国家的モラルハザード:産業再生機構がもたらすダメージとは

鶴 光太郎
上席研究員

企業再建の可否を決める「産業再生機構」の誕生は、政財界が安全網と企業再生を求めた結果だ。しかし、この機構は3つの大きなリスクを抱えている。

2002年10月末に決定された総合デフレ対策では、不良債権処理加速策とともに、それに伴う「痛み」を和らげるためのセーフティーネット(安全網)策と企業再生を担うため、「産業再生機構」(仮称)の設立が盛り込まれた。ドラスティックな不良債権処理対策を行えば行うほど、企業の破綻とそれに伴う失業の増大を覚悟しなければならない。従って「万全のセーフティーネットを張って、不測の事態に備えるべきだ」という議論に対しては、与党、政府、有識者の間に目立った異論はないようだ。むしろ、「セーフティーネットの充実を」というのが、国家的なスローガンになっているようにも見える。これは果たして正しいであろうか。

1980年代まで、不況期でも平均して見れば3%程度の成長を維持し、失業率も先進国のなかでも極めて低水準であった日本経済にとって、セーフティーネットそのものが問題になることはなかった。その裏返しとして、経済の停滞と構造調整圧力の継続のなかで、必要最小限のセーフティーネットの充実が現在、喫緊の課題であることは明らかである。しかし、その「必要最小限」という「さじ加減」が実は非常に難しい。なぜなら、セーフティーネットは「麻薬」のような魅力を持っているからである。

ここでは、まず一般論として、セーフティーネット策にまつわる問題点を指摘した後、03年4月に発足する予定の「産業再生機構」について、とりあえずの評価を行うこととする。

安全網の危うさ

セーフティーネットの問題点といえば、決まり文句のようにモラルハザード(倫理の欠如)が指摘される。つまり、「安全網」があれば「失敗」しても安心なため、努力しなくなるという問題である。しかし、切羽詰まった状況であれば、そのようなデメリットも軽視されがちである。これはなぜであろうか。

セーフティーネットの本質は、「失敗」した企業、人を助けるという政策的メリットはすぐに出るが、そのデメリットであるモラルハザードの問題は時間をかけて徐々に出てくるという点にある。このような時間軸の政策効果を考えると、将来のコストを無視して近視眼的に行動しやすい政治家や政府は、セーフティーネットのメリットばかりを強調し、財政コストの問題はあるものの過大なセーフティーネット策が決定されることになりやすいのは明らかである。

また、一度導入されたセーフティーネット策は、既得権益者の抵抗で政治的にも縮小させることが非常に難しい。

さらに、セーフティーネットのモラルハザード効果は、個別の経済主体にとどまる問題ではないことに注意する必要がある。例えば、失業手当などのセーフティーネットが過度に充実していれば、不振産業から吐き出された失業者は、積極的に職探しをしようとは思わないであろう。これをマクロの視点から見れば、資源が収益性の低い部門から高い別の部門へ再分配されていくという、構造調整の基本ともいうべき市場メカニズムの進行を遅らせることにもなる。

難しい再建の可否の見極め

「産業再生機構」の創設も、セーフティーネット策の1つとして、不振企業を救済する方に働き、将来的にモラルハザード、構造調整の遅れ、という問題を生むことが懸念される。論点としては、以下の3つの点が挙げられる。

第1は、企業の再建の可否の基準をどうやって設定するかという点である。「産業再生機構」の設立に当たっては、「債権回収を柱とする整理回収機構(RCC)は融資機能を事実上持たず、企業再生の役割を十分果たせないため、そのような機能を持つ組織が必要である」との認識が、政府部内で持ち上がったことが指摘されている。RCCの内部ではなく、別建ての組織を作ることを決めた時点で、企業の再生にバイアスがかかっていることは否定できない。

また、予算上の規模を考えると、数の多い中小企業を網羅的に対象とすることは難しいため、大企業が中心となることが予想される。しかし、大企業が潰れれば、関連する取引先への影響(負の外部性)は大きい。政府が絡めば、やはり、救済するバイアスが働きやすいであろう。つまり、「大きすぎて潰せない」問題企業を「政府お墨付き」で助ける方に傾きがちになるのである。極端な言い方をすれば、市場経済移行国で見られたソフトバジェット(銀行が不採算企業に資金を流し続ける状況)を地で行くような、社会主義的な政策がまかり通る懸念がある。

このようなバイアスを回避するためには、企業の選別に当たって、できるだけ客観的な基準を作り、政府は自らの「手足をしばり」、裁量的な企業選別はしないことを明確にコミット(公約)するべきである。その意味では、02年12月19日に公表された「基本指針」において再生計画の終了時点でROE(株主資本利益率)2%以上、有利子負債/キャッシュフロー比率が10倍以内といった具体的な数値目標が導入されたことは、その第一歩と言える。しかし、業種ごとの事情のみならず、その時々の事情に応じた柔軟な判断を行いうる裁量の余地が入れば、前述のような選別バイアスは基本的に解消しない。

第2は、「産業再生機構」の買い取り対象が、原則として非メーンの金融機関に限られている問題である。「産業再生機構」は、金融機関から要管理先と分類されている企業で再生可能なものを選別し、非メーンの金融機関から買い取ることになっている。

確かに、多数の債権者がいる場合は、それぞれの利害が対立しやすいため、再建計画に合意し、追加融資を行うことは難しい。また、これまでのメーンバンクシステムでは、複数の銀行が、ある企業では片方がメーン、片方がサブの融資者としての役割を果たす一方、別の企業では、メーンとサブの役割を交代するということで、互いにメーンバンクとしての監視機能を担保してきた面があった。

しかし最近では銀行が、非メーンの貸出先から手を引こうと思っても、その企業のメーンバンクから同様の報復を自分がメーンの貸出先で受けることを恐れて、非メーンの融資先から資金を引き揚げたり、その不良債権を抜本処理したりすることが難しい状況があったことは事実である。

このように見ると、「産業再生機構」の利点は、多数の債権者を整理し、メーンバンクと「産業再生機構」の2つに集約することで、再生のためにかかる様々な取引費用を節約する点にあることは間違いない。

しかし、その企業が本当に再生可能であれば、そもそも、なぜ、非メーンとメーンバンクが再生に協力できないのかという疑問も残る。つまり、非メーンが「産業再生機構」に売りたいような債権の企業は、むしろ再建は難しいという根本的な矛盾をはらんでいる。

また、本来、不良債権の切り離しを行わなければならない銀行は、非メーンというよりも、負担の大きいメーンバンクである。これまで、当該企業の経営に関わってきたメーンバンクが蓄積してきた情報をなるべく生かすという趣旨は分かるが、他方、問題企業とのしがらみの大きいメーンバンクが手を引き、別の機関がまったく異なった視点でその企業の再生を行う方が、むしろ効率的な場合もあるだろう。これは、経営のコントロール権が新たな主体に移転することで効率的な経営が図られるという「テークオーバー(乗っ取り)」と、同じ考え方である。

矛盾に満ちた仕組み

第3は、「産業再生機構」が債権を買い取る時の価格設定である。基本指針では、「再生計画を踏まえた適正な時価」と言及されている。具体的には、市場の実勢価格である「時価」ではなく、「実質簿価」、つまり、債権の簿価から貸し倒れ引当金を差し引いた価格が考えられているようだ。

この場合、引き当てが真に「適正」な水準であれば、「簿価-引き当て=時価」が成立し、「時価」と「実質簿価」を区別する意味はない。しかし、銀行が十分な引き当てを行っていないとすれば、「実質簿価」は割高となってしまう。

非メーンの金融機関は、そうした債権を売るインセンティブがあるだろうが、買い手側の「産業再生機構」は、再建が成功しなければ国民負担に結びつく2次損失が発生してしまうことを、最初から覚悟しなければならない。もちろん、価格が低く設定されれば、逆に銀行は債権を売るインセンティブがなくなってしまい、「産業再生機構」が機能しなくなる。

買い取り価格の問題は、RCCでも延々と議論されてきたが、不良債権を切り離す銀行が損切りできれば、割安で買い取った機関は債権回収や企業再生が成功した時の利益が大きくなるため、インセンティブが働くというメカニズムが重要である。

このように考えると、銀行に損をさせないことを前提とした割高な価格で購入すれば、単に損失の「飛ばし」先、「塩漬け」先にしかならない。これでは国民の最終負担を増加させるだけである。従って、銀行自身が損切りしてでもグレーゾーンの不良債権を積極的に処理した方が、そのまま保有するよりも有利と考えるような環境整備(税制等)が、「産業再生機構」やRCCが機能する前提としてむしろ重要な論点となってくる。

このように「産業再生機構」の仕組みが矛盾に満ちているのは、公的な機関が個別企業の再建の可否を決めること自体、基本的に市場メカニズムを無視した議論であるからだ。企業の生死を決める「閻魔大王」は、広い意味での市場でしかないはずである。その証拠に、民間、政府、与党どこを見回しても「閻魔大王」になりたがっている人はいないようである。

ともかくも、「産業再生機構」が政府主導の巨大な「救済機関」にならないことを切に望みたい。

何が必要か

今、不良債権の加速処理に伴う「痛み」だけが注目されているが、それを緩和させるためにセーフティーネット策を追加していけば、それは「麻薬」となり、日本経済に取り返しのつかないようなダメージを与えるであろう。

また、将来展望が明らかでないことを、これ以上、問題先送りの言い訳にするべきではない。クラッシュの起きるリスクを避け続けるような政策ではなく、一時的に混乱が起きて経済がダメージを受けたとしても、「スピーディーにその混乱を収拾するためにはなにが必要なのか」という時間軸を意識した政策が求められている。具体的には、企業の破綻処理の迅速化とともに人的資本の充実、労働マッチングの改善を意識した労働流動化促進などであろう。

2003年1月14日 『週刊エコノミスト』 (毎日新聞社)に掲載

2003年1月15日掲載

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