やさしい経済学―デジタル化の衝撃と人的資本

第3回 個人も変化対応力 向上を

中馬 宏之
ファカルティフェロー

デジタル化時代にうまく適応できていないのは、日本の企業だけではありません。企業を支える人的資本にも想定外の変貌・弱化が起きていないでしょうか。

日本は最近まで工場労働者など大衆レベルでの「変化と異常への対応力」において世界の中で優位性を誇ってきました。しかし、多段階競争が短期間に頻発するデジタル化時代にはそれでは足りません。「変化と異常への対応力」自体の変化能(自己変化能)をも培える社会システムが必須となります。特定の環境下での対応力の賞味期限が短くなってきたからです。

賞味期限切れに対処するには、賞味期限内に自らを飛躍させる進化の方向を探索する能力が必要です。ところが、そのような能力は自らが属する企業の中だけではなかなか育ちません。そうした自己変化能を育むには、企業・組織・産業・国家(含む言語)の境界を越えた互換性・再利用性・相互運用性(迅速な相互協力が効果的にできること)が要請されるのです。

経済学では特定の企業だけで有用な技能を「企業特殊的人的資本」、どの企業で働いても通用する技能を「一般的人的資本」と呼んできました。多段階競争の時代に、特定の競争段階で有用な企業特殊的人的資本投資だけに頼ると、個人も企業もすぐに陳腐化の連鎖に巻き込まれます。

さらに自前主義にこだわりすぎると、環境変化への対応力の幅が狭くなりがちとなり、人的資本に想定外の変貌・弱化が起きてしまいます。しかも、その弱体化は特定組織の内部では意識されにくいのです。その限界を突破するためには、企業の境界を越えた社会システムとしての人材形成システムが求められます。

自己変化能については、日本の強い製造業を支えた「多能工」を特徴付ける能力と同じだと考える人もいるかもしれません。確かに多能工には変化と異常への対応力が備わっています。ただし、変化の激しい多段階競争の下では、保守性と革新性を兼ね備えた一段階上の自己変化能が求められます。スーパーマン化が求められているわけではありません。これについては連載の中で改めて触れたいと思います。

2017年5月19日 日本経済新聞「やさしい経済学―デジタル化の衝撃と人的資本」に掲載

2017年6月6日掲載

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