ブレイン・ストーミング最前線 (2006年6月号)

知識化と装置産業と競争力―TFT液晶パネル産業のケース―

トーマス・マーサ
イリノイ大学シカゴ経営学部経営学教授

ステファニー・レンウェイ
イリノイ大学シカゴ経営学部長

本日は、フラットパネルディスプレイ(以下FPD)業界、特にTFT液晶※1パネルセクターについて、私どもの研究プロジェクトに沿ってお話しします。この研究プロジェクトは、スローン財団の資金による「グローバル知識ネットワークと産業」というプログラムの傘下にあり、私どもはミネソタを拠点に、FPDチームとしての研究に加えて、他の「下請け製造業」、「半導体」、「PC」、「ベンチャーキャピタル」、「外部調達」の5つの傘下のチームを含めた全体の調整も行っています。

「グローバル知識ネットワークと産業」は、組織間または企業間の連携がイノベーションに果たす役割を研究するプログラムで、2003年から開始されました。それ以前に私どもは、1995年からスローン財団の資金でTFT液晶パネルセクターについての研究を行い、2002年に成果を出版※2していました。この研究結果は、驚くべきものでしたので、スローン財団は、TFT液晶パネルセクターについて我々が発見したこと、即ち、多くの国々の企業間のグローバルな連携がこの産業の発展とイノベーションに不可欠であったということに関し、さらに研究を進めるとともに、この発見が他の産業にも適用可能かどうかを調べるプログラムに我々を招請したというわけです。

※1…TFT(Thin Film Transister)液晶とは、液晶の方式の1つで、薄膜状のトランジスタを利用したもの。
※2…「Managing New Industry Creation」、2002年1月。

FPD業界の日本での誕生

液晶テレビのような過去に例のない新しいものを創造しようとする場合、市場が購入可能な価格でうまく提供できれば企業は強大な競争力を得られるため、企業理論からすると、イノベーションは自社で行い、可能な限り秘密にしておきたいものと考えられ、複数の企業が連携して行うイノベーションは驚くべきことと受け止められます。イノベーションのための連携という概念は、企業にとっても政府の政策にとっても多くの課題を生み出します。それが私どもの研究の焦点です。

我々は、FPD業界が誕生したのは、NECが大型TFT液晶パネルを最初に大量生産した時点(1990年頃)と定義しています。その前にも、様々な経緯と研究開発の過程がありますが、大量生産にこぎつけ生産工程の1つのパラダイムが確立したのは、アプライド・マテリアルズやコーニング、フォトン・ダイナミックといった外資系部品メーカーが日本に来て日本企業と連携し努力したためです。日本は90年代初期には世界の約95%の市場シェアを占めていましたが、ここ5年ほどで主導権を握る顔ぶれはすっかり様変わりしました。なぜ、この業界は日本を中心に誕生し、その後米国ではなくアジア諸国に広がっていったのでしょうか。この業界で将来日本はどのような役割を果たすべきでしょうか。現在日本で懸案とされている議論は、1990年代の米国での議論と似ています。

1990年代当時、米政府は企業同士が連携することを条件に、資金的インセンティブを提供するプログラムを作って米国でのFPD産業の発展を促そうとしました。しかし、我々の研究でわかったことの核心は、政府の資金を受け取って共同事業を進めたメーカーで成功した例は皆無であり、先ほどのような企業は米政府の資金ももらわず、提携関係や顧客・供給業者との関係を米国内に限定することもしなかったということです。彼らは、日本に進出し、強力な日本の関連企業と事業を進め、今日その全てが成功を収めています。

FPD業界のアジアでの発展

我々は、1996年から2006年の間に世界各地の現場を訪ねて、市場での競争を可能にする戦略の立案プロセスについて経営者から話を聞きました。その結果、ハイテク産業の創生期の市場に企業が参加するためには、4つの要素、即ち、(1)持続性、(2)学習、(3)連携のための知識ネットワークへのアクセス、(4)素早い行動力、が必要であることがわかりました。また、日本に続いて成功した後発企業の場合は、「一歩後退して学んでから一気に躍進する」という要素も加わります。

1995年以降、アジア経済危機の影響で、日本では第三世代ラインへの投資は鈍りました。一方、次のラインはサムスンで誕生し、シェアトップの座をDTIから奪いました。1999年には台湾企業が生産を開始し、2001年には台湾が主導的役割を果たすようになりました。2004年以降、世界市場の主導権争いをしているのは台湾と韓国で、日本のシェアは大幅に縮小しました。IBMは他の日本企業と同時期に市場から撤退しました。現在成功している企業は小規模に開始し、徐々に力をつけて大型の製造へと参加していきました。外国企業は、日本企業とパートナーになり、コラボレーションとグローバルな知識ネットワークを手に入れるために日本に来る必要があったのです。

「学習」がこの業界で継続して行われてきたことは、基板サイズ拡大という技術的課題の克服が、世代間でも世代内でも続けられてきたという事実に表れています。基板業界は最も変化のスピードが速い業界の1つとされ、今でもムーアの法則の倍に相当する速度で変化が進んでいるとされますが、企業はそれについていくことができました。

「一歩後退して一気に躍進」という後発の成功要因は、台湾と韓国にあてはまります。日本でこの業界が軌道に乗り始めた頃、米企業はまだ検討中で、しかももっと先の世代に参入しようと考えましたが、不可能でした。業界の変化が速いので、カギとなる知識のほとんどは関係者の頭脳にあって、機械からは次世代の生産工程が生まれなかったからです。企業は、常に同じオペレーターとエンジニアを使って世代交代を行う傾向があるので、自社にそうした要員がいない場合、ビジネスに参入するにはいったん後戻りを余儀なくされます。つまり台湾や韓国は、実際の世代よりも古い第一、第二世代の工場から始めて基礎固めをしたからこそ、後年大躍進できたのです。中国は現在の世代である第六世代に参入しようとしていますが、一歩後退することをまだ学んでいません。

FPD生産地域が集中する要因

このように、FPD産業は、日本におけるグローバルなコラボレーションから1990年代半ばに生産パラダイムが生まれて発展した知識主導型産業です。急速な技術の進歩により、知識の体系化にバックログが生じるため、企業間や企業内で個人間の濃密な結びつきは今後も不可欠です。私たちは、この産業が日本で始まって、業界に参入しようとした企業が日本に来る必要があったのかに対する答えがここにあると考えています。変化が速いほど、業界内の知識が個人の頭の中に納められて口移しに伝えられる割合が増えるので、その知識を分け合うには関係者が集中していることが重要になるのです。

こうした特性は業界がある程度拡散した今も残っています。韓国企業はグローバル・ツールセットを買収し、日本人コンサルタントを多数雇い、躍進するために一歩後退しました。台湾はもっと直接的です。日本企業は積極的に台湾と提携し、二次供給源を作り上げました。今日世代交代を率いているのはサムスン、LGフィリップスやシャープといった韓国と日本の企業です。Plug and Play(注…周辺機器を接続すればすぐに使える標準規格)という表現がありますが、世代の最先端では、plug and pray(接続したら祈る)というべきで、最初に新しい装置を動かしてみるまでそれがうまく行くかどうか誰にもわかりません。しかし古い世代がしっかり定着していれば、市場で装置を調達することも、経験を積んだ人たちを雇用することもできるでしょう。従って、台湾などの後発組は1年か2年待つ傾向にあるのですが、中国は「接続したら祈る」段階にあって祈りも十分でないようです。

FPD業界の将来の課題

莫大な経費がかかり、装置が巨大化したFPD業界は、もはや重工業といえるでしょう。そこには、連携と競争をめぐりジレンマが生じています。この業界の知識は一定地域内に集中する傾向があり、工場が巨大化した今、企業は互いに近い場所に工場を建設しなければなりません。また、この業界ではサプライヤーも豊富な知識を持っており、工場の新設や生産についてはメーカーより詳しいと言われるほどです。

そうした特徴を考えると、技術面で主導権を維持したい企業にとって、部品や原材料のサプライヤーとのグローバルな連携が必要ですし、後発組にとっても、そうした部品や装置へのアクセスが必要です。その結果、稀に見る協力的な業界が誕生します。特に、世代交代の最先端に立とうと決意した企業は、新工場の立ち上げにあたり、あらゆる関係者を招き入れる必要があります。換言すれば、新しく製造ラインを組み立てるのに必要な、工程の改善や刷新、知識が、工場を舞台にして関係企業間で広く共有される可能性があるのです。この業界は、共通の供給基盤を通じて大量の知識が普遍化する不思議な業界であり、過去に多くの産業で見られたようには垂直統合されていません。

この業界で競争力を獲得できる最大の秘訣は、どうやって秘密を守るかであるといわれます。差別化によって競争できるよう、プライバシーや企業秘密を維持するための経営プロセス、信頼関係、了解事項、テクニックがあるのです。ところが、同時に、産業の進歩のためには共通の知識基盤が必要であるという了解があり、誰も装置・原材料メーカーが行う研究開発費を負担したいとは思っておらず、知識ネットワークの中で責任分担を広範に行う方を望んでいるのです。

我々は、垂直統合を目標とする企業には自信過剰な部分があると思っています。垂直統合にはまだ時期が早く、人材も不足しています。ある市場に参入を可能にするに足る知識を企業内に蓄積するだけで5年から10年かかるとの試算もあります。1年半程度で新世代が出現するというのに、5年から10年後のターゲットをどうやって決められるでしょうか。また、垂直統合は、部品・原材料のサプライヤーの買収から始まりますので、部品・原材料供給メーカーの人材が有する知識が決定的な意味を持ちます。新しい工場の立ち上げは、常に同じ人々によって行われます。そうだとすれば、それらの企業はいかに自社の生産能力を拡大するのでしょうか。工場を立ち上げた後に操業を行う要員は十分な訓練を受けている必要があり、さらに前進して新世代を立ち上げるのはその同じチームなのです。

私たちは、今後数年の内に、第七から第八世代にまたがって設備投資の費用があまりに高額になって利益が減少する時がきてこの業界の自信が危機に直面すると予想しています。いずれ立ち上げた工場が非効率になる時が訪れ、大きな破綻の可能性があり得ます。まもなく保守主義が定着し、世代の進歩が鈍化することが予想されます。競争の基盤は生産工程ですが、新世代の設備を導入する利点がなくなり、今あるような連携のレベルも変化する可能性があります。それが、現在私たちが抱いている大きな疑問です。

質疑応答

Q:

米国はこの業界に参入しようとして失敗したということですがなぜでしょう。

A:

この業界は知識主導です。転換点は、シャープが計算機を生産し始めた時で、これで知識が日本に移りました。その後業界はツールセットを通じて韓国に、ライセンシングを通じて台湾に移動しました。台湾のようにノウハウを学べば世界のどんなビジネスも引き込むことができます。米国では供給業者はうまくいきましたが、最終製品で成功したのはIBMだけでした(レンウェイ)。
米国で生産するには、一時的にせよオペレーターを外から連れてこなければなりません。米国は教えるのは上手だが学ぶのが苦手で、画期的なものを作って一足飛びにやることに拘っているのです(マーサ)。

Q:

台湾が追随者に分類されていますが、どうお考えですか。中国はどうでしょう。

A:

台湾が参入したのは第四世代と第五世代で、第六世代の工場はまだ建設されていませんが、それは操業方法を知らないにすぎません。工程に関して大量の革新を実現し、結果として台湾は主導的立場にのし上がりました。台湾は海峡を越えて中国本土に進出するでしょうが、それは第六世代に跳び込む新企業ではありません。一部の台湾企業は中国進出の準備をするためだけに、生産施設を設置しています。従って台湾は、最初は追随者で満足していますが、それは意図的な戦略です(レンウェイ)。
そしてそれは台湾の研究開発能力と関係があるためではありません。台湾の考えは、少し後れて参加するほうが、歩留まりの改善に余計な経費をつぎこまずプロセス改善に専念できるというものです。既存世代の工程を改善すれば、マージンが日本、韓国に追いつくという考えであり、それは正しいように見えます。問題は、台湾はブランドを確立できないことです(マーサ)。

※本稿は3月24日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2006年6月21日掲載

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