ブレイン・ストーミング最前線 (2003年11月号)

WTO農業交渉と農業問題の本質

本間 正義
ファカルティフェロー

今日は、現在の農業交渉、あるいは過去の農業交渉を踏まえて、農業問題とは何か、ということについて解説したいと思います。

ウルグアイ・ラウンドの成果

1955年に日本はGATTに加盟しましたが、農業にとって大きな出来事は93年に決着したウルグアイ・ラウンドです。農業交渉は、輸出国の規律、輸入国の規律、そして輸出国・輸入国を問わず国内政策の規律、という3つの分野に分かれています。まず輸入国側の問題として、マーケットアクセスと呼んでいる分野があります。ウルグアイ・ラウンドでは非関税障壁が関税化され、全ての関税が譲許されました。

そして6年間で平均36%、最低15%の関税削減。また関税化した品目については特別セーフガードを設定することを許され、これまでほとんど輸入がなかったようなものについてはミニマム・アクセスが設定されました。ただしその関税化の特例措置として、日本でいえば、コメを念頭において猶予される項目を作ったわけです。

輸出国側の問題は主に輸出補助金でありこれは比較的シンプルですが、ウルグアイ・ラウンドに至るまでにEU(当時はEC)アメリカ間の輸出補助金戦争が繰り広げられたことを背景に、輸出補助金の削減が非常に大きなテーマでした。

GATTは関税及び貿易に関する一般協定ですから、国内のさまざまな政策には普通は立ち入らないわけですが、農業分野での取り決めは国境措置だけではなくて、国内措置に関しても、いわゆる生産刺激的あるいは貿易に影響を与えるようなものについては規律を決めました。

それは大きく3つに分けられ、削減する必要のない政策、これを緑の政策といって、行政費用等を含めて、インフラ整備、備蓄、それから直接支払いといわれるようなもの、あるいは災害補償、環境保護、たとえ生産刺激的であってもそれが地域対策として行なわれるものであればそれは削減の対象としない、ということです。

その後、本来ならば削減されるべきものを削減なしですませたいと青の政策が出てきて、緑と青を除くその他すべてが削減対象(黄色の政策)、という取り決めでした。

また、生産額の5%以下の助成措置は、たとえ黄色の政策であっても、引き下げ対象に入れない。AMS(助成合計量)とはそのような例外を除き、黄色の政策を金額ベースで合計したものをいい、それを全体で20%削減する、という取り決めになったわけです。

日本の措置と農業協定第20条

日本の措置としては、小麦、大麦、乳製品、澱粉、雑豆、落花生、こんにゃくいも、繭、生糸、豚肉といった品目が、95年に関税化されました。コメは99年です。AMSは国内保護措置として削減対象になった黄色の政策の総額です。これは1986年―88年の基準期間で5兆円であったものが、99年で実に7500億円まで下がっています。98年に、コメ政策の国内市場を自由化し、国内の価格政策は廃止したとWTOに報告したことによります。日本はコメについては国内価格支持政策をやめたことで、2兆数千億の保護措置が削減されたことになっています。

ただこれは形式上で、コメの値段が下がった、あるいはコメの保護措置がなくなったということでは決してありません。国境保護に守られていても、国内の行政価格で価格支持をしていない限りAMSにはカウントされない、という問題です。

農業協定はウルグアイ・ラウンドで決められた約束事で、2000年の12月31日までに実施する協定です。農業分野はビルトイン・アジェンダとして、新しいラウンドが立ち上がる、立ち上がらないにかかわらず、交渉を開始することが決められています(農業協定第20条)。

その20条によれば、WTO農業交渉は新しく始まったのではなくあくまで継続で、ウルグアイ・ラウンドの延長として、さらに2001年以降も引き下げにつき議論する場である、というのが共通認識だと思います。

特に日本などが強調しているのが、「非貿易的関心事項」で、農業の多面的機能、つまり食糧生産だけでなく、洪水を防止する、あるいは景観を保持する、等の機能を念頭に交渉する、ということです。これを考慮に入れながら関税削減をどのように進めるかということになるわけです。

20条が謳っているのはあくまでもサポート・アンド・プロテクションの実質的、漸進的な削減ですから、どれくらい引き下げるのかという交渉をきちんとやっていくことがここでの約束だというのが認識されるわけです。

農業交渉の争点

ここで2000年3月に始まった交渉の争点についてご説明します。

まず輸入国側の問題としてスイス方式による関税削減の提案があります。これは東京ラウンドで非農業部門に適用された関税引き下げ方式で、一定の係数を決めると、すべての関税は最終的にその係数未満になるというものです。アメリカとケアンズはその係数を25%にすると提案しています。つまりどんな高い関税でも最終年には25%未満の数値に帰するという非常に大胆な提案です。それに対して日本やEUはいわゆるウルグアイ・ラウンド方式による緩やかな削減を、EUはウルグアイ・ラウンド並みの、平均36%、ミニマム15%という引き下げ率を提案しています。

関税割当は、関税化はしたけれど、二次関税として設けた関税が非常に高いため輸入が増えないという問題。できれば関税割当を廃止して、関税に一本化することを求めているのがアメリカ、ケアンズです。

ミニマム・アクセスに関しても、アメリカ、ケアンズは拡大を要求していています。日本は特にコメを念頭において、直近の国内消費量に合わせて見直し、としています。

特別セーフガードは、ウルグアイ・ラウンドで関税化したものについてのみ適用されたわけですが、暫定措置という認識が一般的だと思います。従ってその調整期間が過ぎれば廃止、という立場をとっているのがアメリカとケアンズです。日本は2001年にネギ、生椎茸、畳表での暫定発動はしましたが、一般セーフガードがなかなか発動できなかったという経験を踏まえて、特に野菜などについて新たな品目に特別セーフガードを設けることを提案しています。

輸出補助金は、廃止か存続かで対立しているところです。アメリカ、ケアンズは5年間で廃止、EUがそれに抵抗しています。日本は、関税化と同様の輸出税化を提案しています。

国内助成については緑の政策をどうするか、青の政策を残すのか残さないのか、黄色の政策にどの程度の引き下げをするか、という問題です。緑の政策は、ケアンズ、途上国が厳格化、その上限の設定を、アメリカ、日本が、EUは枠組みの維持を主張しています。デミニミスという5%未満の例外措置をどうするかについては途上国とEUが撤廃を、アメリカ、カナダ、日本が維持を主張しています。

ハービソン・モダリティ提案

そういう対立を受けて、2003年2月、WTO非公式閣僚会議が東京で行なわれる直前、議長提案としてモダリティ第一次案が出てきました。かなり明確な数値を盛り込んだ提案が出てきたことで、輸出国側も輸入国側も反応に戸惑ったようです。マーケットアクセスでは、スイス方式とウルグアイ・ラウンド方式の折衷案が出てきました。

形の上ではウルグアイ・ラウンド方式で、平均何パーセント、最低何パーセントということですが、それを現行税率によってクラス分けをしたことが1つの特徴です。高い関税については高い引き下げ率を課すというところに、農業交渉の焦点があるわけですが、とくに途上国等から突きつけられている問題に、農産物の課税は突出して高い品目がありすぎる、それをもう少し調整しよう、ということがあります。

さらに、非従価税の従価税化が提案されていますがこれに関しては合意が出来ているという感触を持っています。また、ミニマム・アクセスの基準消費量は最近の3カ年を用いて計算する提案が出されています。

セーフガードについては、すぐにということではありませんが、実施期間最終年またはその2年後に廃止していくということです。

輸出補助金については、現行約束金額の2分の1までの品目については、1年目は70%に、2年目は49%に、そして6年でゼロに。残りの品目は同様に削減して10年でゼロにと、いずれにしても5年ないし10年の期間をもって廃止していくということです。

国内助成については、緑の政策は維持、青の政策は、5年で50%削除、またすべての政策をAMSに算入して青の政策を廃止。大きい改革は、黄の政策でAMSを5年間で60%削減し、デミニミスも現行5%を2.5%まで下げるということです。

日本農業への影響

日本がもしこのハービソン提案を受け入れたらどうなるか。コメの現行税率がキロ341円。これは従量税で、従価税にすると約490%といわれております。90%超のフォーミュラーを適用すると平均60%、最低45%ですから45%を適用します。そうすると270%に低下することになります。輸入米がキロ約100円として、370円、中国産ですと約80円として296円ということです。国産のコメがキロ300円ぐらいですから、中国産のコメは競争可能ということになります。

コメ以外のものはハービソン提案ではグループ分けをしていて、高い関税率を持つ品目についてはその中で調整しようということです。90%超の関税では、その品目の引き下げは全体で60%になることを提案しているわけで、これはほかの品目にとっては大事件となるわけです。たとえば北海道では、酪農家がコメの犠牲にされるのはかなわないと、コメ農家と酪農家の間でのつばぜり合いまで生じているわけです。

農業保護の源泉

農業はそもそも需要が停滞し、供給が増加する産業です。従って、特に先進国では常に価格下落圧力があります。一方、農業労働力は非常に多くの人的資本を投入していますが、なかなか転用が利かないため、産業調整に抵抗があります。

そこで農業に留まろうとすると、政治に訴えることになります。特に先進国では、農業はある程度小さくなると非常に強い団結力を示して、Collective Actionにおけるタダノリがなくなり、高い結束力が得られる。それに対して抵抗する側の農業の保護費用は1人当たりでみると非常に小さい。従って農業保護が蔓延してしまうことになります。

しかし、農業の保護費用は小さいとはいえ、長期の不況下、農業は失業がないという状況や保護されているということで、国民の寛容性が次第に失われつつあります。

また、デフレ経済の中で農業は豊作・不作による価格変動はあるにしても、いわゆる構造改革は進められていないわけです。それらが一般の消費者や納税者にも見えてくるようになってきた。

もう1つは農民の結束の乱れで、農協が一枚岩ではなくなってきています。多様な農民の出現で、農政には頼らない農家が出てきている。そうすると農業者個々に対応できる政治的な均衡は崩れやすい状況になっています。

外圧もあります。1980年代に牛肉、オレンジの開放要求、更に聖域だと思われていたコメについて全米精米者業界がUSTR(米国通商代表部)に訴えて日本の閉鎖市場をなんとかしたい、という動きが出てきました。そのあと農産物の12品目について米国がGATTに提訴し、10品目についてクロと判決、日本は約8品目について自由化措置を取らされたことがあります。国内保護が安定していると見られていたものが、外圧によって雪崩現象を起してウルグアイ・ラウンド決着に向かったということです。

農業保護は農産物の価格が高いことだけが問題なのではない、ということが非常に意識されつつあります。特にFTA、セーフガード問題で農業が抵抗しているために先に進まない、という印象が一般的にはあります。

新しい農業を求めて

手を打たないと日本の農業はなし崩し的に本当の意味での衰退産業になっていくのではないか、という危機感があります。そこで何が出来るか。

まずは農地法改革ですが、株式会社の農地取得問題がマスコミを賑わしているところですが、参入規制の問題があります。農業の側から株式会社を作ることは出来ても、現行の農業外の株式会社は農地を取得することは出来ない。農地を取得、または賃借しての参入は未だに規制されています。この参入規制を撤廃することと、転用規制を排除することで、多様な農業経営形態が導入出来ます。

日本の農業が生き残る道は、大規模化と技術集約化です。農地をあまり使わない部門での技術集約化は、あまり規制もなく、どんどん進んでいます。従って土地利用型で大規模化のために農地の集積をいかに進めていくかが最大のポイントです。そのために株式会社の参入と同時に加工部門、流通部門との統合を視野に置いた農業の展開がないと、農業が儲かる産業になりません。農業に参入すると儲かる、というシステムを作り上げていくことが活性化の条件になるわけです。

もう1つは、国内向けのものだけ作るのではなくて、JETROも海外で日本食フェアなどをやっていますが、そういうマーケティングをし、何が売れるかを研究すれば、輸出型の農業を作り出すことは不可能ではないわけです。

ジャポニカ米の需要は、特に中国等で高まっています。そこで、日本米を輸出するのか、あるいは日本農業が海外進出するのか。それには農地の規制、あるいは高賃金、さまざまなしがらみ等のないところで生産をすることです。メイド・イン・ジャパンでなくメイド・バイ・ジャパニーズということで、中国でも東南アジアでも、拠点を海外に求めて農業の展開をしていくということが、つまりボーダレスの農業ということです。これは非常に重要で、遅ればせながら農業も非農業部門と同様の展開をすることが求められているのではないかと思います。

質疑応答

Q:

今回の交渉における途上国の役割、そして途上国に対して日本がどういう対応をし得るキャパシティを持っているのでしょうか。

A:

途上国をいかに取り込んでいくかということが、WTOの交渉を成功させる鍵といわれていますが、途上国に配慮しすぎるためにWTOが本来の市場開放につながらないという恐れもあります。途上国の意見を聞くことは大事ですが、何らかのボーダーラインを引く必要がある。今後の問題としてはグラデュエーション・クローズを設けて、途上国が途上国でなくなる日を想定してWTOの枠組みを決めていかなければと思っています。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は7月22日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2003年11月4日掲載

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