人口減少下の少子化対策 柔軟に働ける環境 主眼に

山口 一男
客員研究員

少子化対策はこれまで仕事と子育ての両立支援に主眼が置かれてきたが、実証研究は柔軟に働ける環境づくりのほうが重要であることを示唆している。平日の夫婦の時間共有などを促すべきで、仕事と生活の調和が図れる社会の構築が出生率向上につながる。

社会が目指す質が問われる

人口減少社会が到来し、少子化対策はますます重要になっている。元来少子化対策には、出生率向上にどんな方策が有効かというだけでなく、どういう社会を目指すのかという方向もある。例えば子どもがみな健全に成長しその才能が十分生かせる社会にすべきというのも少子化対策の1つのあり方であろう。

すなわちそれは少子化対策の「質」を問うことである。ではそうした質は、少子化に関する理論や、政策、実証研究とどう関係しているのか。このことを考えてみたい。

出生に関連する経済学理論で有名なのはベッカー・シカゴ大学教授の理論である。これは2つの関連理論から成り立っており、その1つは子どもの質の理論と呼ばれるものである。質とは子どもであれ勤労者であれ、教育や健康など「人材としての質」を意味する。

子どもの質の理論は、その上で子供の幸せが自分の幸せの一部であるような親を仮定して、そこでは高い教育費や養育費をかけて高い質を子どもに与えようとする親ほど子どもを少なく産もうとする傾向が生まれると説く。この説では、政府が教育費や養育費の軽減政策を採用すれば、教育や養育の質を損なわずに子供をより多く産む傾向になると期待できる。

児童手当も形の上では子ども1人当たりの費用を軽減するものだが、使途が制限されない収入であるため、手当てが子どもの質を高めることを保証しない点で質の費用の軽減策とは異なる。

ベッカー教授のもう1つの関連理論は機会費用の理論である。例えば育児のために離職し現在や将来の収入が減れば、育児の機会費用となる。この費用が高いと女性は子どもを生まず就業継続をしようとするだろう。

仕事と家庭が両立しやすい環境が整えば、出産しても働き続けられ、機会費用が減少するので出生率が高まると期待できる。育児休業や保育所充実などの両立支援策は、この機会費用の軽減を意図した政策といえる。

先進国の経験に3つのパターン

一方、池本美香・日本総研主任研究員はこれとは異なる質を想定する。すなわち、子どもを産み育てる親の選択が人々の豊かなきずなに導くことを質ととらえる。

池本氏は子どもを産む選択が親にとって単に有利となる政策ではなく、親子関係や地域の人々との関係を通して親も子育てを学習し、子どもと共に成長することで苦労に勝る喜びを得て、その結果人々と支えあい豊かなきずなを持つ社会環境づくりの政策を重視する。

幼児虐待などがある社会ではベッカー教授が仮定したように親が子どもの幸せを自らの幸せとしているとは言い難い。だからこそ親子が共に成長する喜びや楽しみを共有し、その結果、育てる親の幸せだけでなく育てられる子どもの幸せも高まるような社会環境づくりを重視するのである。

池本氏は例えば保育所の充実を図る政策が、保育時間を長くする一方親の育児時間を削り、意図せず子育ての喜びを親から奪っていると主張し、親自身が豊かな子育てに携わる権利とそのための政策支援を強調する。

筆者は池本氏の考えと矛盾せず、両立支援策とも重なるワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)達成の重要性を実証的に示してきた。その1つは少子化に見舞われた経済協力開発機構(OECD)諸国の分析である。1970年代に先進国はこぞって出生率低下を経験したがその後は国々により大きく道筋が異なる。特に80年以前は女性の就業率の高い国ほど出生率が低かったが80年代に逆転し、90年以降は就業率の高い国ほど出生率も高くなったことが知られている。

筆者はこれを3つに分類した。第1はスウェーデンやデンマークなど北欧諸国である。80年以前に女性就業を促進し、80年時点で25―34歳の女性の就業率が80%以上と高く、それを維持しながら、相対的に低かった出生率を回復(デンマーク)あるいは維持(スウェーデン)し、現在では高い出生率を持つに至っている。

第2はオランダと英語圏諸国(米、英、豪州)である。女性就業率は80年以後も増加したが出生率はむしろ増加するか(オランダ、米国)低下は緩やか(英国、豪州)であった。

第3が日本と南欧諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ)である。女性就業率の上昇とともに出生率低下が急速に進み、かつては相対的に高かった出生率が現在は低くなっている。

この差は、ワーク・ライフ・バランス達成の違いでもたらされたと考えられる。ワーク・ライフ・バランスの達成には2つの方法がある。1つはフレックスタイム勤務や質の良い短時間勤務(わが国でいう短時間正社員勤務)の普及など人々が柔軟に働ける雇用や勤務の達成である。この達成度が高いのはオランダと英語圏諸国である。

2つ目は育児休業とその所得補てんや保育所の充実による育児と就業の両立支援であり、北欧諸国が進んでいる。わが国と南欧諸国は両面とも達成度が低い。これら2つのワーク・ライフ・バランス達成度についてOECD諸国を格付けし、これらの達成度と各国の就業率の変化と出生率の変化との関係を分析すると以下の事実が判明した。

第1に、女性就業率の上昇によって一般には出生率が低下するが、柔軟に働ける社会が実現すると出生率は低下しない。このことがオランダや英語圏諸国と日本や南欧諸国との出生率の違いを生みだしたと考えられる。

第2に、育児と就業の両立支援は女性の高い就業率を維持する国々で出生率回復や維持に貢献した。これは主に北欧諸国の国々の結果である。

第3に出生率変化に対する影響力は、統計的には柔軟な働き方の実現度が育児と就業の両立支援度より約2倍も大きい。

出生意欲高める夫婦の時間共有

これらの分析結果は保育所充実や育児休業などの両立支援と児童手当に重点を置いてきたわが国の少子化対策はウエートの置き方が誤っていることを示唆する。ただし育児休業については、離職すると復職の難しいわが国では、出生率を高めることに有効であることを筆者は実証している。

しかし重要なのは両立支援以上に柔軟に働ける社会環境の実現の影響が大きいことで、わが国はこの点極めて遅れており政府も企業も努力を怠ってきた。柔軟な働き方の実現は一見、少子化対策には遠回りに見えるが、ワーク・ライフ・バランスを容易にし、一方で子どもを産み育てる喜びを損なわず、育児のため職や収入を失う機会費用も、両立し難い職を持ちながら育児をしなければならない心理的負担感も、減少させる結果、出生率の維持・向上に貢献したといえる。

ワーク・ライフ・バランスには雇用や労働市場のあり方など社会的側面のほかに、個人や家族がどういう働き方や家庭の過ごし方を選択するかという側面がある。筆者は別の研究でわが国の有配偶女性のパネルデータ分析を通じて、妻の結婚満足度が第一子目と第二子目の出生意欲に大きく影響し、妻の結婚満足度に影響するのは主として夫婦の平日の食事とくつろぎの共有や、夫婦の対話時間、夫の育児分担割合など日常生活の過ごし方であり、反対に夫の収入の影響は小さいことを示した。ここでも結婚満足度を高めて出生意欲を増すのは、主として経済的問題ではなく夫婦の時間の過ごし方の質の問題であることが実証された。

アンケート調査で子どもを産む障害として財政問題が一番に挙がるため国の対策は児童手当などつい経済支援に傾きがちである。だがこうした支援はたとえ出生率を上げるのに多少有効であっても質を考慮しない点で次世代育成のビジョンに欠ける政策といえる。

どのような質を達成すべきかは今後も議論の余地があるが、実証分析結果は、人々が自ら幸せを選び取る自由と選択肢を社会が拡大し、その中で選択される子どものいる生活が親の心の豊かさと結びつく社会環境の達成の重要性を示している。わが国の現状ではその豊かさとの結びつきが奪われている、だから少子化が起こるといえる。

2006年12月21日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年12月25日掲載

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