価のメカニズムとして、日本に着実に定着しつつあるが、日本のM&Aは、英米とは異なる取引・組織面の特徴をもち、それは日本の企業システムの進化に規定されている。増加するM&Aは、低収益の部門の縮小と、成長性の高い部門の拡張という意味で資源移動を促進し、経営資源・ノウハウの移転を通じて企業の組織効率の上昇に寄与している。この移転は、部門は限定されているものの海外企業を買い手とするM&Aに強く確認できる。他方、ファンドによる敵対的買収・株式の大量買付けは企業の財務政策に影響を与えつつある。ただし、M&A後の組織効率の上昇にはばらつきがあり、いまだ大きな改善の余地があろう。

M&Aに企業価値の上昇の源泉は多様であり、規模・範囲の経済性の実現に加えて、統合による交渉力の上昇といった産業組織論的要因や、組織間の相互学習、操業レベルでノウハウの移転の持つ意味も大きい。総じて、M&Aはこれまで日本経済の構造調整に寄与しており、しばしば指摘されるターゲット企業の過大評価や、信頼の破壊といったM&Aの負の側面は、顕在化していない。したがって、過大なM&Aの発生や、M&Aによる競争制限に対する慎重な考慮の必要があるものの、日本経済の構造調整を促進し、成長分野の拡充を促すためにM&Aを促進する制度基盤の整備が不可欠ということとなる。

企業統治分析のフロンティアに向けて

RIETIのコーポレートガバナンス研究チームは、本書出版後も、企業統治分析のフロンティアの開拓を目指して、幾つかの課題に取り組んでいる。

1つは、先に紹介したM&A研究の拡張であり、企業価値向上に繋がるM&Aとは、いかなるタイプのM&Aなのかが当面の焦点である。また、ポスト持合い期の日本企業の株式所有構造の分析も、本チームの重要な検討課題である。とくに、この点の検討は、敵対的買収防衛策との関係でも、重要な意義をもつと考えられる。さらに、新興企業や上場子会社のガバナンス問題は、これまで十分な検討が加えられてこなかった分野なだけに、緊急の課題と理解している。最後に、伝統的な大企業における内部ガバナンス(取締役改革・報酬制度の変更)と事業ポートフォリオ・内部組織構造との関係の解明、つまり、ファイナンス、企業ガバナンス、企業組織の総合的理解が今後の重要な課題である。この点の解明は、日本企業システムが英米型のシステムに収斂するのか、それとも日本型の特性を維持するのかという問題に新たな光を当てることとなろう。コーポレートガバナンス研究チームでは、こうした点に関する研究の成果を、今後も随時公表していきたい。

脚注

2007年9月27日掲載

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