Research & Review (2004年1月号)

WTO・FTAを生き抜く農政改革

山下 一仁
上席研究員

はじめに

WTOカンクン閣僚会合は農業等をめぐる対立のため決裂した。我が国は一定以上の農産物関税(例えば100%)は認めないという米・EUの合意内容を受け入れることができなかった。ほとんどの貿易の関税撤廃が要求される自由貿易協定(FTA)でも、農産物の関税撤廃に農業界の抵抗が強いため、農業のないシンガポールとの間では協定が締結できたが、メキシコとの交渉は難航しているといわれている。農業のためにWTOでリーダーシップがとれない、FTAが結べないという非難が農業界に向けられている。政府は食料・農業・農村審議会を開き、農政の見直しに着手した。

「国際世論の悪評を買い、世界の自由貿易体制のなかで孤立するという犠牲を払い、なお米を輸入した場合の稲作農家の壊滅におびえ、主食の供給が外国の手に渡ってしまうことにおびえる日本の現状に、私は深い憂慮を覚える。米の輸入反対の論拠に「食糧の安全保障論」なるものがあるが、外国の7倍も8倍も高い米を作っておいて、何が安全保障といえようか。」戦後農地改革の担当課長で旧農業基本法の実質的な作成者であり、また消費税導入時の政府税調会長でもあった小倉武一によるウルグァイ・ラウンド交渉時の発言である。

1942年に制定された食糧管理法は本来いかに乏しい食料を国民に均等に配分するかという目的で作られた消費者保護の法律であり、1953年まで米価は国際価格よりも安かった。

なぜ国際競争力が低下したか?

1961年に制定された旧農業基本法は、農業部門からの他産業への労働力流出により農業規模は拡大し、農地改革によって生じた農業の零細性という構造問題を解決できるとともに、所得向上により農産物需要は畜産物や果樹等へシフトしていく中で新たな作物展開の方向を見いだすことができると考えた。このため、農業基本法は規模拡大・生産性向上によるコストダウンや需要の伸びが期待される農産物にシフトするという農業生産の選択的拡大によって農業構造を改革し、農業収益を向上させ、農工間の所得格差を是正することを目的とした。売上額を増やすかコストを下げれば所得は増える。選択的拡大によって売上額を増やす一方、米のように需要が伸びない作物でも、農業の規模を拡大し生産性を向上していけば、コストの低下により十分農業者の所得は確保できるはずであった。しかし、農工間の所得格差是正のため別の政策が採られた。

「その所得格差を解消するには、1つは農業構造を改革すればいいわけだ。(ところが)そっちによらないで、価格支持という方法をとったわけですよ。米価をうんと上げた。米価政策というのは、戦後、米価を抑えるためにあったのだからね。それを、今度は米価を上げるための手段として講じた。需給均衡なんていうことを考えないで、物価の上昇なり生産費の上昇に応じて当然米価も上げるべきだという主張が、米価審議会でも、国会でも、あるいは農業団体の要請によってもなされた。それが破綻の理由の1つですよ。」(小倉談)

米は過剰となり規模を拡大しながら30年以上も生産調整を実施する一方で、農業資源は収益の高い米から他の作物に向かわず、食料自給率は1960年の79%から40%へ低下した。選択的拡大をしたのは国内生産ではなく輸入農産物だった。この40年間に農地改革で解放した面積を上回る230万ヘクタールの農地が消滅した。米が余っているだけなのに農地も余っているという認識が定着し、WTO交渉では食料安全保障を主張しても、国内では食料安全保障に不可欠な農地資源の減少に誰も危機感を持たなかった。今では国民がイモだけ食べてかろうじて生き長らえる程度の農地しか残っていない。

農産物一単位のコストは面積当たりのコストを単収で割ったものだから、品種改良等の技術進歩による単収の向上は農産物のコストを低下させる。しかし、米過剰のもとでは生産調整の強化につながる単収の向上は抑制された。農地の集積による規模拡大も規模の経済を発揮させ、コストを下げる。しかし、高米価のもとではコストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細農家が滞留し農地は集積しなかった。こうして構造改革は遅れ国際競争力は低下した。食管法が廃止された後でも、生産調整という米価維持のカルテルは継続された。40年かけて平均的な農家規模はフランスでは150%も拡大したのに、日本では36%(北海道を除くと17%)しか拡大していない。

特異な日本の農政とEUの農政改革

農業保護の指標としてOECDが開発したPSE(生産者支持推定量)は関税に支えられた価格支持(内外価格差×生産量)という消費者負担に納税者負担による農家への補助・支払いを加えたものである。PSEに占める消費者負担の割合は1986年から2002年にかけてアメリカ47→39%、EU85→57%に対し日本は90%のままである。関税に依存した我が国では消費者負担が極めて高い農政ができあがった。他方、EUは農政改革を行い、関税依存度を大幅に低下させ、米国産小麦に関税ゼロでも対抗できるようになっている。

EUの農政改革とは支持価格の引下げと農家への直接支払いである。WTO上、直接支払い等の農業補助金は、削減対象でかつ対抗措置を受ける黄、削減対象外ではあるが対抗措置を受ける青、削減対象外でかつ対抗措置を受けない緑に分類される。アメリカは96年から生産や価格と関連しない緑の直接支払いを導入した。EUは75年に生産条件の不利を補正する緑の条件不利地域直接支払い、85年に環境によい農法を推進する緑の環境直接支払いを導入した後、92年に支持価格を下げ農地面積や家畜頭数と関連した青の直接支払いを導入した。

WTO・FTAを乗り切る農政改革

国際競争力向上のためには、過去の農政を改め、EUのように価格を下げ、直接支払いを導入すればよい。まず米について、生産調整を段階的に縮小・廃止することにより米価を需給均衡価格まで下げる。価格低下で影響をうける農家に面積当たりの直接支払いを交付すると、その一部は農地の貸し手への地代として吸収される等から補償は十分ではなくなる。このため、生産・価格に影響しないため所得減を十分補償できるアメリカ型の緑の直接支払いを一定規模(当初は都府県3ha、北海道10ha)以上の対象農家に限定して行う。全ての農家に影響が及ぶ価格支持と異なりターゲットを絞り込んで助成することこそ直接支払いの本質であり、価格低下により影響を受けない農家に助成することは不適切(稲作副業農家の農業所得は10万円に過ぎない)である。稲作準主業農家、副業農家の農家所得各822万円、801万円は勤労者世帯662万円を上回っている。

図1規模拡大が困難である理由
図2生産調整廃止と直接支払いの効果

図1のグラフは平成6年と13年の規模拡大が困難である理由を比較している。平成6年から13年にかけて米価は21367円/60kgから16274円/60kgへと24%低下した。高米価時代と逆に米価の低下により農地の出し手がいないという理由は大きく減少している。他方、借手側の理由として米価の低迷が大きく増加している。価格が下がると零細農家は農地を手放すが、受け手の地代支払い能力も低下するため、農地は耕作放棄されてしまう。一定規模以上の農家に農地面積に応じたEU型の直接支払いを交付し地代支払い能力を補強してやれば、農地はこれら農家へ集積する。この直接支払いは、地代負担軽減というそれ自体の直接的なコストダウン効果と、農地の集積の誘導による規模拡大・生産性の向上という間接的なコストダウン効果を発揮する。この間接的効果により一気に国際価格まで引き下げた場合より財政負担は大幅に削減できる。

農業団体が農家選別だと反対する理由はない。零細農家も直接支払いの一部を地代として受け取るからだ。なお、努力してもコストが下がらない条件の悪い地域には、EUの条件不利地域直接支払いを参考にして2000年度から導入した中山間地域への直接支払いを拡充すればよい。対象を絞ることが必須であり、それができないと意味がない。中山間地域直接支払いの導入に際しては、政治的な抵抗はあったが、対象地域・農地を限定した。新しい直接支払いも将来の食料生産を担う農家に対象が限定されないと構造改革効果はなくなる。

PSEによれば、農業保護の国民負担は関税による価格支持が消費税の2%に相当する5兆円、納税者負担が0.5兆円である。OECDによれば、直接支払いは全額農家所得となるのに対し、価格支持のうち農薬・肥料等へ支払ったあと農家の所得となるのは4分の1以下だ。WTOも農産物関税全廃まで要求するものではなく、農産物について例外を設けないFTAもほとんどないが、国内価格を国際価格まで引き下げても、5兆円の4分の1に相当する1.25兆円の直接支払いと既存の納税者負担0.5兆円で同じ農家所得を維持できる計算である。現在2.4兆円ある農業予算の範囲内だ。

消費者負担型の農政を転換するのだ。価格支持でないこと、納税者負担によることがWTOの緑の政策の基本要件である。消費者負担型の政策は誰が負担しているか不透明であるが、納税者負担型の政策は負担と受益の関係を国民の前に明らかにする。価格支持は貧しい消費者も負担し裕福な土地持ち副業農家も受益する不公平なものだ。OECDも勧める納税者負担による直接支払いは、消費への歪みをなくし経済厚生水準を高めるとともに受益の対象を真に政策支援が必要な農業や農業者に限定できる。

護送船団型農政をやめ対象者を絞った直接支払いにより農地を集積していけば、規模拡大によるコストダウンが図られ、価格は下がり、農政の財政負担は消費者の利益に転化していく。これこそ消費者に軸足を置いた農政ではないか。新しい政策は(米の生産調整廃止、米と麦等の相対収益性の是正による麦等の生産拡大による)食料自給率の向上、国民・消費者への安価な食料の安定的供給、国民全体の負担軽減、(安い原料農産物の供給を受けられる)食品産業の発展、担い手農家の所得安定、(規模の大きい農家ほど環境にやさしい農業を推進していることから)環境にやさしい農業の推進という効果を発揮できる。

水資源の涵養等農業生産以外の役割を重視すべきだという多面的機能の主張では我が国とEUは一致したが、日本は関税、EUは直接支払いと、交渉上得ようとする政策が異なったため、WTOでの連携は破綻した。EUと連携するなら一致した政策を採るべきではないだろうか。PSEが示すようにEUの農政は日本よりアメリカに近い。WTOカンクン閣僚会議直前アメリカとEUが日本の米のような高関税は認めない等の農業合意をしたのも理由のないことではない。農業保護のかなりを負担してきた関税をその重荷から解放してやる時がきたように思われる。

国際競争に打ち克つ強い農業

小倉の描いた農政は彼の存命中は実現しなかった。しかし、10年も前の次の言葉は今日色あせるどころかますます輝きを増している。

「戦前から日本の農業、農政は農村の困窮か、さもなければ食糧不足に苦悩してきた。その最もラジカルな打開策が戦後の農地改革であった。農地改革に関与した1人として現在を見つめれば、農村生活、食生活の改善には今昔の感がある。だが、この経済的繁栄はどこか虚弱である。日本の農村は豊かさの代償として「農業の強さ」を失った。もう保護と助成のぬくもりは当てにならない。輸入反対を唱えるだけでなく、自由化に耐えうる「強い農業」を目指し、本気で自活、再生への道を考える時期である。」

小倉の後輩達はこの言葉をどのように聴くのだろうか。この言葉にどれだけの人が共感できるかに日本農業の未来がかかっているといっても過言ではない。

文献
  • 小倉武一「ある門外漢の新農政試論」食料・農業政策研究センター(1995年)
  • 小倉武一「農政・税制・書生―私の履歴書―」日本経済新聞社(1992年)
  • 山下一仁「WTOと農政改革」食料・農政政策研究センター(2000年)

2014年2月5日掲載

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