Research & Review (2007年1月号)

地域経済統合におけるダンピング防止措置の取扱い

川島 富士雄
名古屋大学大学院国際開発研究科助教授

平成17年度より、経済産業研究所における「地域経済統合への法的アプローチ」研究プロジェクト(代表・川瀬剛志ファカルティフェロー)では、日本が今後締結する自由貿易協定(以下「FTA」)や経済連携協定(以下「EPA」)の交渉実務に資することを1つの目的として、テーマ毎に地域経済統合間の比較法制度研究を行っている。

地域経済統合は、欧州共同体(以下「EC」)、北米自由貿易協定(以下「NAFTA」)、及び日本シンガポール新時代経済連携協定(以下「日星EPA」)をそれぞれ代表格とする関税同盟、FTA及びEPAなど種類も多いが、本研究では、種類・名称を問わず広く比較研究の対象としている。また、対象テーマとして、市場アクセス制度、相互承認制度、紛争解決手続、投資、競争政策、サービス貿易、知的財産等を幅広く取り上げている。本研究の成果の一部として、筆者は、ダンピング防止措置(以下「AD措置」)の取扱いに関する研究を公表したので*1、以下その概要を紹介したい。

AD措置は、関税及び貿易に関する一般協定(以下「GATT」)6条に基づいてGATT締約国に発動が認められる措置である。輸入国は、特定の輸出国からの産品の自国市場に対する輸出価格が正常価額を下回り、かつ輸入国の産業に実質的な損害を与える等損害要件を満たす場合、その差額(ダンピング・マージン)を上限とするダンピング防止税を当該産品に賦課すること等が認められる。さらに、ダンピング・マージンの計算方法、損害認定方法、調査の開始等に関する規律の詳細が、世界貿易機関(WTO)のダンピング防止措置協定(以下「AD協定」)に規定されている。WTOドーハ開発アジェンダ(新ラウンド)交渉において、AD措置関連規律の強化のための交渉が行われてきたが、2006年七月に交渉全体が中断しており、短期的には大きな成果を望むことが困難な状況にある。

地域経済統合におけるAD措置関連のWTOプラス

他方、各種の地域経済統合では、現行WTOルールを超える「WTOプラス」の規律が達成された例がある。第1に、EC、欧州経済地域(EEA)、オーストラリア・ニュージーランド経済緊密化協定(以下「ANZCERTA」)、カナダ・チリFTA及び欧州自由貿易連合(EFTA)・シンガポールFTA*2では、域内貿易に関しAD措置の適用をそもそも廃止することに成功している。第2に、シンガポール・ニュージーランドFTA、シンガポール・ヨルダンFTA等では、例えば、AD措置が撤廃されるべきサンセット期間をAD協定の定める5年以内から3年以内に短縮するなど、WTOプラスの実体的規律が導入されている。第3に、NAFTAでは、紛争当事国の国民で構成される二国間パネルの手続(第19章手続)が用意され、AD措置に関する紛争は、当該特別手続で処理される。これは手続面でのWTOプラスの例といえる。

しかし、NAFTA以降に米国が締結したFTAや日本が締結した一連のEPAを含む多くの地域経済統合においては、何らのWTOプラスも盛り込まれておらず、以上紹介したAD措置適用廃止やWTOプラスの例は、あくまで少数派であることにも注意が必要である。

AD措置適用廃止の前提条件

では、いかなる条件が整えば、地域経済統合において、AD措置の適用廃止が達成できると考えられるか。ECやANZCERTA等の経験を、ダンピング成立条件やAD措置の存在意義に関する諸理論に照らして考察すれば、域内でAD措置適用を廃止するために必要な条件は、
(1)自由貿易の完成による公的市場分断の除去、及び
(2)競争法調和または統一競争法の執行による私的市場分断の除去
と考えられる。

第1に、関税等が撤廃され自由貿易が完成すれば、ダンピング輸出された産品は輸出国に逆輸入される可能性が高まるため(仲裁取引)、輸出国内の価格も低下し、結果としてダンピングは消滅するはずである。しかし、第2に、自由貿易が輸出国内の私企業による反競争的慣行(例…安価な輸入品のボイコット)によって阻害されている場合は、仲裁取引は望めない。ただし、輸出国が競争法を運用し、反競争的慣行を実効的に規制している場合は、仲裁取引の発生が期待できる。さらに、公的及び私的市場分断が除去されれば、AD措置の存在意義に関する主要学説である「不公正貿易論」の主張するAD措置正当化の根拠(市場独占による人為的優位への対処の必要性)が奪われるため、政治的にもAD措置適用廃止が受け入れやすくなろう。これら二条件に加え、必須条件とはいえないものの第3に、ANZCERTAの場合のように、競争法におけるAD措置代替規律の導入と執行協力によって、輸入国側の競争当局にダンピングへの効果的な対処手段が与えられれば、さらに廃止がスムーズとなると考えられる。以上の考察に照らせば、AD措置適用廃止の有無は、まさに地域経済統合の「市場統合度を示す指標」ということができよう。

例外的事例とAD措置適用廃止の「限界線」?

前記の考察にもかかわらず、現実には必ずしもこれと整合的でない事例も存在する。まず、カナダ・チリFTA及びEFTA・シンガポールFTAでは、前記の前提条件のうち自由貿易はほぼ完成済みだが、競争法調和は十分に達成されていなかったにもかかわらず、AD措置適用廃止が達成されている。しかし、これらは締約国双方が、米国を筆頭とする「AD措置ユーザー国」による同措置の濫用を封じ込めるため、WTOまたはFTA交渉における将来のAD措置の廃止や規律強化の達成に向けた「先例形成」に強い共通利益を感じていたからこそ、成立しえた例外的事例と考えられる。チリ、(EFTAの主要国である)ノルウェー、スイス及びシンガポールは、いずれもWTO・ADルール交渉において日本と共に規律強化を主張するADフレンズ国であり、カナダもチリとのFTA締結当時には同メンバーであった。

逆に、自由貿易がほぼ完成し、競争法調和もある程度達成されていたにもかかわらず、AD措置適用が廃止されていない事例として、EC・中東欧諸国間の欧州協定*3やEC・地中海諸国間の連合協定がある。これらは、なおEC側が中東欧諸国や地中海諸国による競争法執行に対し、欧州競争法と同等程度に実効的に運用されるという意味での「相互認証」を与え得なかった事例と解釈することもできるが、1人当たり国民総所得や市場経済の成熟度等の観点で大きな開きがある国との間では、AD措置適用は廃止し得ないという意味で、「廃止の限界線」を示唆しているのかもしれない。

同様の現象は、アメリカ大陸でも生じている。前述のようにカナダは、米国のAD措置の封じ込めに積極的な姿勢をとり続け、NAFTAでのAD措置適用廃止に失敗したものの、NAFTA拡大交渉などでの「敗者復活」を狙い、チリとのFTAでAD措置適用を廃止した。しかし、それに強く反発した国内世論を受け、カナダは、アメリカ大陸全域での自由貿易地域の形成に向けたFTAA交渉においては、AD措置温存・弊害除去論へとその態度を大きく変更し、前述のADフレンズからも脱退している。これも、1人当たり国民総所得等の観点で大きな差があるラテン・アメリカ諸国との間では、AD措置適用は廃止し得ないという「限界線」を示唆する事例といえようか。

AD措置関連のWTOプラス規律の成立条件

他方、AD措置に関しWTOプラスの実体的規律を導入した事例を分析すると、興味深い傾向が浮かび上がる。第1に、前述したようにADフレンズ国であるシンガポールが締結したFTAに、WTOプラス規律が多く導入されているため、AD措置適用廃止と同様、これもWTO交渉などに向けた「先例形成」を狙ったものと考えられる。第2に、双方がADフレンズ国であっても、例えば、韓国・シンガポールFTAのように、当事国間で一方のみが他方にAD措置を適用しているといったアンバランスな状態にある場合には、実質的なWTOプラスが成立しない傾向がある。第2の点は、FTA両当事国が相互に同程度にAD措置発動国になりうる関係か、相互にAD措置発動国になりえない関係に立つ場合にだけ、実質的な規律強化が実現され得ることを示唆しており、相互主義が有効に機能する条件とされる「立場の逆転可能性」(Role reversibility)の重要性を再確認する知見である。これはWTO・ADルール交渉による規律強化の実現可能性を予測する上でも重要な視点となろう。

日本の今後のFTA/EPA交渉への展望

日本はすでにシンガポール、メキシコ、マレーシア及びフィリピンとの間でEPAが発効済みまたは署名済みであるが、いずれにおいてもAD措置適用廃止はおろか、WTOプラス規律すら導入されていない。しかし、これはAD措置関連規律について何らの議論もなかったことを意味しない。日星EPA交渉に先立ち両国の政府関係者、学界、産業界からの参加者が行った検討の結果をとりまとめた「共同検討会合報告書」(2000年9月)*4では、AD措置の適用廃止、WTOプラスの規律導入を含む代替案が提示されたが、その後の交渉の結果、これらの代替案は採用されるに至らなかった。この過程では、FTAにおけるAD措置関連規律が、域外国との関係で、GATT1条1項やAD協定9条2項の無差別適用原則に反する差別を構成しないかという、法解釈論上の疑問等が少なからず影響したようである。日本が今後締結するFTA/EPAにおけるAD措置関連規律の導入の可否を検討するに当たっては、この点に関する法解釈論の整理を進めることも大きな課題となろう。

さらに、今後、ASEANとのFTAや東アジア全域でのFTA等の交渉において、AD措置適用廃止の是非が、法解釈論とは別に、政策論的争点として浮かび上がる可能性がある。前記考察に照らせば、そこでは、域内競争法の調和または相互認証といった時間のかかるプロセスを経て、AD措置適用廃止を達成するという長期的制度設計も必要となってくるかもしれない。また、欧州とアメリカ大陸で見られたAD措置適用廃止の「限界線」が、東アジアにおいても同様に立ち現れるのかも今後、注目に値しよう。

脚注

2007年2月7日掲載

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