やさしい経済学―国際貿易論の新しい潮流

第7回 賃金格差、海外生産の影響は限定的

田中 鮎夢
リサーチアソシエイト

トランプ米大統領は米国内の工場の海外移転を計画する企業を批判しています。米国企業は特にメキシコでの生産を拡大させてきました。日本企業もメキシコに工場を置き、米国向け製品を製造してきました。メキシコは米国に隣接し、米国よりも賃金が低いためです。さらに北米自由貿易協定(NAFTA)により、メキシコからの輸入品に対する関税は無税であるか相対的に低いためです。

メキシコに生産を移転すると、米国のブルーカラー労働者の仕事が減り、賃金が低下するのではないかという懸念は1980年代から指摘されてきました。80年代は大卒労働者と高卒労働者との賃金格差が拡大した時代です。海外生産が賃金格差を拡大したのではないかと考えられたのです。

しかし、カリフォルニア大のフィーンストラ教授らの研究は、海外生産が賃金格差拡大の8分の1から4分の1程度しか説明しないと明らかにしています。むしろ、大卒労働者をより必要とする技術変化が賃金格差の主要な原因であることが分かっています。海外生産の賃金格差拡大への影響は限定的なのです。

さらに国際経済学の大家であるプリンストン大のグロスマン教授らの理論研究は、海外生産にはブルーカラー労働者の賃金を引き下げる効果ばかりではなく、引き上げる効果もあることを指摘しています。海外生産による生産費用の削減、生産性向上により、ブルーカラー労働者の賃金を引き上げることが可能になるからです。もちろん、賃金を引き下げる効果と引き上げる効果のいずれが大きいかは実証研究により分析が進められる必要があります。

海外生産によって国内製造業の職が奪われるという懸念も、実は十分な根拠がある訳ではありません。海外の生産工程が国内の生産工程と競合しない場合もあります。海外生産は米国製造業の雇用減少に少ししか寄与していないとの研究もあります。さらに、海外生産により、むしろ雇用が多少増加すると指摘する研究もあります。海外生産で国内雇用が奪われることを裏付ける学術的根拠は現在のところ乏しいといえます。

2017年2月10日 日本経済新聞「やさしい経済学―国際貿易論の新しい潮流」に掲載

2017年2月21日掲載