やさしい経済学―「真」の貯蓄率と統計のクセ

第1回 乖離の原因を探る

宇南山 卓
ファカルティフェロー

日本はかつて貯蓄率が高いことで知られていたが、いまや国際的に見ても低貯蓄率の国となった。貯蓄が減少すれば、潜在成長率は低下し、貯蓄・投資バランスを通じて経常収支の赤字化の原因にもなる。貯蓄率は現在の日本経済のカギを握る変数であり、低下原因の解明は非常に重要である。

だが貯蓄の決定要因をデータで分析しようとすると、大きな困難に直面する。それは、国民経済計算(SNA)と家計調査という2つの代表的な統計における貯蓄率が、水準も時系列的な推移も大きく異なるからだ。これら2つの統計は、日本全体の貯蓄率をとらえており概念的には一致するはずだ。ところがその動きは大きく異なり、分析の前提となる「真の」貯蓄率すら把握できないのだ。

この2つの貯蓄率の整合性は、1990年代半ば以降、植田和男東大教授や岩本康志京大教授(当時)らの研究者や、統計作成担当者によって検証されてきた。それぞれの統計には固有の目的や技術的な制約があり、厳密には一致しない。それを完全に一致させようと、対象世帯の範囲や貯蓄の定義など、制度的な違いが精査されてきた。しかしその結果、2つの貯蓄率には制度的には説明できない乖離が存在することが示された。

本来なら一致すべき統計が乖離するのは、「統計のクセ」が原因だ。統計のクセとは、とらえるべき経済活動が真の姿とズレて計測されてしまうという、統計固有のバイアスのことだ。統計のクセを知らなければ、真の姿が把握できず正しい分析はできない。

ところが一般に、統計のクセの把握は困難だ。クセ自体を知るためには真の姿を知る必要がある。しかし、真の姿は統計からしか知ることはできないため、結局堂々巡りになる。

その点、貯蓄率の乖離はまさに統計のクセの典型例で、統計のクセを把握して修正する重要性を示す象徴的な事例である。貯蓄率の計算に必要な家計の収入や消費については、複数の統計が利用可能であり、それらを相互比較すれば統計のクセを浮かび上がらせることができる。その結果として真の貯蓄率も知ることができるのだ。この連載では、SNAや家計調査のこうした統計のクセに注目し、2つの統計の貯蓄率の乖離の謎を解明したい。

2010年8月23日 日本経済新聞「やさしい経済学―『真』の貯蓄率と統計のクセ」に掲載

2010年9月16日掲載

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