やさしい経済学―国際貿易論の新しい潮流

第6回 適切な再分配施策は実施困難

田中 鮎夢
リサーチアソシエイト

貿易の自由化には正負両面があります。貿易の自由化によって利益を得る人がいる一方、深刻な打撃を受ける人がいます。つまり、誰の状態をも悪化させることなく、誰かの状態を改善する、いわゆる「パレート改善」は保証されません。しかし、理論的には、適切な再分配政策が実施されれば、貿易自由化によってパレート改善が実現可能であることが知られています。その意味では貿易自由化は望ましいといえます。

ただ、理論的に望ましい政策の実施は、現実には困難です。政策実施に必要な情報が入手できないことが理由の1つです。例えば、貿易によって打撃を受ける人は、より多くの補償金を得ようと自分に有利な申告をするかもしれません。もう1つの理由として、現実の政策が政冶過程を経て決まることが挙げられます。例えば、圧力団体が政治家や官庁に働きかけるといった政治過程を経て決定される政策が、理論的に望ましい政策と一致する保証はありません。

貿易による打撃が少数に集中する一方、貿易による利益は社会全体に広く薄くもたらされる場合が多いことも政策をゆがめます。打撃を受ける人は、圧力団体を組織したり、声高に被害を訴えたりします。他方、貿易の利益は広く薄いため、利益を受ける人は政治家に働きかける誘因をあまり持ちません。

例えば、中国製品との競争によって賃金が低下したり、職を奪われたりした米国の労働者は保護主義的な主張をします。しかし、中国からの輸入によって安い財を買えるようになるという利益が多くの人に生じています。こうした利益は、特に貧しい人にとって重要ですが、政治過程において軽視されがちです。

貿易による利益は広く薄いものの、社会全体では貿易による損害を上回るほど大きいことが多くの研究から明らかになっています。保護主義的な政策で輸入を制限すれば、多くの人の生活水準が低下します。トランプ政権が実際に輸入品に対して高関税を課せば、米国民の生活に悪い影響を及ぼすことが予想されます。特に輸入品の価格上昇により貧しい人が被る影響は大きいでしょう。

2017年2月9日 日本経済新聞「やさしい経済学―国際貿易論の新しい潮流」に掲載

2017年2月21日掲載