WTOの行方 米、EUの農業「談合」に反発した途上国

山下 一仁
上席研究員

貿易自由化の拡大を目指す世界貿易機関(WTO)のカンクン閣僚会議(メキシコ)が決裂した。これまで激しく批判し合っていた米国とEU(欧州連合)が8月、農業交渉で合意したにもかかわらず、発展途上国との溝を埋められなかったためだ。日本の主張は既に報道されているので今回は、なぜ米国とEUが農業交渉で合意したのか、それにもかかわらず、なぜ閣僚会議は決裂したのかを解説したい。

先進国主導の歴史

EUは1968年、市場価格よりも高い農産物価格を農家に保証する共通農業政策 (CAP)を成立させた。高水準の農産物価格の保証により、生産は刺激され、ワインの湖やバターの山という過剰在庫が発生し、それを海外輸出で処理したため、80年代には農産物の純輸入国から純輸出国へと立場を変えた。米国はEU市場のみならず、EU以外の市場も奪われた。域内の価格が国際価格よりも高いEUの輸出は輸出補助金によって実現した。ケネディ・ラウンド以降ガット交渉上の最大の争点は、輸出利益を奪われた米国とEUの間のCAP、とりわけ、その輸出補助金をめぐってであった。

米国がようやくEUのCAPを捕らえたのが、86~94年にかけてのウルグアイ・ラウンドだった。輸出補助金は削減、その他の削減対象の補助金はAMS(削減対象の補助金+内外価格差×数量)によって削減、非関税障壁は関税化するということで合意した。まさにガット・WTO交渉の歴史は米国・EUによって動かされてきたといっていい。ウルグアイ・ラウンドのモントリオール、ブリュッセル閣僚会合の決裂は、両者が農業交渉で対立したためで、ラウンド全体の交渉が妥結したのは両者の農業合意(ブレア・ハウス合意)ができた後に実現した。

そして今回、米国とEUは8月13日、農業交渉の枠組みで合意した。ブレア・ハウス合意時と同様、米国には新ラウンド(新多角的通商交渉)を成功させ、2004年のブッシュ大統領再選につなげたいという国内事情があった。EUも6月にCAP改革が成立して譲歩できる余地が広がった。米国のゼーリック通商代表部代表、EUのラミー貿易担当委員とも任期が終わる04年までに交渉をまとめ、成果を上げたいという気持ちが強く、妥結に向けた環境が整いつつあった。

また、交渉上のレトリックとは別に、農家に直接支払いをしつつ、支持価格を引き下げるという累次のCAP改革により、米国とEUの交渉ポジションは接近していた。EUの穀物支持価格はトン当たり101.31ユーロで115ドルに相当するが、これは02年の小麦のシカゴ相場の118ドルを下回っている。大麦、牛肉も同様だ。つまり、EUは関税だけでなく、輸出補助金も大幅に削減できるため、交渉ポジションが大幅に強化された。残された主要品目は乳製品、砂糖だったが、今回のCAP改革で乳製品の支持価格引下げを決定した。砂糖も改革の予定だ。

ここまでは順調だった。ゼーリック代表とラミー委員は、後は他の国が柔軟性を発揮する番だと胸を張った。しかし、米国とEUの合意内容は他国、とりわけ発展途上国の反発を受けた。合意が米国とEUの弱点を棚上げする内容だったためだ。

読み違えた米、EU

EUが貿易を歪めるとして米国CCP(価格変動型支払い)を攻撃していたにもかかわらず、削減対象外の青の政策(注)とすることで妥協したこと、米国が輸出補助金の撤廃を強硬に主張しておきながら、自らの輸出信用を維持するために輸出補助金の削減に妥協した2点は、多くの国にとって2大プレーヤーの“談合”ととられた。しかし、ここまではブレア・ハウス合意と程度の差はあれ同じだった。

新ラウンド立ち上げのための99年シアトル会合は、少数国のみで合意しようとした交渉方式や、「貿易と労働」を交渉分野として取り上げようとした米国とEUに対する発展途上国の反発で合意に至らなかった。新ラウンドの立ち上げは01年のドーハで合意したが、背景に同時多発テロの発生があった。テロが象徴するようにグローバル化の負の側面として、世界経済の繁栄から取り残されてきた発展途上国の不満があった。この不満を解消し、同時多発テロのような行動を防止するには、発展途上国をWTOによるグローバルな貿易体制の枠組みの中に取り込むことが必要と考えられた。

しかし、米国とEUの交渉当事者は、発展途上国の不満を十分認識できなかった。NGO(非政府組織)にバックアップされた西アフリカの4カ国は、先進国の約60億ドルにのぼる補助金(米国が半分を占める)によって、世界の綿花価格が97年から02年にかけて半分に低下し大きな不利益を被っていると主張し、廃止を求めた。米国の綿花産業はブッシュ大統領の選挙地盤である南部の有力産業であり、米国政府は撤廃を約束できない。このため米国は、アフリカの生産者が他の職業を見つけるために協力をすると申し入れた。だが、「人の職業を危うくしておきながらいう言葉か」と大きな反発を受けた。この問題はドーハ開発アジェンダが、本当に発展途上国を助けるものなのかという根源的な疑問を改めて突きつけた。

一枚岩ではない途上国

しかし、発展途上国もけっして一枚岩ではない。ブラジルなどの純食料輸出途上国は一部にすぎない。穀物や大豆は先進国と中国、タイ、アルゼンチン、ブラジルを合わせた輸出量のシェアが、ほとんど100%近くになっており、所得水準が低く、工業化の遅れた発展途上国の輸出はごくわずかだ。これらの先進、準先進輸出国の産品と競合する輸出途上国は、先進国市場の一般関税が下がると、彼らの特恵関税マージンが減少することを心配する。逆に、コーヒーやココア、紅茶の輸出国は、先進国の関税引き下げを主張する。インドなど保護すべき国内産業がある国は、自国の市場開放に反対。純食料輸入途上国は、工業労働者の賃金水準を低く抑えて国際競争力をアップするため、安い農産物を輸入したがるなど取り巻く環境は様々だ。

利益が錯綜する発展途上国だが、カンクンでは一致して行動した。まず、米国とEUの合意が純食料輸出途上国に対して、特別かつ差別的な扱いという途上国待遇を与えないことにブラジルが危機感をつのらせた。ブラジルは今回もウルグアイ・ラウンドと同じく米国とEUの合意を押しつけられるのではないかという途上国の感情を、うまく利用した。ブラジルは中国、インド、メキシコなど主要な発展途上国に働きかけて、青の政策の廃止、輸出産品に対する国内補助金は撤廃すべく大幅に削減、輸出補助金の撤廃、関税割当数量は消費量のX%の上乗せ、発展途上国の市場アクセスにより柔軟性を認める“特別作物”の導入等を内容とする逆提案をした。

先進国の国内支持、輸出補助金の大幅削減・廃止には(安い食料輸入を望む国は別として)補助金財政源のない途上国に異存がなく、市場開放は先進国に要求する(一部の国にとって特恵マージンは減少する)ものの、発展途上国には要求しないという内容で危うさはあったが途上国をまとめあげた。ブラジルなど発展途上国が勢力を結集できたのは、米国とEU合意の談合的性格や、純食料輸出途上国に対する刺激的な内容に原因があったが、このような発展途上国の主張は、途上国の市場を開放させて自国農産物の市場拡大をもくろむ米国と対立した。

期限内の妥結は困難

カンクン閣僚会議は決裂した。米国とEUが合意したうえでの決裂だけに事態は、より深刻だ。ゼーリック代表は2国間や地域間の自由貿易協定(FTA)の重視を示唆。ラミー委員は、非効率なWTOの全会一致の意思決定方式の改善を主張した。新ラウンドの04年中の期限内妥結は難しくなった。議会が行政府に交渉権限を委ねた米国のファスト・トラック期限切れの06年まで交渉は続くのか、それとも今回の交渉は妥結できないで終わるのか。実益を得られなかった発展途上国が、現実的対応に目覚めるのはいつなのか、果たして途上国は、今後も一致した行動をとっていくのか(一部の国はブラジルグループから離脱)、交渉の行方は混迷を極めている。

2003年10月28日号 『週刊エコノミスト』 (毎日新聞社)に掲載

脚注
  • 農業補助金は、削減対象でかつ対抗措置等を受けうる黄、削減対象外ではあるが対抗措置等を受けうる青(ブレア・ハウスで創設)、削減対象外でかつ対抗措置等を受けない緑に分類された。

2003年10月28日掲載

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