ブレイン・ストーミング最前線 (2003年4月号)

『スポーツからみた日本型マネジメントの限界』─新しい人作り、新しい組織作り─

平尾 誠二
ラグビー日本代表チーム前監督

本日の演題はマネジメントということですので、スポーツの組織やゲームを切り口にお話をしたいと思います。

われわれはチームを運営していく上でマネジメントをしなければならないわけですが、日本人はチームプレーや組織プレーが好きです。そこでみなさんが暗黙のうちに思い描いているのは野球なんですね。日本人と野球は密接な関係にあるということ、またゲームの進め方に日本社会との共通点があることが理由にあげられます。野球に特徴的なことは、プレーヤーとゲームメーカーが別にいるということです。ゲームメーカーは監督、その監督が出す指示に対してプレーヤーがどれだけ精度よく応えるかということが重要であって、個人の思惑はあまり入ってきません。いくら良い判断をしても、監督の指示に従わなければ評価されないようです。それが一つの秩序を形成し、そういったプレーの連続性がゲームを形成しているんですね。監督のゲームの采配は知識、経験、カンに基づいています。象徴的なのは、選手と監督が同じユニフォームを着てゲームに出ているのは野球とソフトボールくらいであるということです。つまり、監督は判断を請け負うプレーヤーである、とも考えられるわけです。そしてわれわれの従来型社会構造、運営方法もこれに近かったのではないかと思います。

また、野球のゲームは非常にゆっくりしています。スリーアウトまではちゃんとカウントができます。ですから送りバントのように、アウトをとられても次で進塁をさせてヒットだとか、サインが合わなければタイムをとって確認することもできる。ところが今の社会は非常にスピードが速くなっています。私は「キーワードはターンオーバーだ」と言っているんですが、非常に攻守の入れ替わりが早くなっていて、今攻めているなと思ったら守っている、という状況がビジネスというゲームのスピードなのに、それに対応できずにあたふたしているのが現在の日本の姿なのではないか、という気がしています。

サッカーやラグビー、ハンドボール、バスケットボールなど、コートの両側にゴールがあって攻め合う球技をゴール型球技と呼んでいますが、攻撃権が入れ替わる(ターンオーバーの)速さに対応できないと、ゲームには勝てません。ところが、「日本人はゴール型競技に強くなれない」と言う外国人もいます。ゴール型競技は個人レベルでゲームを判断し、実行できる力がないとゲームを進められないんですね。「監督、今は守りですか?」「これ、どうしましょうか」と、聞いている間はないわけです。即座に自分のプレーを判断し、実行する、ということの連続性がゴール型ゲームの特徴です。これに日本人は強くなく、これから鍛えていかなければならない技術なのですね。

例をあげましょう。私が監督の時の代表チームに六人の外国人がいたのですが、日本人選手との間に非常に興味深い違いがありました。日本の選手はとても細かい。われわれの中のメモリーが細かいんですね。「ちょっと○○しろ」の「ちょっと」の感覚が違うんです。例えば、当時の代表キャプテンだったマコーミックに「ちょっとパスを速く」というと、目で見てわかるほどに1秒速くするわけですが、日本の選手に言うと0.1秒くらいで見た目にはわからないくらいです。「ちょっと前に出ろ」というのでも、外国人選手の「ちょっと」は1歩ですから大体1メートル。ところが、日本の選手だと10~20センチで「ちょっと出過ぎだな」と言うと5センチ下がる、というほどに細かいんですね。細かさがフォーメーションを作ったりサインプレーをしたりするときには非常に重要な要素になってくると思います。決めごとをきちんとやる、という時にはこの細かさが効いてくるんですが、大ざっぱさは状況に応じて反応する、という時にそのよさが出てくるわけです。

状況に応じて反応する例をあげます。われわれはルールに基づいてプレーしています。ある試合でスクラムハーフという最もボールを触ることが多いポジションにニュージーランドの選手を選びました。彼はすばらしい能力がある選手なんですが、ゲームが始まって最初の10分間、反則をしまくるわけです。「こんなところで反則しやがって!」と怒りながら試合を見ているんですが、この10分が過ぎた後は反則がピタッとなくなるんです。つまり、最初の10分間でレフェリーの力を見抜く、というんですね。ラグビーというゲームの特性としてレフェリーのジャッジが非常に曖昧で、主観に負うところが多いという面があります。そこで優位にゲームを進めるにはレフェリーのジャッジの見極めがとても重要です。「フェアじゃない」「スポーツマンシップを守っていない」と言う人もいますが、ルールは守っています。「曖昧さ」をどこまで味方につけるか、というのは非常に大切なんですね。ところが、日本の選手はまじめなので、相手にボールをとられるにもかかわらず、タックルされたらボールを離す、というルールを厳格に守ってしまう。日本人はこれをもってルールを守っている、というんですね。でもそれは全然違います。そんなことをしていたら、スキルの高いゲームには勝てません。まず、どこが基準なのかということを見抜く。その上で、レフェリーの死角に回ったり、とられないとわかったギリギリのプレーを徹底的にやるんですね。高いレベルのスキルとスキルの戦いにおいて、ゲーム上の駆け引きは重要です。そして駆け引きをする上で情報は重要な要素になります。ここ数年の傾向だと思いますが、スポーツにおける情報が重要になってきています。

また、ゲームの質として個人の判断も大切です。最近、ビジネスの世界では「モデル」についてよく聞かれるようになりました。もちろんモデルは大事ですが、ゴール型のゲームではモデルさえも古くさいな、という気がしています。バレーボールを例に考えます。最近、日本のバレーチームが勝てなくなってきたと言います。私はゲームの進め方とメディアのあり方で不利なのではないかという気がするんですね。つまり、最近は衛星放送が発達しているので、ある特殊な戦法で勝ったとしても、恐らく次の試合までには研究しつくされていて、フォーメーションによるゲームメークが維持できない。すると、瞬時に作って壊せるということが大切になってきます。となると、やはり「人」なんですね。個のレベルで創作活動ができることが重要だと思います。基本型は持ちながら、ある連携やプレーで組み換えていける、またその指示ができるゲームリーダーという存在が、変化に対応する時代にはあっていて、また必要であると考えます。

日本はそもそも「型」ということがとても好きなんですが、最近は「型」が滅びるのが早いので、まず「個」を育てて、その「個」が勝手に「型」を作っていく、それがまた変化していく、ということをやっていかなければならないのではないかと思っています。これはコーチングということになるわけですが、日本の教育にとっても、このコーチングが重要になってくると思います。そもそも日本のコーチングはまず怒ることからスタートします。悲観の論理に立ったコーチングが非常に多い。すると、言われたことはちゃんとやるけれど、それ以上のことはまずやらない。そこに自発性や創造力の余地はほとんどありません。「個」が自発的に想像力をもって行動しなければいいプレーは生まれないのではないか、できたことについては褒める、ということが非常に重要なのではないかなと思っています。

先日、ナショナル・コーチ・アカデミー開設に向けての研究会に参加したときに、ある先生からおもしろいお話を伺いました。さまざまな体育の授業で「何が楽しいか」をアンケートにして、その授業の成果と比較しているのですが、インストラクション→マネジメント→アクティビティの順番で考えてみましょう。例えば、「今日はドッジボールをしよう」というインストラクションを出してドッジボールのルールを説明しますね。次ぎにマネジメント、これがチーム分けです。Aチームのメンバー、Bチームのメンバーといったように決めていきます。そこからアクティビティ、実際のプレーが始まります。そして授業の後に子どもたちに授業がおもしろかったかを聞くんですね。その時に「おもしろかった」と答えた場合は、絶対に効果が上がっている。ボールを受けるのも投げるのも楽しいわけですから回数が増える、すると結果的にうまくなっているわけです。

そこに、ある傾向がみえてきます。「インストラクションは短く」、「マネジメントは選手たち自身にやらせる」、そして最後に「アクティビティには十分時間をとる」。うまいプレーを褒めまくると、そのうち自然に自分たちでいいプレーに拍手するようになって、歓声も上がってきます。強制でなく自発的にこれらのことができてくると、ものすごく技術的に向上するというんですね。ところがわれわれの実際の組織では全く逆のことが行われているのではないか。まずいプレーをとがめられると人間の本能として、そこには近づかないようにしようとします。そうなると技術も向上しないし、楽しくもありません。これから何かをスキルアップしていくためにはとても重要な観点ではないかと思います。変化が非常に激しく、モデルが長続きしない中で「人」というのは必ずキーワードになってくると思います。もちろん、「リスクがとれない」「統制がとれない」といった反論も聞かれます。しかし、私が前提としているのは「成熟した個人」でして、そういった人が少ないことが問題ではないかなと思います。

最後にプレーついてお話しします。今、「パス」について研究していまして、パスは競技における1つの戦略的行為です。ラグビーであれば前に投げてはいけない、サッカーであれば手を使ってはいけないなど、ゴール型の競技にはさまざまなパスが存在します。パスというのは投げ手と受け手のコミュニケーションですが、うまくいかなかった場合というのは日本の場合は大抵、投げ手のせいにしてしまうんですね。ところが、パスという技術面をみると投げ手が圧倒的に難しい。フランスは、サッカー、ラグビーそしてハンドボールなど、非常にゴール型の球技に強いんですが、その一方で、彼らは個人主義が大変発達しています。そして、パスが抜群に巧い。彼らはパスがうまくいかなかったときは投げ手ではなく、受け手の責任にするんですね。われわれ日本人も、もう少し「受け手」が賢くなってもいいのではないか、と思ったりしています。

翻って、社会にはさまざまな現象、情報発信があります。いろいろな状況の中で政策を出しているわけですが、情報の受け手自身がその評価をできないところが問題なのではないか。その結果、情報におどらされてしまうことがあるのではないかと思います。技術力をあげるには受け手をどう育てるか、ということが非常に重要であると考えます。

質疑応答

Q:

「成熟した個人」についてのお話がありました。実際には成熟していないプレーヤーを育てながら、同時にパフォーマンスを出していかなければならない、ということがあると思います。ご自身の経験からお話下さい。

A:

これまでは決められたことをやって成果を出す、ということが多かったと思うんですが、今後は自分たちで決めて実行したことで成果が出るという成功例を作っていく、そしてそれを習慣化することが重要なのではないかと思います。

タックルの例をあげましょう。一般の方は、ラグビーの選手はタックルが好きだと思っているかもしれませんが、実際には90%の選手はできたらいきたくないなと思っているのではないでしょうか。基本的には、ボールを持って走るのがみんな好きなんです。でもそれだけだと、先ほど申し上げたターンオーバーということがゲームの中でできません。相手のボールを自分たちの方に奪い返す手段としてタックルがあるわけです。ただ、タックルができない人間に「おい、タックルしろよ!」と言っても絶対にうまくはなりません。大事なことは、自らそれに取り組もうとする意欲が出てこないとダメだということなんですね。タックルが下手な選手は大抵体が小さい、つまりたいがい足が速い。でも、タックルをしないので試合に出してもらえない。あるいは出ても、トライを3回も決めているのに試合後タックルのことを叱られる。するとますますタックルをしなくなります。

私は逆に人の倍、その選手にボールがわたるようにします。そうするとボールが集まるようになって、1試合2トライしかできなかったのが4トライできるようになるわけです。考えてみれば当たり前で、それまで10回しかボールを持てなかったのが倍になっているわけですからトライ数が倍になっても不思議はないわけです。それでも褒めてやる。タックルのことはあまり触れない。そうすると、ラグビーが好きで向上心があることが前提なんですが、それがあれば人間は次にどうすれば更によくなるかを考えるようになるわけです。そして、自分に何が足りないか、ということに自然に目が向くようになります。それがタックルになってくるわけです。それがスタートポイントだと思うんですね。そして密かに、まずタックルの練習をしようかな、という気になりはじめます。自分の意志でやり始めたことは効果が出るのも早いので、試合でその気配が出てきたら思いっきり褒めてやるわけです。「スゴイな、いつの間にこんなことができるようになって」と言ってやる。この「いつの間に」という言葉が、彼が密かに練習していたことを公にできるきっかけになるわけです。そこから、タックルはどうしたらうまくなりますか、といったことを指導者に聞くようになり、また効果が上がるというサイクルができてきます。この「自発性」ということが、特にこれからの社会には非常に大事であり、コーチングには重要な要素になります。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は2月18日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
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