Research & Review (2004年2月号)

デジタル家電は日本を救うか

池田 信夫
上席研究員

IT(情報技術)バブルの崩壊後、元気のなかった日本のIT産業が、最近にわかに活気を取り戻している。その牽引役となっているのが、携帯電話やDVD(デジタル多用途ディスク)などの「デジタル家電」である。特にDVDレコーダー、デジタルカメラ、液晶テレビは、いずれも売り上げが前年比40%以上のび、電子機器全体でも14.9%増と、ITバブルの時期を上回る伸びをみせている(JEITA調べ)。

パソコンではインテルとマイクロソフトが圧倒的な市場支配力をもっているが、家電は日本の得意分野なので、官民共同で「日本発の国際標準」を作れば、日本が「ユビキタス時代」の主導権を握れる―という類の議論がメディアをにぎわせているが、そううまく行くだろうか。

デジタル家電=半導体

デジタル家電の特徴は、その中身が「半導体のかたまり」だということである。おかげで、2003年の日本の半導体出荷額は前年比22.5%の伸び率を見せ、世界平均の伸び率14.8%を大きく上回った(WSTS調べ)。その内訳としては、かつて日本が圧倒的な優位を誇ったDRAM(パソコンの記憶装置)の比重が下がる一方、デジタル家電用のソフトウェアを組み込んだ「システムLSI」が増えているのが特徴である。

集積回路(IC)は、1960年に生まれて以来、急速な技術革新を遂げてきた。「ムーアの法則」として知られる経験則によると、半導体の集積度は18カ月で2倍になる。実証研究によると、ほぼこの法則の通り、計算量あたりのコストは40年で1億分の1になった(注1)。これは歴史上ほかに例を見ない技術革新であり、現在の携帯電話の半導体の性能は、かつての大型コンピュータに匹敵する。

価格の高い(稀少な)資源は節約し、安い資源は浪費するというのが経済原則だから、半導体のように爆発的な技術革新は、産業構造に大きな影響をもたらす。半導体の性能が上がるにつれてデジタル化の相対的なコストが急速に下がり、従来アナログ的に(手作業で)処理していた情報をデジタル信号に置き換えて処理するようになるのである。

たとえば、従来のカメラでは映像を銀塩フィルムに映し、現像・焼き付けという物理的な処理を行っていたが、デジタルカメラは映像をデジタル信号に置き換えて画像処理を行う。アナログの映像を複雑な計算によってデジタル処理して最後にアナログの写真にプリントするのは無駄だが、ここで浪費されるのは、きわめて安価になった半導体であり、それによって現像などのコストが節約できるなら、このむだは正当化される。しかも半導体の価格は3年で4分の1になるので、かつては写真にかなわなかったデジカメの映像は、今では写真以上になった。

特に大きな計算量を必要とするのは動画だが、かつては放送局にしかなかった映像圧縮装置が数万円のDVDレコーダーに内蔵され、ブロードバンド(これも半導体技術の賜物だ)によって家庭への伝送も可能になった。DVDでは、日本メーカーの得意とする精密な制御技術は必要ない。信号に誤りがあっても、電気的に補正できるからだ。半導体のような「汎用技術」は、微妙な職人芸をデジタル信号に置き換え、いろいろな家電の機能をアプリケーション(応用ソフトウェア)の違いに解消してしまうのである(注2)。たとえばソニーが発売したDVDレコーダー「PSX」では、ハードディスクもゲーム機もネットワークも、同じハードウェアで動くアプリケーションにすぎない。

家電メーカーはこれまで、半導体は外注することが多かったが、デジタル家電の本体は半導体なので、多くの家電メーカーが自社で半導体を生産するようになった。1つの半導体に多くの機能を詰め込んで小型化・省電力化するのは日本のお家芸であり、職域を超えてハード・ソフト一体で取り組むことによって高い性能が実現でき、日本型の「すり合わせ」によるチームワークが威力を発揮する。パソコンの世界では米国メーカーにプラットフォームを握られたが、家電では最初から一体で設計できるので日本が囲い込める、というのがメーカーの描いている戦略である。

家電はコンピュータになる

しかし実際のシステムLSIの中身を見ると、話はそう単純ではない。たとえば携帯電話は、かつてはメーカーごとに別の半導体が組み込まれていたが、今ではブラウザ(iモードなど)の部分は共通である。さらに第3世代(3G)では、世界共通のOS(オペレーティング・システム)が採用され、アプリケーションも共通化される。これはソフトウェアが数百万ステップにもなり、各社がすべて設計することが困難になってきたからだ。つまり外見は専用化したように見えるが、中身の論理設計は「モジュール化」され、汎用的な部品の組み合わせになってきたのである。

これは、コンピュータでは昔から見られた現象である。初期のコンピュータには多くの機種があり、互換性もなかったが、ソフトウェアが複雑になるにつれて、ハードウェアとソフトウェアの「水平分業」が必要になり、共通部分がOSとして標準化された。3GのOSの標準になりつつあるリナックスも、ミニ・コンピュータのOSであるユニックスのクローン(複製)である。1980年代に登場したIBM・PCは、OSとCPU(中央演算装置)を外注したため、自由に互換機が作れるようになり、結果的にはこうしたクローンが純正のIBM・PCを圧倒した。

メモリでも、1980年代初めごろは、回路の物理設計は職人芸で、工程も手作業が多かったが、1980年代末以降、回路設計が標準化され、工程が自動化されて、技術が半導体製造装置によって移転されるようになると、日本メーカーの優位は失われた。他方、開発投資を行わない韓国メーカーが半導体製造装置を使って低価格のDRAMを量産するようになり、設計部門をもたないで委託契約による製造に特化した「ファウンドリ」とよばれる半導体メーカーが台湾などに登場し、低価格・大量生産によって日本メーカーを圧倒した。

こうした変化が起こったのは、パソコンや半導体だけではない。図の影のついた部分は、市場の要求する性能の上限から下限までを示す。統合型の「持続的技術」の初期には、機器の性能が市場の要求を十分みたしていないので、システム全体の完成度を上げる必要があり、垂直統合型の企業が有利になる(領域A)。しかし技術が成熟すると、性能が市場の要求を超え(領域B)、同じ機能を低価格で実現するモジュール型の「破壊的技術」が出現し、水平分業によってコストダウンを実現する(領域C)―こういうサイクルが、製品の世代が交代するたびに繰り返されることがハードディスクでも実証されている(注3)。

図

現在のデジタル家電は、ワンチップ化されて統合化が進んでおり、図の領域Aのような局面にあると考えられる。この傾向は、半導体の完成度が高まって市場の要求の上限(領域B)に達するまで続くが、半導体技術が成熟すると、同等のチップを低価格で大量生産するメーカーがあらわれ、領域Cのような価格競争が始まるだろう。

今後、携帯電話もインターネットからアプリケーションを取り込んで使うようになると、ますます汎用端末の性格が強まり、コンピュータに近づくだろう。だからデジタル家電は、家電がデジタル化したものではなく、家庭用の単機能コンピュータなのであり、産業構造も家電型ではなく、パソコン型になると考えたほうがよい。

事実、大手パソコン・メーカー、デル、HP、ゲートウェイなどが液晶テレビの販売を開始し、その生産を請け負っているのは中国や台湾などの無名の企業である。液晶が世界的に流通し、コモディタイズ(日用品化)したため、開発投資を行わずに部品を安く調達して組み立てる「クローン家電」が登場したのである。しかも、この変化はパソコンよりさらに速い。IBM・PCが3000ドルで登場して1000ドルを切るまでに20年かかったが、DVDレコーダーが1000ドルから300ドルになるには2年しかかからなかった。

官民協調ではなく、多様なアーキテクチャの競争を

「シリコン・サイクル」という言葉に象徴されるように、半導体は循環的な産業である。デジタル家電もいずれコモディタイズすることは避けられず、日本の家電産業の活況も、そう長くは続かないだろう。これに対して、技術を特許や著作権などで囲い込む「知的財産戦略」は、必ずしも賢明な戦略とはいえない。インテルやマイクロソフトが今日の優位を築いたのも、初期には規格をオープンにして事実上の標準となり、独占的地位を確立するとともに徐々に統合型に変えた巧妙な戦略の結果である。

インターネットやオープンソースなどの新しい技術の世界で起こっているのも、要素技術の優劣よりもアーキテクチャの優劣を競う「プラットフォーム競争」であり、ここでは技術をオープンにすることが、リーダーとなるための必要条件である。したがって日本のメーカーが考えるべきなのは、「日本発の国際標準」などという無意味なナショナリズムではなく、グローバルに情報をオープンにした上で収益を上げる戦略である。

それは容易ではないが、価格競争の激しいIT産業においては、ローカル標準に甘んじていては生き残れない。携帯電話では、標準化の失敗によってPDCという日本標準が生き残ったが、2002年の世界の出荷シェアの76.9%は欧州標準のGSMであり、PDCはわずか1.5%である(EMC調べ)。おかげで日本メーカーは、いくらいいものを作ってもフィンランドのノキアには勝てない。国内標準の強かった通信の世界も、インターネットによってグローバルに統合され、もはや日本ローカルの標準というものが存在しえないのだ。

他方、最盛期には日本が世界の80%以上を生産していたDRAMでは、日本のシェアは7%に落ち、国内で生産しているのはNECと日立製作所の出資するエルピーダメモリ一社だけになってしまった。しかし、2002年に就任した外資系出身の坂本幸雄社長のもとで、エルピーダの業績は急回復している。その特徴は、製品をデジタル家電むけに絞り、「自前主義」を捨てて、必要なら台湾や中国のファウンドリに外注するなど、米国型ともいうべき経営スタイルをとったことだ。

ただ「日本的経営」が万能ではなかったように、米国型の経営手法がつねにすぐれているわけでもない。前の図にみられるように、技術の進化の局面によってそれに適した企業形態は変わるし、業種によってもさまざまな形態がある。「日本型」とか「米国型」といった国別の類型化を行うのは無意味である。

半導体やコンピュータと同様、今や家電にも国境はない。家電の用途は多様なので、すべてがモジュール型に置き換わることはないだろうが、少なくとも情報通信に関連する「情報家電」では、グローバルに量産する破壊的技術のコスト優位は大きく、国内型の家電は「すきま商品」にしかならないだろう。デジタル放送のように行政主導によって日本標準で固まるのは、みずからをすきま商品に追い込む道である。

半導体の歴史で見られる日本企業の弱点は、垂直統合型の「総合家電メーカー」であるため、物量で圧倒できるときは優位だが、製品がコモディタイズしてコスト競争が始まるともろいことである。特に90年代以降の水平分業型の産業構造では、専門化したモジュール型の企業が優位になったが、日本メーカーはフルセット型の画一的な構造を脱却できず、総崩れとなってしまった。いま日本に必要なのは官民協調ではなく、大小さまざまな企業が多様なアーキテクチャでグローバルに競争することである。調達でも自前主義を捨て、海外に広く供給源を求めることが、結果的にはアジアにおける日本の存在感を高めることになろう。

脚注
  • (注1)W.D. Nordhaus, "The Progress of Computing", Cowles Foundation Discussion Paper, 2002.
  • (注2)池田信夫『汎用技術としての半導体』RIETIディスカッション・ペーパー 03-J-018, 2003
  • (注3)C.M. Christensen, M. Verlinden and G. Westerman,"Disruption, Disintegration and the Dissipation of Differentiability", Industrial and Corporate Change, 2002, 5:955-993.

2004年4月8日掲載