2003年版通商白書特集 (2003年8月号)

グローバリズムの中の制度進化を論じた2003年版白書

深川 由起子
ファカルティフェロー

この春、大学は1985年生まれの新入生を迎えた。日本のグローバル化元年とも言うべきプラザ合意はもはや歴史になりつつある。合意後、急速な円高進行に対応し、日本産業は海外生産を一気に増大させた。とりわけ東アジア対しては集中的な生産移管・再配置が行われ、工業化の版図は大きく塗り変わった。その後も日本のバブル崩壊、通貨金融危機、後発の巨人・中国の本格的台頭など、ドラマは続いているが、今になってみれば、すべてはその時、日本自身によって始まったのだ。それでは再び巨大な構造転換期を迎えた日本はグローバリズムにどう向き合い、東アジアとつきあっていくのか?

今年の通商白書の印象的な点はまず、「東アジア・ビジネス圏」を提唱した昨年からさらに進み、中国を中心とするそのダイナミズムをどう日本経済の再生に取り込めるか、といった視点が全体により鮮明になったことである。急速に存在感を増す中国経済を課題も含めてバランスよく分析しようとした第一章第二節、「企業」を単位に同地域との関係を考察した第二章、海外経営資源の取り入れの重要さを強調した第三章、経済連携推進に向けた政策を論じた第四章はそれぞれこの視点に収斂しているようにみえる。特に第三章の対内直接投資、人的資源、イノベーションと知的財産権、サービス産業の振興はかつてはもっぱら先進国との経済関係において論じられたが、高齢化に伴う外国人労働の受け入れ問題、文化観光産業における近隣市場、知的財産権保護といった点では東アジアが大きく視野に入った点は重要で、新鮮味を持っている。

第2の点として内容の幅の広さ、包括性が挙げられる。グローバル化と共に伝統的な貿易分析だけでは通商関係が捉えにくくなってきたことは事実で、今年は企業内貿易を展開する直接投資からさらに金融にも言及がなされるようになった。通貨金融危機は最終製品において域外の主要市場(=米国)に依存し、また域外通貨(=ドル)決済に一極集中する東アジア経済の構造的脆弱さを露呈させた。このため、東アジア域内では並行して社債市場の育成や決済システムの近代化など、危機の再発防止に向けた協力が通商政策と並行して行われている。こうした点で第二章第一節の金融市場統合、第四章第一節の通貨金融システムの安定化などが取り上げられるのは不自然ではない。ただし、狭義の通商分野以外に踏み込む場合には追加部分の協力が域内の市場統合に向けてどういった促進要因となるのか、併記ではなく、より具体的に言及することが必要であったかもしれない。

各国の株式保有構造の推移

第3の点として各国の多様性や共通性、収斂の可能性などの点から「制度」が強く意識されているのも今回の特徴である。企業活動が容易に国境を越えるようになった現在、各国の競争力を支えるのはかつてのような天然資源の有無や人口、国土の規模といった「国」単位のハードでは必ずしもない。グローバルな企業をホストする上で欠かすことができないのは自由で透明、不測のリスクの少ない企業環境の整備、いわばソフトの部分によるところが大きい。ただし、それぞれの制度はまた過去の経緯によって成立している。グローバル化は一方で異なる制度の収斂を要請するが、他方で、過去依存型の多様性は残存する。上図が示すように各国の企業所有構造も大きく異る以上、ガバナンス構造も多様であるはずだ。こうした複雑さは第一章第三節ではコーポレート・ガバナンスなどを含めた企業システム、第三章では外国人労働受け入れや起業支援制度等が先進各国あるいは東アジアの一部と日本を比較する形でとりあげられており、興味深い。「結び」でも述べられているように、前回白書では規模の経済やネットワークによって市場主導で自然に形成される「集積」が主として扱われた。これに対して今回は「制度」に重点が置かれたことが対の関係を構成しており、問題意識の連続的発展を感じさせるものにもなっている。

以上、全体としてグローバル化の中の日本経済を問い直すというメッセージは比較的よく伝わっていると思われるが、課題も残る。例えば日本からの民間資本還流に言及する以上、政府開発援助(ODA)の役割にはより明確な議論が必要であろう。世界のODAの流れは対最貧国向けとしての性格を強める一方、中国を含めた東アジア先発経済の水準の国には次第にFTAによる市場提供や直接投資が重視され始めており、この潮流は無視できない。

また、域内の経済連携深化のあとでエネルギー協力が出てくるのも若干唐突な感じは否めない。言及するなら、高い成長ポテンシャルを秘めつつも、東アジア地域が抱える環境問題や資源制約(中国における水資源問題など)など、リスクを列挙した方がよかったかもしれない。

最後に多様性が強調されるあまり、「日本も変化している」という今回の主要メッセージがどの程度印象的であるか、については意見が分かれるだろう。確かに「失われた10年」の中にあって日本企業を取り巻く「制度」は大きく変化した。環境変化にすばやく対応する企業がないわけでもない。しかし、新しい「制度」は市場で戦うプレーヤーである企業によって実践されて初めて意味を持つ。「制度」改革の先頭に立つ政府と実践者である企業の時間感覚にはまだ距離があるという意見も少なくないのではないか。

2003年8月13日掲載

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