直接支払いの必要性と展望

山下 一仁
上席研究員

日本の農政は関税によるコメなどの価格支持をやめ、価格低下で影響を受ける農家の所得を直接補償(直接支払い)する政策に転換すべきだ。当面の貿易交渉乗り切りのためだけではない。国民負担をはるかに軽減するうえ、農業の競争力強化につながり、消費者の利益に貢献する。

1. 農政が目指したもの

まず、現実の農政に関与した5人の優れた先人の思想を紹介し、かつての農政が何を目指したのかを示したい。

(1)日本民俗学の父柳田國男(1875-1962)の中農論

戦前の日本農業には零細農業構造と小作問題という2つの課題があった。

農商務省の法学士第一号である柳田が農商務省に在籍したのはわずか2~3年だったが、かれは当時学界や官界で有力だった農本主義的な小農保護論に異を唱え、企業として経営できるだけの規模をもつ2ha以上の農業者、中農養成策を論じた。「日本は農国なり」とは「農業の繁栄する国という意味ならしめよ。困窮する過小農の充満する国といふ意味ならしむるなかれ。」と主張する。柳田は農業保護関税の主張に対し、日本が高コストの零細農業構造により世界の農業から立ち遅れてしまうことを懸念し、保護主義ではなく構造改革が必要であり、農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべきではなく、農家戸数の減少により農業の規模拡大を図るべきであると論じた。「それは、営農の規模の観点から、農業構造の改善を提案したものである。農業基本法に規定している「自立経営」と類似する考えが、その半世紀以上も前に彼によって論じられているのである。」(小倉武一)

(2)農政の神様石黒忠篤(1884-1960)の農本主義

柳田と共に新渡戸稲造の郷土会に参加し、柳田に大きな影響を受けた石黒は、小作料が収穫量の半分以上にもなる小作人の地位向上に尽力するとともに零細農業構造の改善のため海外移民にも努めた。石黒の農本主義は、昭和15年第二次近衛内閣の農林大臣として農民に食料増産を懇請する中に現れている。「農は国の本なりということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。所謂農本主義と世間からいわれて居る吾々の理想は、そういう利己的の考えではない。国の本なるが故に農業を貴しとするのである。国の本たらざる農業は一顧の価値もないのである。私は世間から農本主義者と呼ばれて居るが故に、この機会において諸君に、真に国の本たる農民になって戴きたい、こういうことを強請するのである。」石黒がいう国の本たる農業とは国民に食料を安定的に供給するという責務を果たす農業であった。食料供給に不可欠の貴重な農地資源を食いつぶす農業でなかったことだけは自明であろう。

3)忘れられた戦後経済復興の最大の功労者和田博雄(1903-1967)

農林省の悲願であった小作人の地位向上、自作農創設を実現したのが、石黒の愛弟子和田である。和田は戦後の経済復興の政治舞台に彗星のように現れた。和田は戦前治安維持法違反である企画院事件の主謀者として、部下の勝間田精一、稲葉秀三らとともに3年間投獄され、生死の境をもさまよっている。終戦の年の9月に無罪判決が下りたばかりの者が、翌月には農政局長となって第一次農地改革を行い、その7カ月後には農林大臣(第一次吉田内閣)となって食糧危機を凌ぐとともに与党の強い反対にも屈せず第二次農政改革を遂行し、その1年後には空前絶後の権限を持った経済安定本部長官(片山内閣)となって傾斜生産方式の実行等により戦後の経済復興を導くことになるとはだれも予想しなかったに違いない。片山内閣の評価の低さと後に社会党に入党したことから今日忘れられた存在となってしまったが、和田がいなければ戦後の復興はどうだったであろうか。傾斜生産方式なくしてライヴァルだった池田の所得倍増計画もなかったのではないだろうか。

終戦直後の食糧危機に直面する中で組閣の大命を受けた吉田茂は、この内閣は食糧内閣であるとして、武見太郎を通じ追放中の石黒忠篤と相談したうえ東畑精一東大教授に農相就任を懇請した。行政経験がないこと等から固辞する東畑に、吉田、武見、石黒、和田は和田を次官にするからと何度も説得・要請を重ねたにもかかわらず、断られてしまう。吉田は組閣を投げ出そうとするが、和田を局長から次官を飛び越して大臣にすることで踏みとどまった。農地改革には政治的反対が強い中でGHQの力を借りたが、財閥解体等他の改革と違い、日本政府から自主的な改革案が出されたのはこれのみであった。アメリカは日本の成功を他のアジア諸国に適用しようとするが、このような素地のない国ではすべて失敗している。農林省の改革への情熱、準備がなければ「非共産主義世界で行われた農地改革のなかで最も徹底したもの」(吉田茂)は定着しなかった。マッカーサーは農地改革を最重要視したが、マッカーサーのものとして実施するのではなく、日本政府、和田農相の発案として国会に関連法案を提出し、実行するよう求めた。与党の反対に直面した和田はGHQの積極的な後ろ盾を要求するが、GHQは応じなかった。当時農林省労働組合は農林省玄関前に「農民解放ニ挺身セムトスル職員諸君ニ訴フ」という激文を貼った。これは「悪地主征伐のためにこれから義勇軍となって飛び出していけ、その有志を募るのであるというような意味にとられないことはない」として保守系の議員から抗議されたりもしたが、和田農相の下農林省は一丸、火の玉となって農地改革に取り組んだのである。この時石黒、和田の師弟コンビに付き合った吉田茂は後に石黒から絶縁状のような手紙を受け取っても終生彼らに変わらぬ敬愛の念を持ちつづけた。

戦後農政は労働コストを抑制し経済復興を図るため食料品価格を引き下げつつ食料を国民に公平かつ安定的に供給するという消費者行政からスタートした。米は50年代初めまで国際価格より安かった。米価の抑制にもかかわらず、小作人への農地の所有権の付与、傾斜生産方式による化学肥料の増産により、食料生産は増加した。米価の抑制、農地改革、傾斜生産方式、これら全てを実施したのが和田だった。和田は農地改革の意義の1つを農業経済の振興による工業産品への市場拡大、これによる経済復興と捉えていた。農業のみの利益からだけではなく経済全体の動きの中で農業・食料政策は立案された。

他方、農地改革により零細農業構造が固定化してしまった。「日本の農業問題は単に農地改革だけでは解決せず、今後は経営の合理化が直ちにプログラムにのぼると考えます。」(和田農相)零細農業構造改善という仕事を受け継いだのが和田にとっての盟友東畑精一と部下小倉武一による1961年農業基本法だった。

(4)シュンペーターの高弟東畑精一(1899~1983)

「日本の農民層が単なる業主(経済生活の循環に応じた行動をするだけの経済の動態的過程における追随者に過ぎない者)から成り立っているという事実こそ日本の農業問題の核心である。それ故に農業政策は営農企業家(外生的前提的必要の変化に巧みに適応し、かつ経済における内生的な変化をもたらす者)を育成し、企業家精神を鼓舞することを目標としなくてはならない。」

(5)農業基本法の生みの親小倉武一(1910~2002)

食料・農業政策の目的として 1)食料・農産物の安定的供給に努めること 2)農業によって自立的生計を営もうとする者、農業を企業的に営もうとする者のために、社会的に妥当な所得の確保に努めること 3)国際貿易との調和を図ること 4)農村的環境の改善と農村的天然資源の維持に努めることを挙げ、その手段として、1)構造改革の推進、特に土地用益権の集積 2)食料・農産物の国内生産、その生産者の所得維持、これらと国際貿易との調和を図る方途としての不足払い(直接支払い)を挙げている。

(6)農業基本法が目指したもの

農業基本法は農業の規模拡大・生産性向上によるコスト・ダウンや需要の伸びが期待される農産物にシフトするという農業生産の選択的拡大によって農業構造を改革し、農工間の所得格差を是正することを目的とした。所得は売上額(価格×生産量)からコストを引いたものである。売上額を増やすかコストを下げれば所得は増える。米のように需要が伸びない作物でも、農業の規模を拡大していけば、コストの低下により、十分農業者の所得は確保できるはずであった。これにより、“農業従事者が正常な能率を発揮しながらほぼ完全に就業できる規模の家族経営で、当該農業従事者が他産業従事者と均衡する生活を営むことができるような所得を確保することが可能なもの”と定義される「自立経営農家」の育成を目指した。自立経営農家とは「何ゆえに農民は貧なりや」という問いを発した柳田以降の農政思想の到達したところと言ってよい。

2. 農政の失敗

しかし、実際の農政は農家所得の向上のため米価を上げる道を選んだ。消費は減り、生産は増え、米は過剰となった。30年以上も生産調整を実施する一方で、農業資源は収益の高い米から他の作物に向かわず、食料自給率は1960年の79%から40%へ低下した。選択的拡大のためには消費の減少する米の価格は抑制し、消費の増加する麦等の価格を引上げるべきであったが、逆の政策が採られた。これは麦の安楽死政策といわれた。自給率の低下は農業が食料消費の変化に対応できなくなった歴史を示している。農業が対応できなくなった空白を輸入食料が埋めていった。選択的拡大をしたのは輸入食料だった。600万haあった農地のうち農地改革で解放した面積を上回る230万haが消滅した。農地の転用規制、ゾーニングが厳格に運用されなかったうえ、米が余っているだけなのに農地も余っているという認識が定着したため、対外交渉では食料安全保障を主張しても、国内では食料安全保障に不可欠な農地資源の減少に誰も危機感を持たなかった。今では国民がイモだけ食べてかろうじて生き長らえる程度の農地しか残っていない。

農産物一単位のコストは面積当たりのコストを単収で割ったものだから、品種改良等による単収の向上は農産物のコストを低下させる。しかし、米過剰のもとでは生産調整の強化につながる単収の向上は抑制された。農地の集積も規模の経済を発揮させ、コストを下げる。しかし、高米価のもとではコストの高い農家も米を買うより作るほうが安上がりとなるため、零細農家が滞留し農地は集積しなかった。政策が構造改革を阻害した。1つの問題にはそれを直接解決する政策を採ることが経済政策の基本なのに、農家所得を直接向上させる政策ではなく価格支持という間接的な政策を採ったため、食料自給率や国際競争力の低下等大きな副作用が生じてしまった。

食管法廃止後も生産調整によって米価は維持されている。40年間で平均的な農家規模はフランスでは150%拡大したのに日本では36%(北海道を除くと17%)しか拡大していない。米は、490%の関税で保護され、国際価格の6倍である。基本法の目指した自立経営農家は1960年から97年にかけて、農業戸数割合では9%から5%へ、農業戸数の絶対数では52万戸から18万戸へ、耕地面積割合では24%から19%へと減少した。

3. 世界的に見て特異な農政

アメリカは農家に対する保証価格と市場価格との差を財政により補填(直接支払い等)することにより、農家所得を維持しながら消費者への安価な供給と国際競争力の確保を実現している。EUは可変課徴金等により域内市場価格を国際価格より高く設定する一方、過剰生産分を輸出補助金によって処理していた。しかし、1992年に農政改革を行い穀物の域内支持価格を引き下げ、財政による農家への直接支払いで補った。現在の穀物の支持価格トン当たり101.31ユーロ(120~130ドルに相当)は、本年2月の小麦シカゴ相場(139ドル)を下回っている。EUはアメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できるのである。我が国も2000年度から中山間地域への直接支払いを導入し、価格政策から直接支払い政策への一歩を進めることとなったが、消費者負担型農政の基本的性格に変わりはない。EUがアメリカと同じ財政負担型農政に転換したにもかかわらず、日本のみ取り残されている。かつてのアメリカ対EU・日本という構図がアメリカ・EU対日本という構図になっている。

各国の政策比較

農業保護の指標としてOECDが開発したPSE(生産者支持推定量)は関税による消費者負担(内外価格差×生産量)に納税者負担による農家への補助・支払いを加えたものである。2002年のPSEは、アメリカ396億ドル、EU1005億ドル、日本439億ドル(約5.5兆円)となっている。日本の数字はアメリカ、EUと比べても過大ではない。しかし、その内訳をみると、消費者負担の部分の割合は1986~88年のアメリカ46%、EU85%、日本90%に比べ、2002年ではアメリカ39%、EU57%、日本90%(約5兆円)となっている。EUが日本と同程度であった消費者負担型農政を大きく転換しているにもかかわらず、日本の農業保護は依然として消費者負担の割合が極めて高い。また、農業保護が特定の産品に偏ると経済的により大きな非効率を生む。OECDの指数によるとOECD平均75、EU59、アメリカ29に対し日本は118であり、他の国に比べて、特定の品目、とりわけ米に偏っていることを示している。

4. 農政改革の必要性

我が国の自由貿易協定締結を阻むもの、WTO交渉での日本の通商交渉全体の足かせとして、農業が槍玉にあげられている。1946年に国民所得の3割、1960年でも1割を占めていた農業は今や1%に過ぎず、国内需要に占める比重を大きく減少させ、産業界からすれば魅力が薄れた。また、海外の輸出市場も、累次のガット交渉による関税引き下げや貿易ルールのより確立されたWTO体制への移行により、安定性を増した。今日、国内市場が不況により期待できない状況のもとでは、産業界からWTO交渉やFTA交渉による海外市場へのアクセス拡大が唱えられている。これを妨害する農業界に対して、産業界はもはや我慢できなくなっているというのが実情ではないだろうか。かつてのノー政の「ノー」は「ない」という意味で使われたようであるが、今では「拒否」という意味で受けとめられているのではなかろうか。食料の60%を輸入する世界最大の農産物純輸入国となりながら、農林水産省に対する風当たりは極めて強い。農林水産省にとっては危機的な状況である。

また、農業自体に目を投じても、これまでの農政が成功したと胸を張ることは難しいのではなかろうか。農業衰退をもたらしたのは産業界等農業の外部の力ではない。農業所得が国民所得に占めるシェアに数倍する国家予算中のシェアを持つ農業予算を長期にわたり投下しながら、今日の衰退を招いた。

農業をめぐる内外の危機を乗り切るためには、担い手への直接支払いにより国内農産物価格を引き下げ、関税に依存しない農政を確立するしかない。それは国民負担を軽減し、産業界のみならず消費者の利益にもなる。そればかりではない。それは日本農業の復興、再生の道でもある。反対も予想されるが、この改革ができなければ農業の担い手は成長せず日本農業に将来はない。明治から1960年まで不変の3数字といわれた農地600万ha、農家戸数600万戸、(主として農業に従事する)農業就業者人口1400万人はいずれも大きく減少した。戦後の食糧難の際には人口7000万人に対し農地は600万ha存在した。今は人口1億3000万人に対し農地は500万haを切っている。農業就業者人口は280万人へ激減した。農業就業者のいないパートタイム的農家が増加したため、農業就業者は農家戸数300万を下回っている。逆に第2種兼業農家の比率は3割から7割へ、65歳以上高齢農業者の比率は1割から6割近くへ上昇した。農業衰退に歯止めがかからず、消費者への食料供給にとって憂慮する事態となっている。農政改革はWTO・FTA交渉や産業界のためだけではなく、農業自身、さらには国民・消費者のためにこそ必要なのである。品種改良等の技術進歩により単収の向上を図るとともに、プロ農家に限定した直接支払いにより農地を集積しコスト・ダウンを図っていけば、農政の財政負担は消費者の利益に転化していく。このような考え方を採らないと、農政は国民の支持を失い、存立しえなくなるのではないだろうか。

価格支持でないこと、納税者負担によることがWTO協定上削減しなくてよい緑の政策の基本要件である。政策手段はeffective(目標をより効果的に達成できること)、efficient(効率的であること、最も少ないコストで目標を達成できること、他に別の非効率を生むものではないこと)、equitable(公平であること、貧しい者に多くを負担するようなものでないこと)を満たすものでなければならない。消費者負担型の価格支持政策は、所得向上に直接資するものではないという点で非効果的であり、需給の不均衡等副作用を生むという点で非効率的であり、貧しい消費者も負担し裕福な土地持ち兼業農家も受益するという点で不公平であり、3つのEのいずれの基準も満たさない。対象を絞った納税者負担型の政策(直接支払い)は、負担と受益の関係を国民に明らかにし、真に政策支援が必要な農業や農業者に受益の対象を限定できるとともに、消費への歪みをなくし経済厚生水準を高める。

筆者は数年前から対象農家を限定した直接支払いの導入による日本農業の構造改革を主張してきた。小倉博士の食料・農業政策研究センターに参じられた、佐伯尚美、土屋圭造、並木正吉、逸見謙三等の諸先生から温かい励ましと賛同をいただいたが、農政当局には採用してもらえなかった。全ての農家に効果が及ぶ価格支持と異なり、直接支払いの最大のメリットは問題となる対象に直接ターゲットを絞って政策を実施できることである。中山間地域直接支払いの導入に際しては、政治的な抵抗はあったが、対象地域・農地を限定した。新しい直接支払いも将来の食料生産を担う農家に対象を限定しなければ構造改革効果はなくなる。しかし、対象を限定するという政策上の最大のメリットこそが、政治的には最大のデメリットとなる。さらに、一般の人はなぜ簡単なことができないのかと思うだろうが、種々の利益が絡まる予算を抜本的に見直す事は大変なリーダーシップを要する。

しかし、去年の8月末、唐突に「諸外国の直接支払いも視野に入れて」食料・農業・農村基本計画を見直すという農林水産大臣談話が出された。農産物関税に上限を設定するというアメリカとEUのWTO交渉に関する合意が8月13日になされたからだと思われる。上限関税率は今のEUの最高関税率200%を超える事はありえず、アメリカの現行関税率、EUの改革状況から100~125%と考えられる。490%のコメの関税率等をそこまで下げると日本農業は壊滅する。直接支払いの政治的困難さなど頭から吹っ飛んでしまうほどの危機感が大臣談話につながったのではないかと思われる。

我が国とEUは多面的機能という主張では一致していても、日本は関税、EUは直接支払いと、交渉上得ようとする政策が異なっていたため、WTOでの連携は失敗した。EUと連携するなら、政策的にも一致した政策を採るべきだった。EUの農政は日本よりアメリカに近い。アメリカとEUが日本を外し日本の米のような高関税は認めないという合意をしたのも理由のないことではない。

EUはEU拡大や農業支出の増加等EU独自の事情に対処するため農政改革を実行した。これによりWTO交渉のポジションは有利になったが、交渉がなくても改革は不可避であった。同じように、我が国も日本農業それ自体に内在する問題に対処するために改革を行う必要がある。しかし、昨年9月のカンクン閣僚会議議長案で米は上限関税率の特例にできるかもしれないという期待が生じたため、改革の熱意が後退するおそれがある。昨年12月食料・農業・農村基本計画を見直す場である食料・農業・農村審議会に対して、農林水産省は米を直接支払いの対象としないという考えを述べている。しかし、仮にWTO交渉で成功したことにより農政改革に着手しないというのであれば、外から農業を守りえても既に衰退傾向が著しい我が国農業は内から崩壊することとなろう。米の改革なくして農政改革はありえない。また、米の高関税のみ維持することは、米だけ高い価格を支持したかつての高米価政策の誤りを繰り返すことに他ならない。いかなる経緯にせよ農政改革の検討に踏み切ったことは評価できる。もう後戻りはできないし、してはならない。

5. 農政改革―直接支払いの導入

米についていえば、当面WTO交渉で合意される関税水準で決定される輸入米の価格水準、将来的には国際価格水準まで国産米価を引き下げることを目的として、担い手に限定した直接支払いを導入する。(例えば、日本米と品質的に競合すると思われる中国産短粒種の価格は4200円、予想上限関税率100%の関税賦課後の価格は8400円となる。国産米にある程度のメリットを与える(EUの域内優先の考え方である)との観点から、これより10%低い水準を目指す。)

(1)生産調整の段階的縮小による米価の引き下げ

まず米について、関税が下げられていけば生産調整により価格を維持することはできなくなる。米の生産調整を段階的に縮小・廃止することにより米価を徐々に需給均衡価格まで下げていく。

価格低下で影響を受ける一定規模以上の担い手農家に対し、一部が農地の貸し手への地代として吸収される面積当たりの直接支払いではなく、生産・価格に影響しないため所得減を十分補償できるデカップルされた直接支払いを交付する。対象を絞り込んで助成することこそ直接支払いの本質であり、価格低下により影響を受けない農家に助成することは不適切(稲作副業農家の農業所得は10万円に過ぎない)である。また、兼業化により、稲作副業農家801万円の農家所得は勤労者世帯662万円を大きく上回っており、これへの所得補償は国民の理解が得られまい。

(2)構造改革の手法としての直接支払い

次のグラフは、平成6年と13年の規模拡大が困難である理由を比較したものである。平成6年と13年の大きな違いはこの間米価が24%低下したことである。米価の低下により農地の出し手がいないという理由は大きく減少している。他方、借手側の理由として米価の低迷が大きく増加している。借り手の支払可能地代は農地を借り入れ規模拡大した後におけるコスト・ダウンによる収益増加と将来における予想米価に依存する。したがって、コスト・ダウン以上に米価が下がると予想すれば、支払可能地代が低下するので借りにくくなる。(転作面積の増加という理由も急増しているが、転作面積が増えると農地を集積しても稲作の規模拡大につながらず、コスト・ダウンによる収益の増加が見込まれないからである。)

規模拡大が困難である理由(複数回答)

(すなわち、価格が下がると零細農家は農地を手放すが、借り手の地代支払い能力も低下するため、農地は耕作放棄されてしまう。一定規模以上の農家に農地面積に応じた直接支払いを交付し地代支払い能力を補強してやれば、農地はこれら農家へ集積しコストは下がる。この直接支払いは実質地代の軽減による供給曲線の下方シフトという直接的効果と、農地の流動化による規模拡大、生産性の向上による右下方へ膨らんだ形での供給曲線のシフトという間接的効果を生じさせる。

生産調整廃止と直接支払いの効果

直接的効果については、直接支払いが一部地代として貸し手に帰属することおよび直接支払いを受ける担い手のみに影響が及ぶことから、全体の供給曲線は直接支払いほど下方にはシフトしない。しかし、仮に直接支払いが全て貸し手に帰属するとしても、間接的効果により農業の構造改善、価格の引下げは進展するし一気に国際価格等まで引き下げるよりも財政負担は大幅に軽減できる。しかし、対象が限定されないと構造改革効果はなくなる。

農業団体が農家選別だと反対する理由はない。零細農家が自ら耕作すれば直接支払いは受けられないが、農地を受給資格農家が借り入れれば零細農家も直接支払いの一部を地代として受け取ることが可能となる。

中山間地域等直接支払制度と同様、水田、畑の上に何を作付けても直接支払い額は同じなので、米作偏重という政策の歪みも排除できる。

(3)制度設計の概要

ア.直接支払いの制度設計で一番難しいのは単価の設定である。生産調整の廃止に伴う直接支払いの単価は需給均衡価格と基準年(2000~2002年)の平均米価(約1万6000円)との差をベースとする。支持価格から肥料・農薬等の支払いを終えた残余が農家所得となる。したがって、両米価の差を補償することは過剰補償となりかねないので、アメリカのように85%を乗じるか中山間地域直接支払いのように80%を乗じる。

構造改革のための直接支払いの単価は、まず水田について直接効果と間接効果により供給曲線を右下方へシフトさせ米価を需給均衡価格から目標価格まで引き下げるという観点から設定する。畑、草地については水田との小作料率の比率により設定する。

イ.対象者は当初5年間、都府県3ha、北海道10ha以上の規模農家とし、規模拡大を考慮し、次期5年間、都府県5ha、北海道15ha以上の規模農家とする。ただし、現在の規模は小さいが規模拡大の意欲、客観的条件が備わっている者、新規就農者については暫定的に対象とする。上記の規模を維持できなかった者、暫定的な対象者のうち一定期間内に上記の規模に達しなかった者については、直接支払いの返還を求めるが、不可抗力による場合は免責する。

ウ.直接支払いが国民の理解を得て実施できるようにするためには、EUの直接支払いや中山間地域等直接支払制度と同様、多面的機能の維持・増進に役立つ行為を対象農家に要求することが必要である。例えば、土壌流亡に配慮した営農の実施等国土保全機能を高める取り組み、景観作物の作付け、市民農園や体験農園の設置等保健休養機能を高める取り組み、ビオトープの確保、粗放的畜産等自然生態系の保全に資する取り組みの中から自己にあったものを選んで実施すればよい。肥料・農薬の削減等農法の転換が必要となる行為までは求める必要はない。それは環境直接支払いで対処すべきものだからである。

エ.政策体系が頻繁に見直されるようだと、生産者は長期的視点にたって機械や設備の投資を行えない。(生産者だけではなく、加工業者も安定的な原材料農産物の購入計画がたてられず、十分な設備投資計画もたてられなくなる。)中山間地域等直接支払いで5年間単価、制度を固定することとしたのはこのためである。新しい直接支払いも、営農の安定を考慮し5年間は単価、制度を固定し、5年ごとにこれを見直すこととすべきである。

オ.目標価格(またはその一定割合-たとえば80%)を下回って価格が低下することを防止するため、直接支払い対象農家に対しEUの支持価格、アメリカのローンレート類似のセーフティ・ネット策を講じる。これは農家にとっての将来価格に対する不確実性を減少させ、過少投資を抑制し資源配分の歪みを補正するために必要な措置である。なお、これは緑の政策である必要はない。

(4)農政改革の効果

筆者が上記の制度について一定の前提を置いて概算したところ、全ての水田・畑・草地について、米の上限関税率が100%の場合には約1.1兆円、関税ゼロという極端な場合でも約1.8兆円ですむ。段階的に国際価格等に鞘寄せしていくとの観点からはそれが実現するまでの間単価、予算額も段階的に拡大していくという案も考えられる。財政の観点からはこれが現実的であろう。EUの直接支払いも同様の方式をとった。

国の農業予算は2.4兆円、補助金の地方負担を加えると3兆円もある。直接支払いを農業予算内で処理すれば、消費者が負担してきた消費税の2%に相当する5兆円に及ぶ農業保護は消滅し、国民負担は大幅に軽減できる。農業保護水準はアメリカの半額の2兆円以下に低下する。世界最大の農産物輸入国でありながら、最も農業を保護している国との国際的な批判を返上できる。

生産調整廃止により米の生産は増加し、米価低下により米と他作物の相対収益性が是正され他作物の生産も拡大すれば、先進国中最低となっている食料自給率は向上する。国民・消費者への安価な食料供給が図られ、食品産業の原料問題も解決できる。担い手農家の所得も向上する。週末兼業農家と異なり、農業に専念できる規模の大きい農家ほど環境にやさしい農業を推進していることから農薬・化学肥料の投入も減る。全体的な価格水準が低下すれば、米が輸出産品となることも可能である。現に価格水準の似ている台湾には高品質の米が輸出されている。

6. 農政に期待する

いかに食料安全保障や自給率向上が重要だとしても、そのために無駄で過大なコストをかけてよいというものではない。国内生産にも効率性が求められる。「国際世論の悪評を買い、世界の自由貿易体制のなかで孤立するという犠牲を払い、なお米を輸入した場合の稲作農家の壊滅におびえ、主食の供給が外国の手に渡ってしまうことにおびえる日本の現状に、私は深い憂慮を覚える。米の輸入反対の論拠に「食糧の安全保障論」なるものがあるが、外国の7倍も8倍も高い米を作っておいて、何が安全保障といえようか。戦前から日本の農業、農政は農村の困窮か、さもなければ食糧不足に苦悩してきた。その最もラジカルな打開策が戦後の農地改革であった。農地改革に関与した1人として現在を見つめれば、農村生活、食生活の改善には今昔の感がある。だが、この経済的繁栄はどこか虚弱である。日本の農村は豊かさの代償として「農業の強さ」を失った。もう保護と助成のぬくもりは当てにならない。輸入反対を唱えるだけでなく、自由化に耐えうる「強い農業」を目指し、本気で自活、再生への道を考える時期である。」(小倉武一)10年も前の小倉の言葉だが、今日色あせるどころかますます輝きを増している。この言葉にどれだけの人が共感できるかに日本農業の将来がかかっているといっても過言ではない。

農家のための団体はあったが、農業のための団体はなかった。あるとすれば、農林水産省しかないはずだ。農政の偉大な先人たちの描いた理想の農政・農業は彼らの存命中は実現しなかった。21世紀に彼らの主張を農政の主張にできればよいが。それが筆者の大きな希望である。今にして、柳田大臣、石黒副大臣、和田次官、小倉局長、東畑審議会会長という夢の農林水産省が実現したならば、私の提案などたちどころに採用してもらえそうに思われるがどうであろうか。

和田農相は「戦後の農業問題といえば非常に複雑な様相を呈してくるんだし、行政をやるにしても相当に学問的基礎を持ったものでないとやはりうまくいかない。…やはり大きな目的のひとつは人材の養成だと思うのです。僕はやはり日本の役所からも農業関係についてはその道の人から相当尊敬される学者―行政官であると同時に立派な学者が出るような世の中にならぬと、なかなかよくならぬと思っておるものですから…。」という想いから東畑を所長に迎え農業総合研究所(現農林水産政策研究所)を創設した。しかし、このような人材は容易に育たなかったばかりか、農業基本法はたな晒しになり、小倉は農政の「門外漢」となってしまった。政策についても人材についても悪貨が良貨を駆逐するようなことをしてはならない。皮肉にも大蔵省は小倉を政府税制調査会会長として25年間も活用した。もはや和田や小倉のような人材は望むべくもないが、かつて和田を中心に省を挙げて農地改革に燃えたように、強い農業の実現のため万難を排して努力するという情熱を取り戻してもらいたいのである。のちに、「かつて日本に農業という産業があり、農林水産省という役所もあり、柳田、石黒、和田、小倉といった優れた官僚もいたのだが、もうなくなってしまった」という風に言われても、これらの諸氏は嬉しくもないだろう。しかし、戦前の第1位の輸出産業であった蚕糸産業、これを所管した農林省蚕糸局が辿った運命を考えると絵空事ではない。

農地等の農業資源を守り、将来とも国民・消費者に安全で必要な食料を安価に安定的に供給するという健全で強い農業を確立してこそ、農政は国民と歴史に責任を果たしたといえるだろう。柳田國男はいう。「国益国是が国民を離れて存するものにあらざることは勿論なれども、一部一階級の利害は国の利害とは全く拠を異にするものなり。…(一部の利益団体はもとより)仮令一時代の国民が全数を挙りて希望する事柄なりとも、必しも之を以って直に国の政策と為すべからず。国家が其の存立によりて代表し、且つ利益を防衛すべき人民は、現時に生存するもののみには非ず、後世万々年の間に出産すべき国民も、亦之と共に集合して国家を構成するものなればなり。」これが国民と歴史に責任を果たすということではないだろうか。重ねて関係各位の健闘に期待したい。

2004年5月号 『農村と都市をむすぶ』に掲載

2004年6月21日掲載

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