危機後の産業政策のあり方-企業の新陳代謝を軸に

吉野 直行
ファカルティフェロー

一昨年秋の世界的な金融・経済危機を受けて、各国政府は金融・財政政策で金融市場の安定化や総需要創出を図るだけでなく、産業・企業を支援するための様々な政策を展開している。日本でも先般、政府がまとめた「新成長戦略・基本方針」では環境・エネルギー、健康、観光といった産業政策的な要素が多く盛り込まれた。筆者が参加した昨年末の 「経済危機と産業政策」シンポジウム (経済産業研究所主催)での内外の実務家や有識者との議論を踏まえつつ、政府の関与のあり方について、私見を述べたい。

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1980年代半ばから90年代初めにかけて、日本の産業政策は内外研究者の高い関心を集めた。小宮隆太郎氏らによる『日本の産業政策』などの研究成果がまとめられ、筆者も高度成長期の政策税制や財政投融資の効果について実証研究を行った。それらを通じ、産業政策が有効な対策となりうるような各種の「市場の失敗」が存在することが明らかになった。他方、高度成長への日本の産業政策の役割は一般に信じられているほど大きくなかった事もわかった。その後、新産業組織論や新貿易理論など、産業政策の有効性を示唆する理論の前提条件や現実への適用の限界についても整理が進んだ。

一方、日本の産業政策は、特定産業の振興を図り、不当に競争力を高める政策だとして日米構造協議などで米国から強い批判を受け、産業政策の発動はその後、慎重な姿勢に転じていった。市場機能重視・民間主導の政策が進められるとともに、日本経済がバブル崩壊後の長期不況に入ったこともあって、産業政策への関心も薄れていった。

こうした中、最近、開発経済学の分野で、米ハーバード大学のロドリック教授が発展途上国での産業政策の意義を改めて強調するなど、産業政策への関心が再び高まる傾向にある。昨年6月の世界銀行の開発経済年次会合では「産業政策と経済発展」が大きなテーマの1つとなった。欧米先進国でも現実には技術開発への助成、中小企業対策をはじめとする産業政策が行われてきたが、先般の世界経済危機を機に、個々の企業や産業に焦点を当てたこれまでにない政策が進められている。

米国では経営危機に陥ったゼネラル・モーターズやクライスラー株を政府が保有。09年米再生・再投資法に基づき電気自動車用バッテリーの開発への補助金支給、プラグインハイブリッド車購入での税額控除などが講じられた。

フランスは、重要産業に投資する戦略投資ファンド(サルコジファンド)を創設、グリーン対応車開発へのコミットメントを条件に国内自動車メーカーに出融資や補助金、債務保証を講じた。ドイツは、新車購入に対する助成や「バッドバンク」制度のほか、ドイツ金融復興公庫を通じた融資や債務保証制度を拡充し、造船業、自動車産業などへの支援を行っている。

日本でも、危機対応融資などの金融市場安定化策のほか、改正産業活力再生法に基づくエルピーダメモリへの日本政策投資銀行の出資、エコカーやエコ家電の需要拡大策、産業革新機構の創設を通じた環境エネルギー、バイオなどの分野でのオープンイノベーション支援などが実行されている。最近は、経営危機にある日本航空への企業再生支援機構の出資による経営支援が調整中である。

各国の世界経済危機後の産業・企業支援策
政策 対策(例)
米国 米再生・再投資法による次世代電気自動車支援 リチウムイオン電池、ハイブリッド電気システム、電気モーター
新車への買い替え補助金 低燃費車
フランス 国家戦略投資基金(FSI)による出資 自動車部品、エネルギー、LED照明、医薬品
ドイツ ドイツ経済ファンドによる融資・信用保証 海運、自動車、電気機器
新車購入補助金 自動車
英国 戦略投資基金(SIF) 宇宙航空、洋上風力発電
英国イノベーション投資ファンド 生命科学、情報通信技術、低炭素製造部門

出所:「経済危機と産業政策」シンポジウムなどより経済産業研究所作成

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各国の産業政策には、大きな外生的ショックの影響で経営危機に陥った企業への時限的支援と、将来の成長分野に対する前向きな支援が混在している。本来なら順調に成長できる企業が、大きなショックで売り上げが一時的に激減するような場合の緊急的な支援策は必要だ。だが衰退産業に支援を続ければゾンビ企業(構造的に衰退していく企業)の延命策となり、財政負担の増大と産業構造の転換を遅らせる効果しか持たない。

すなわち、産業や企業を専門的な立場で厳しく選別する「目利き」の役割が重要になる。日航支援もまた、海外に負けない経営戦略を立て、企業再生の方向を目指すという視点が重要であろう。さらに将来の日本経済の成長にも寄与する政策でなければ効果は短期にとどまり、財政赤字の増大につながる点も忘れてはならない。

危機時の政策は時間的制約・緊急性を要することから玉石混交となりがちだが、大きなショックで流動性危機に陥った場合に金融面で支援する必要性が、リーマンショック以降、各国で再認識された。世界景気が各国の緊急政策で底を打った今、冷静な政策評価と選別が必要である。

例えば、金融危機に直面した金融機関・産業・企業への時限的に政策支援するのは、金融市場の機能不全という「市場による正確な情報発信の不完全性」、つまり金融市場の証券化商品の供給者によるリスク過剰商品の提供が、マクロショックとして金融史上自体を大きく揺るがせてしまったためだ。今回の危機のように経済環境が激変すると、企業・産業の将来性についての不確実性は特に高まる。この状況では、政策の執行面で前述の「目利き」機能をどうビルトインするかが重要だ。

「目利き」機能の供給主体として注目すべきは、近年発達している企業再生ビジネスである。これは、資産査定や事業のリストラを通じて企業・産業の先行きの不確実性を除去し、市場環境全体を改善させるという公共政策的な役割を果たす。中小企業への緊急融資においても、政府金融機関の現場での「目利き」よる判断は特に重要である。

政策の対象範囲や実施期間次第では、ゾンビ問題のように市場の新陳代謝機能を阻害し、中長期的な経済成長を阻害する恐れがある。すなわち短期的に必要な政策が長期的な効率性を損なうトレードオフがある。また支援がモラルハザードに陥らないよう、政策の設計・執行面でインセンティブ(誘因)上の様々な配慮が望まれる。例えばフランスの債務保証制度は、保証の上限を70%、ドイツも80~90%を上限とするなどの工夫がみられる。100%すべてを政府保証すれば、民間金融機関の融資に対する目利きを失わせてしまいかねない。

太陽光発電、環境対応車、バイオ医薬品といった長期的な成長分野への支援でも同様である。環境問題は市場の失敗の教科書的な例である。一方、研究開発では技術のスピルオーバー(波及)を通じた社会的便益が大きいため、過小投資に陥るという「市場の失敗」があることもよく知られている。また新しい成長産業では、関連するインフラ整備、標準化、人材育成をはじめ政府・企業の協調が必要となるため、コーディネーションの失敗が生じやすい。

諸外国では、自分の技術を世界標準として認めさせる、自国の企業の慣習に合った時価会計にしようとするなど、必死に奮闘しており、官民協調の必要性が叫ばれている。他方、政策をどう執行すれば組織としての効率性を保てるかとの論点もある。例えば前述の産業革新機構は政府から独立した組織として時限的に設けられ、多様な「目利き」を集めて投資を決定するという方法である。人材の流動化がなければ、期限付きの機関に優秀な人材は集まらず、制度上の工夫も生きない。

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金融危機を契機に政府の役割が再認識されているが、財政赤字が巨大化した現在、民間資金の導入、実施する組織の時限の設定、政策の費用対効果の事後的な検証が不可欠である。それには、情報開示により、政策の短期的効果だけでなく経済成長を促進できる長期的効果の計量分析を実施できる体制が求められる。

衰退産業を支援する財政的余裕は政府にない。政策は、長期的な成長戦略でなければならず、将来的な税収増となる分野に配分されることが不可欠である。小さな政府を目指した官民資金の融合による最小コストでの政策により経済の成長を再び呼び起こし、税収の増加を図らなければならない。そのためには、政府による成長戦略としての前向きの支援が欠かせない。

2010年1月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年2月5日掲載

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