Research & Review (2003年2月号)

転換期のWTO-WTOの体制の現状と将来

小寺 彰
ファカルティフェロー

2001年11月に「開発ラウンド(Development Round)」とよばれる世界貿易機関(WTO)新ラウンドの開始が宣言され、2004年中の妥結に向けて交渉が行われている。現在のところあまり順調に作業が進んでいるとは見えない。特に「貿易と投資」や「貿易と競争政策」、「貿易と環境」等の新分野については進行がはかばかしくない。これらはWTOの目的である「貿易の自由化」とはかならずしも相容れないために、「非貿易的関心事項」とよばれる。これらをどのように扱ってWTO体制を発展させていくか。これは、一面ではジャーナリスティックな分析の対象であるが、他面では、WTO体制をどのように認識するかというアカデミックな検討課題でもある。

WTO体制の転換?

WTOは、1940年代後半に産声を上げたGATT(関税及び貿易に関する一般協定、通称ガット)が発展的に解消してできあがった国際レジームである。1995年にWTOが発足するまでGATTはモノの貿易だけをカバーしていたのに対して、WTOは、モノの貿易に加えて、サービスの貿易(サービスの貿易に関する一般協定、GATS)や知的財産権(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定、TRIPS)を新たに対象に加えた。

WTO設立協定は、WTOが「加盟国間の貿易関係を規律する共通の制度上の枠組みを提供する」(二条)と規定し、WTOの対象が貿易だということを宣言する。しかし、サービスの貿易と言いながら、GATSは国内のサービス産業、たとえば電気通信事業の規制を枠づけるものであり、また「貿易関連の側面に関する」と言いながらTRIPSは実際は知的財産権の国際規律そのものである。この状況を踏まえると、WTO体制が単なる貿易のための国際レジームだと捉えることに違和感がもたれるのは当然かもしれない。WTOが経済一般を対象にした国際レジームに転換しようとしていると捉える立場が出てくるのはむしろ自然であろう。新ラウンドで、「貿易と投資」、「貿易と競争政策」、「貿易と環境」を交渉し、WTO体制のなかに、投資ルール、競争ルールさらには環境ルールを備えさせたいと考えるのは、WTOを経済レジームと捉え、より幅の広い国際規制体系に発展させていきたいという哲学に根ざしている。このような考え方は、新ラウンドの開始前には今よりもいっそう勢いが強く、労働基準や文化、さらには人権まで議論の俎上に載せようという声があった。

非貿易的関心事項

WTOを貿易レジームだと捉えても、「貿易の自由化」だけを基調にすえて、交渉し、条約文を作成することが適当なのかという問題提起は、GATTが大きく成長した1980年代から唱えられるようになった。

1980年代後半にアメリカが、キハダマグロ漁によってイルカが傷つけられていることに注目して、イルカ保護のために特定の漁法によって採られたもの以外のキハダマグロの輸入禁止措置を行ったところ、この措置のGATT整合性が問題化した。GATT紛争処理手続は、アメリカのキハダマグロ輸入禁止措置がGATT違反であると認定したために、がぜん貿易規制と環境保護の関係について注意が集まった。その結果、GATT体制を「反環境的」だと捉える立場まで現れた。環境保護を実行するために貿易制限措置をとることが効果的なために、その後も同種の問題が頻繁に提起されると同時に、GATTさらにはWTOでも「貿易と環境」への対応が急がれた。WTO締約国が「環境を保護し及び保全し並びにそのための手段を拡充することに努めつつ」と、WTO設立協定の前文が宣言したことは、その重要な成果である。

「貿易と環境」問題は、WTO体制が経済自由化を基本目的としながらも、他の政策価値にもきちんと配慮することの必要性を示した。

各国の貿易政策は他分野から離れた独自の領域を構成しているわけではない。有害廃棄物の越境移動を規制し、適正な処分をめざすバーゼル条約等では、実際に貿易措置が環境保護目的に使われ、大きな効果を発揮している。また種々の分野の措置が貿易に少なからず影響を与えている。たとえば、学校教育を英語で行うようにすると、アメリカやイギリス等の英語圏からの本の輸入は増加しよう。学校教育を英語で行うかどうかは文教政策の問題であるが、文教政策が貿易に影響する。この場合に貿易政策の観点から文教政策を評価することは適当とは思えないだろうが、それでは文化政策だったら、また租税政策だったらどうであろうか。そして農業政策ならどう考えればいいのだろうか。

問題の背景

WTOやGATTの国際規律が弱ければ、このような他の政策価値との関係づけに頭を悩ます必要はない。各国がみずからの責任で両者を調整すればよいのだから。GATT紛争処理手続が整備されてGATTの規律が強化されると事情は変わる。1980年代に、「貿易と環境」問題が起こったことは単なる偶然ではない。紛争処理手続の強化によって、GATT・WTOの場において政策価値の調整を行う必要が生まれたのである。WTO発足後には、さらに「貿易と健康」問題――アメリカ・EU「ホルモン牛輸入禁止事件」、カナダ・EU「アスベスト事件」――が当然のように起こった。

紛争処理手続に目をつけて各国が意図的にWTOの射程を伸ばそうとしたのは事実であるが、他方紛争処理手続の強化はその射程を伸ばす必然性を付与したのだ。

WTOの将来像

それではWTOが貿易を越える経済レジームになることに異論はないのであろうか。まさに現在の「貿易と投資」等の作業の状態は、WTO拡大に対して各方面から異論が噴出していることを示している。本来、新ラウンドの宣言は1999年のシアトル閣僚会議の場で行われるはずであったが、労働基準の取り込みの是非が大きな原因の1つとなって会議は失敗した。

グローバル化し、また相互依存性を高める今日の国際社会において、WTOが国際社会の重要なインフラストラクチャを構成すると考えることには大方の賛成が得られよう。しかし、今後の方向性については複雑な問題が存在する。

WTOはよく「一輪車」に喩えられる。動かし続けないと、WTO体制自体が崩壊するというメカニズムを内に秘めているからである。各国とも保護主義者の力が強い。アメリカの繊維や鉄鋼、日本の農産品などを思い浮かべてみよう。自由化を推進していかないと、すぐに内向きの力が働き各国とも保護主義的な貿易措置をとりがちになるという政治メカニズムである。WTOを動かさなければいけないが、それでは一体どちらの方向へ動かすのか。我々に問いかけられたのはまさにこの点である。

この問題には、一方ではWTO体制を制度としてどのように理解するかという観点が必要であるが、他方では国際政治の現実のなかでWTOの役割をどのように認識するか、またWTOが直接的には貿易という経済現象を対象にする以上、経済学的に貿易規制や貿易関連規制をどのように捉えるかの検討も不可欠である。

新時代の通商法研究会

WTO体制との関連で非貿易的関心事項をどのように捉えるか。この点を共通の問題意識として、法学者を中心にして、国際政治学、国際経済学の研究者の協力を得て、通商産業研究所(当時)内に「新時代の通商法研究会」を設置し、経済産業研究所に改組後も引き続き第二期の研究会を組織して研究を進めた。その成果が、間もなく出版される「転換期のWTO体制」(仮題)(東洋経済新報社)である。

研究会の特徴は、第1に、制度的にWTOの特徴や他分野との適合性を法律学の観点から検討しながら、政治学・経済学の視角からどのように捉えられるかに常に留意したこと、つまりインター・ディシプリナリーな方法を意識的に採用したこと、第2に、WTOでの現実の作業に従事している、またはそれを経験した経済産業省の省員の方々の参加を毎回得たことである。研究会では、実際の現場で起こっている問題が毎回研究者に突きつけられた。そのため、われわれの分析が、実際に生起している問題を解くためにどの程度の有効性をもつかの検証が可能になった。現実の場とアカデミックな場の相互交流こそが、われわれの研究の大きな糧であった。

成果の概要

この研究会にアカデミックスから参加した11名のうち9名が寄稿し、加えて通産省員(当時)としてしばしば研究会にもご参加いただいた荒木一郎氏が経済産業研究所に赴任されたのを機会に寄稿をお願いし、総計10名で編んだものである。本書は次のような構成になっている。

第一章(小寺彰)は非貿易的関心事項をめぐる全体の鳥瞰図を示す。第二章(長岡貞男)では、国際経済学の立場から、経済効率性を国家の行動原理とすれば、WTO体制が非貿易的関心事項を規制する必要がないことが説かれ、他方、第三章(赤根谷達雄)では、国際政治学の立場から非貿易的関心事項の問題がWTO体制に持ち込まれる必然性が指摘される。ここまでがいわば総論である。

第四章以下に、おもに法学的なディシプリンに基づいた、個別分野に即した論稿が続く。いわば各論である。第四章(間宮勇)では、知的財産権に関わる消尽(並行輸入問題)が取り上げられ、TRIPSとGATTとの間に原理上の調整を要する問題が伏在していることが明らかにされる。第五章(阿部克則)では、投資ルールの経済的効果には不確実性が残る以上、一律の自由化ではなく、投資受入国に一定の裁量を認める方向が望ましいことが指摘される。第六章(岸井大太郎)では、国内経済法への影響という角度からWTO規律が取り上げられ、従来のGATTとは異なりWTO体制が大きな国内法上の効果を発生させると同時に、それが国内民主主義の促進という側面をもつことが指摘される。第七章(中川淳司)では、WTO/GATTにおいて、「貿易と環境」が浮上してきた文脈、そして解決の困難性が指摘される。第八章(柳赫秀)は、労働基準を取り上げ、非貿易的関心事項の取り込みが、WTO体制の「人間の顔をしたレジーム」への変容を迫ることを指摘し、それが加盟国、特に開発途上加盟国の政治的意思にかかっていることが説かれる。第九章(須網隆夫)は、WTO/GATTにおける文化の取扱いを分析し、WTOが発展することによって非貿易的関心事項が問題化する必然性を説きつつ、その解決の困難性を指摘する。第十章(荒木一郎)は、現実に非貿易的関心事項が問題になった文脈を明らかにする。

総じて、非貿易的関心事項の取り込みがWTO体制を変換する意味をもち、その政治的決断が迫られていること、そしてその決断が種々の困難を伴うことが説かれている。非貿易的関心事項の意味、その背景を明らかにした点が本書の成果であろう。

反省点と今後の課題

今回は研究の成果を日本語で出版した。しかし、WTOについて同一の問題関心が、当然のことながら各国の研究者の間で共有されており、研究会や本書の編集の過程で、次々にこの問題についての著書やジャーナル論文が英語で刊行された。本書が、これらの諸外国の研究に質的には匹敵するとの自信はあるが、日本語で刊行しただけに当面は国際的な議論のフォーラムに参加することはない。

今回は、(1)インター・ディシプリナリーな方法と、(2)現場とアカデミックの相互交流によって成果を挙げることをめざした。他方、WTO体制をどのように捉えるかという、広く国際的に関心が持たれる事項について、論文を含めて多くの素材を国際的な場から得ながらも、実際の検討はわが国を活動の拠点とする者だけで行い、そしてその成果ももっぱら国内に向けて発表される。WTOという国際的な事象を研究する以上、当初からもう少し国際性を持ちうる仕掛けを用意しておくべきだったと、研究責任者として反省している。WTO体制を国際的な民主主義の観点からどのように捉えるか等、本研究の応用的な問題が続々提示されてきており、これらの問題群についてどのように立ち向かっていくかを現在検討中である。次回は、研究を国際的な場とのインター・ラクションによって進め、また国際的に発信していく仕掛けをあらかじめ準備しておくことを考えたい。

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